第54話.埒(らち)があかない
「埒があかない」の埒とは、馬場の周囲に設けた柵のことをいいます。
奈良時代、春日大社の祭礼では、祭礼前夜におみこしのまわりに柵をつくり、翌朝金春太夫が一人柵の中に入って祝詞を読むならわしがありました。
その儀礼が終わらないうちは、一般の人は柵のなかに入ることはできませんでした。
このことから、ものごとが先に進まないこと、いっこうにはかどらないことを、柵があかない=「埒があかない」というようになりました。
ついでに似たような言葉も紹介しましょう。
「抜き差しならない」とは、刀を抜くことも差すこともできないような、どうにもならない窮地のことをいいます。
ちなみに同様の表現の「のっぴきならない」とは、退(の)く、引くが促音化したものです。退(しりぞ)くことも、引きあげることもできない困り果てた状況をいいます。
「進退きわまる」も同意です。
ここでのきわまるは、正しくは「谷(きわ)まる」で、険しい谷の底に落ちたように身動きの取れないことをいいます。
宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
を参考にしました。 (1997.6.17.記)
第55話.「どさくさ」と「どさ回り」
どちらも「どさ」は佐渡の倒語であります。江戸時代、佐渡の金山の人足集めの手段として、よく博徒狩りが行われました。
賭博に耽っていた者をとらえ、佐渡金山に島流しにして人手を確保していました。
博徒達にすれば、これでつかまれば確実に佐渡流刑を食らうことになり、手入れを受けることを「どさを食う」といいました。
役人が踏み込むと、四方八方へ逃げ回る者、追う者で賭場は大混乱します。やがてこの混乱した状態のことを「どさ」というようになり、語呂合わせで「くさ」がつき、混乱して大騒ぎになることを「どさくさ」というようになりました。
「どさ回り」のほうは、遠い佐渡を「田舎」と「つらさ」を象徴するものにたとえたいい方で、旅芸人が、つらい地方巡業のことを自嘲的にいったのが始まりとされているそうです。
板坂 元 編 「語源と謎解き」
日本語倶楽部 「語源の謎にこだわる本」
を参考にしました。 (1997.6.22.記)
第56話.あこぎなやつ
「あこぎなやつ」とは、はたしてどんな人なのでしょうか?
「阿漕(アコギ)ヶ浦」は昔の伊勢国阿濃郡(現在の三重県津市)の海岸一帯をいい、伊勢神宮に供える魚をとるため一般には禁漁区でした。
しかし、平次という土地の孝行者が、母親の病気をなおす金ほしさに密漁を繰り返し、捕まってしまいました、という伝説があるそうです
そういうことから、「繰り返し同じことをする。」の意味で使われました。
それが、「古今和歌六帖」の中の和歌、「逢うことを阿漕の島に曳く網のたびかさならば人も知りなむ」などで広まるうちに、「隠れてすること=悪いこと」という連想がはたらいて現在の意味になったと推定されるそうです。
おそらくはじめは平次に対する同情の意味が強かったのでしょうが、時の流れは意地悪で、現代の意味では、まるで平次がとてつもない悪人とされています。
現在、「あいつはアコギなもうけ方して・・・」という場合、極悪非道の限りをつくして、という印象が強いのですが、本来はデキ心につられる人間の弱さを表わす言葉なのです。
ここでのきわまるは、正しくは「谷(きわ)まる」で、険しい谷の底に落ちたように身動きの取れないことをいいます。
宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
を参考にしました。 (1997.6.23.記)
第57話.うばざくら
世間では、「うばざくら」を誤って解釈して使っているようです。
「年を取っても花も咲かない桜」のことと解釈していると、女性蔑視で許されないという意見も出てくるのではないでしょうか。
「姥桜」とは、ヒガンザクラ、ウバヒガンなど「葉よりも花が先に咲く」種類の桜に総称なのです。
「葉がないのに咲く」ことをお婆さんの「歯がない」、に引っかけて女性に対してもこう呼ぶことになったのだと本に書いてありました。
正しい意味は、「娘盛りをとうに過ぎているのにまだまだ美しさが残っている年増」のことだそうです。「うばざくら」は、本来は美しい女性に対する誉め言葉なのです。
単に「年増」という意味ばかり強調されて侮蔑的にこの言葉を使っているのは、間違いなのだそうです。
しかし女性がわが勘違いしやすい言葉だから気をつけた方がいいでしょう
宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
を参考にしました。 (1997.7.5.記)
第58話.右と左
明治時代の太政官制度では、左大臣は、右大臣の上位に位し諸般の政務を統括していました。
又、紫宸殿の階下の左方(東側)に左近の桜があり、右方(西側)に右近の橘が植えられていました。天子南面すといいますから、天子様から見て左が右の上位だということです。辞書によると左右は東西の意味にも使われていたようです。
しかし、昔の中国では、右大臣が左大臣よりも上位な時期があったようで、人を殺す時、すなわちそれは戦争だった時だという話もありますが確定はしていないようです。
左遷という言葉がありますが、右を尊び左を卑しんだ習慣から低い官職に落とすことを言ったものです。
雛祭りに雛人形を飾る様になったのは、江戸時代の末期だそうです。その頃は向かって右に男雛、左に女雛という並べ方が普通でした。
向かって右の位置の方が位が高いとされていたからです。ところが、大正天皇が西欧の王侯貴族のしきたりにならって、向かって天皇の右側に皇后を置かれたご真影を発表されました。それ以来これにならって向かって左に男雛を、右に女雛を並べるようになったということです。
イギリスのダイアナ妃の葬儀に関するTVでは、向かって右にチャールズ皇太子が左にダイアナ妃の結婚式の写真が映し出されました。
今日の秋場所大相撲の天覧試合では、向かって左に天皇陛下、右に皇后陛下でしたから、お雛様は、日本式ですが、欧米とは、異なるということでしょうか
フリーランス雑学ライターズ編 雑学のタネ本、
中田祝夫 編新選 古語辞典 を参考にしました。
(1997.9.7.記)
第59話.会社の名前の由来
会社名や商品名の由来を調べているとヘーと思うことがあります。
伊勢丹は、創業者伊勢屋丹治をつめたもの、
ブリジストンは、創業者石橋を上下入れ替えて英語化したもの、
サントリーは、初代社長の鳥井さんをさかさにして名前をつけたもの、
トヨタは、創業者豊田氏が字数の縁起をかついでトヨダではなく、トヨタにしたもの、
ニッサンの主力車種であるダットサンは明治44年DATSONでデビュウしたがSONが損に通じることから縁起をかつぎDATSUNに変更した由、「D;田(でん)健治郎、A;青山禄郎、T;竹内明太郎、それぞれ発起人の頭文字でDAT号=脱兎号であったが大正15年Durable(頑丈な),Attractive(魅力的な)Trustwortly(信頼できる)の頭文字をとることに変更した。」
京都の名菓「八つ橋」は、その昔筑前琴の祖、八ツ橋検校(やつはしけんぎょう)の菩提寺である黒谷の常行院への参詣客に出した菓子であることからついた名前、
「ういろう」は鎌倉時代に宋の国から渡来した外郎(ういろう)という人の名前をとっている。
フリーランス雑学ライターズ 編 「雑学のタネ本」
刀祢館(とねだて)正久著「自動車に生きた男たち」
を参考にしました。 (1997.9.7.記)
第60話.赤い靴 (童謡)
今年の8月北海道を周遊しました。
札幌から洞爺湖へ行く途中、中山峠を越え留寿都(ルスツ)高原の近くに、「赤い靴」公園がありました。観光バスのガイドさんの説明は、次の通りでした。
先ず歌詞を紹介しましょう。
「赤い靴 はいていた 女の子 異人さんに つれられて いっちゃった
横浜のはとばから 船に乗って 異人さんに つれられて いっちゃった
いまでは青い目に なっちゃって 異人さんの お国にいるんだろ
赤い靴 見るたび 考える 異人さんに逢うたび 考える」
明治17年、静岡県清水市生まれの鈴木かよ(旧姓岩崎}は、18才できみという私生児を生みましたが、この北海道の開拓に連れていくわけにいかず、宣教師に預けました。ところがきみさんは病弱でして、この宣教師が国に帰るときは結核にかかっていました。それで宣教師は国に連れていけず孤児院に預けたそうです。
その後8才できみさんは、亡くなりましたが、かよさんは全然知りませんでした。
昭和23年にかよさんが死ぬ直前に娘のそのさんに言い残したそうです。
きみさんをモデルにしたこの歌は、赤い靴をはいたきみさんが異人さんと一緒に横浜から船にのったとしていますが、事実とずいぶん違います。悲しい出来事を丸く包んで楽しく幸せに暮らして欲しいなーという願望を込めて作詞されていると思います。
私はこの話を聞いてもう少し調べようとしたのですが、万有百科大辞典や広辞苑にもあまり書いてなかったのです。我が家の童謡CDにわずかな解説がのっていましたので更に紹介を続けます。
「<赤い靴>の童謡は大正10年12月号の「少学女生」に発表されました。北海道テレビの菊池寛プロジューサーが5年がかりで調べ上げ、ドキュメンタリー番組を作り、昭和53年11月テレビ朝日系列で全国放送され多くの人の感動をよんだ」そうです。
北海道の開拓には、多くの人の努力や、涙の物語があったのだなーと感じました。
長田暁二 解説 「心のうた日本のしらべ」 を参考にしました。
(1997.9.14.記)
第61話.どんぐりころころ (童謡)
今年の8月松島観光をしました。観光バスのガイドさんが松島町で説明をしてくれました。
この松島町出身の青木存義(ながよし)さんが、どんぐりころころの作詞をなされ、歌碑がたてられています。この歌は、青木存義さんが幼い頃、お母様が、どじょうを庭の池で飼って青木さんに餌をやるため早起きさせようとしたその思い出を歌にしたものだそうです。
私は、我が家の「童謡CD」から更に次のことを知りました。
[大正10年10月の「かわいい唱歌」に発表された唱歌で、折からの「赤い鳥童謡運動」の影響を受けている。昭和22年発行の「2年生のおんがく」に掲載されてから、特に有名になった。
どんぐりころころ どんぐりこ・・・という調子でつい間違って歌っている人も多いが、どんぶりこ・・・が正しい。]
私はどんぐりこ・・・と歌っていましたから間違えている一人でした。
歌詞
どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変 どじょうが出てきて
今日は 坊ちゃん一緒に遊びましょう。
どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが やっぱり お山が
恋しいと 泣いてはどじょうを困らせた。
なかなかユーモアのある楽しい歌ですね
先日落語家の「小朝が参りました」というNHK番組で、桂竹丸さんが、「どんぐりがお池にはまっている大変なときに、どじょうと今日はなどとのんびりしたことが言える訳がない、どうなっているのでしょうね?」と疑問を投げかけていました。
そう言われて見ると、「どんぐり=坊ちゃん」なのでしょうか?私も疑問が湧きました。
余分な話ですが、「どじょう」を「どぜう」と書いてある下町の看板を見たことはありませんか?これを旧仮名使いだと思っておられる方もおられるでしょう。旧仮名使いでは、「どぢやう」と書くのが正しいそうです。昔から、飲食関係の商売では、偶数を嫌い「どじょう」の4文字でなく「どぜう」の3文字にしためだそうです。
長田暁二 解説 「心のうた日本のしらべ」
日本語倶楽部 「語源の謎」にこだわる本 を参考にしました。
(1997.9.25.記)
第62話.ずいずいずっころばしごまみそずい
「ずいずいずっころがしごまみそずい 茶壺に追われてとっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ・・・」と子供のころ、鬼ごっこの鬼決めをやったことのある人も多いでしょう。そして「ずいずいずっころばし」って何だろうと思われた方も少なくはないでしょう。
この言葉の意味は、こじつけめいた説はありますが、ほんとうのところはよくわかっていないそうです。
ただ、この童歌(わらべうた)が、江戸時代の、「お茶壺道中」を皮肉った歌であることは、確かなようです。
お茶壺道中は、江戸時代、将軍家用のお茶っ葉を、銘茶の産地宇治までとりにいく道中のことで、その行列には大名行列以上の格式と権威がありました。
行列が通る街道、宿場町では、道をきれいに掃除するなど、ことこまかな決まりに縛られ、色々な負担が課せられたそうです。もちろん、決まりに違反すれば、重く罰せられました。いわば、沿道の人々にとっては、お茶壺道中は疫病神のようなものでした。
この童歌には、「茶壺に追われて、とっぴんしゃん」という一節がありますがこれもなにか粗相をして、きつい罰を受けた人間の恨み節とも読みとれそうです。
日本語倶楽部 「語源」の謎にこだわる本 を参考にしました。
(1997.9.26.記)
第63話.指切りげんまん
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」子供のころ、こう歌いながら、友達と約束を交わした人も多いことでしょう。
この言葉には、子供の遊びにしては、少々恐ろしすぎる意味がふくまれています。
まず「指切り」は文字どうり指を切ることです。
昔、遊女が嘘いつわりのない愛情の証として、自分の小指を切って、ほれた男におくりました。これが指切りです。
「げんまん」は「拳万」と書き、拳固で一万回殴るぞという意味です。
というわけで、あの遊び言葉には、針千本のほかにも、指を切る、拳固で一万回殴る、という恐ろしい罰則が隠されています。
日本語倶楽部 「語源」の謎にこだわる本 を参考にしました。
(1997.9.26.記)
第64話.チチンプイプイ
子供のころ、おまじないの言葉と言えば「チチンプイプイ」がよく使われました。
頭や足などをぶつけて痛い痛いと泣いていると母親が「チチンプイプイ、痛いところ飛んで行け」と言ってさすってくれたものです。
なぜか痛みがスット消えたから不思議なものでした。
このチチンプイプイの解説が下記の本にのっていましたので、ご紹介いたします。
実は江戸時代から伝わる由緒正しいおまじないだそうです。
もともとは「縁起でもない」「願い下げだ」というときに唱えられていたらしいのですが、その語源には、諸説があり、その一つが「智仁武勇(ちじんぶゆう)は御代(みよ)のお宝」というのが語源とする説です。智仁武勇とは、賢く、優しく、勇ましくという意味でつまり天皇のおられるこの時代で、もっとも大切な宝物である智仁武勇。このチジンブユウがなまって「チチンプイプイ」になったというのです。また、「チチンプイプイ御代のおん宝」というおまじないが、古くから唱えられていたと言う説もあるそうです。
この説によると、「お前は、大切な宝なんだよ」という意味のこのおまじないをいって、むずかる子供をなだめていたのです。
これを読んで昔の人はおもしろいおまじないを考え出したものだなと感心しました。
日本語倶楽部 「語源」の謎にこだわる本 を参考にしました。
(1997.9.27.記)
第65話.ネコババ
童謡の世界では、迷子の子ネコちゃんをイヌのおまわりさんが保護することになっていますが、イヌは、実際に警察犬がいるように、やっぱり泥棒を捕まえる側のイメージが強いと思います。
一方ネコは、魚やさんから魚をちょっと失敬して逃げたり、化けて出たり、警察に追われる側のイメージが強いのではないでしょうか。
拾ったものを交番に届けなかったり、届けてくれと預かったものを自分のものにしたりするのを、「ネコババ」といいますがこれはネコのイメージとも多少は関係しているのかもしれません。
しかし、このババは、お婆さんのことではなくて、大便のことなのです。
そこで「ネコババ」の解説記事を見つけましたのでご紹介します。
ネコを飼っている人ならばご存知のように、ネコのフンは強烈に臭います。ネコもそれを知っているようで、フンをすると、後ろ足で砂をかけ、隠してしまいます。
そのままスタコラ行ってしまうイヌとは大違いです。
こんなことからネコババの言葉が生まれたそうです。
日本語倶楽部 「語源」の謎にこだわる本 を参考にしました。
(1997.10.1.記)
第66話.きつねの嫁入り
空が晴れていて日が照っているのに、雨が降ることがあります。
天気雨ともいいますが地方によっては「きつねの嫁入り」ともいいます。
なぜきつねなのか。なぜ嫁入りなのか。このことを書いた本がありましたので紹介いたします。
その本には、こう書かれています。
この謎を解き明かすためには、まず「きつね火」のことを知らなくてはならない。
「きつね火」は、別名「鬼火」といい、早い話がお化けが出るときに欠かせない火の玉のことです。これは、墓地などで燐が燃えてできるといわれていますが、夜、この火の玉が遠くの山野で点々と燃えると、たいまつをかかげた行列のように見えます。さらにこれが、婚礼の行列を連想させるというのです。そういう訳で「きつねの嫁入り」という言葉が生まれました。
また不気味な話ではありますが、日が照っているときの雨も、どこか異様な雰囲気があります。あるいは、なにやらきつねに騙されているような気分にさえなってしまうというわけで「きつねの嫁入り」は暗夜の鬼火だけではなく日の照っているときの雨のこともいうようになりました。
たぬきも、人を騙しますが、「たぬきの嫁入り」では、異様な怪しさは出てきません。
以上が本の解説でした。
余談ですが、先日NHKの「お江戸でござる」の杉浦日向子さんの解説によれば、江戸時代店先にたぬきの飾り置物を置いたのは、他を抜くという意味で商売繁盛祈願を込めたものだそうです。
日本語倶楽部 「語源」の謎にこだわる本 を参考にしました。
(1997.10.1.記)
第67話.かっぽれ
かっぽれ かっぽれ あまちゃで かっぽれ
というこの「かっぽれ」とは何のことでしょうか?
あまちゃでかっぽれ、の次は何でしょうか?
これらのことを書いてある本(下記)から、一部抜き書きで紹介いたします。
「かっぽれ」の語源に「私しゃお前に活惚(かつぽ)れた」が通説な様ですが、その本の著者は、否定しています。
そして、「梅后流・江戸芸かっぽれ考」に「かっぽれ」は「万延(1860年)以降、横浜港崎遊郭から流行りだした大道芸で、住吉踊り、川崎音頭、深川節などに掛け合い茶番などを加味した混成品であるが、その節調からいえば、天保年度(1830−1844年)に流行った鳥羽節の後身であるという。」と書かれていると紹介しています。
明治34年「路上取り締まり規則」などにより大道芸はやがて宴席の芸と化していったらしいのです。
「かっぽれ」はまた、港街の「遊郭」からその流行が始まったということです。
「かっぽれ」の歌詞を照らし合わせると、紀伊国屋文左衛門
(みかんで儲けた人)となんらかのつながりがあるというのです。
江戸芸かっぽれの歌詞
(前奏)
(かっぽれ かっぽれ ヨーオイトナ ヨイヨイ)
沖の暗いのーにー白帆が(サー)見ゆる(ヨイトコリャサ)
あれは紀伊の国 ヤレコノ コレワイサノサ(ヨイトサッサッサッ)
みかん船じゃえー
アーみかん船 みかん船じゃ サー見ゆる(ア ヨイトコリャサ)
あれは紀伊の国 ヤレコノオ コレワイサノサ(ヨイトサッサッサッ)
みかん船じゃえー
(間奏)
命がけの紀州みかん運びに募られた有志たちは、大そうな賃金を得たでしょう。
この男たち大勢が、一挙に女、女といい出せば、女は底をついてしまいます。
「カッポレ(;帰りなさい)、カッポレ(帰りなさい)、アマチャデ(アマ;女、;ふさがっている=もう女はいないよ)、カッポレ(帰りなさい)」という韓国慶尚道方言会話体だと説明がされています。
おそらく「かっぽれ」は「歌と信じられたことば、あるいは話の中の句節」ではないかと結んでいます。(踊りのしぐさも他の舞踊に見られない独特の振りがあるとか・・)
奇妙な日本語だと思っていましたが、ルーツが韓国にあったようですね。
李寧煕(イヨンヒ)著 「フシギな日本語」 を参考にしました。
(1997.10.11記)
第68話.嘘という漢字
嘘という漢字のいわれを書いた本(下記)を見つけましたので紹介します。
本によれば次の通りです。
狩猟・採集時代でも農耕・遊牧時代に発展してからでも、ヒトの生活の基盤は同一集団にありました。
危険防衛についても、集団全体で、敵とか猛獣の襲来に対して備えていました。
「狼少年」、あの嘘つきの見張り少年の物語を子供の頃聞かれた人もおられると思いますが、この物語、古代エジプトの童話が原典だったのです。
見張り台にいた少年は、退屈でたまりませんでした。と、椰子の葉かげにチラット獅子のたてがみが動いたように見えたのです。
少年は大声で「ライオンが出た。」と叫びました。警報で馳せ参じて来た村の大人たちは、「どこだ どこだ」と東西南北駆けめぐりました。が、獅子は、どこにも見あたりません。大人たちはブツブツ云いながら帰りました。
それから数日たって、同じ少年がまた見張り役になりました。少年は例により退屈の虜となり、先日の「高見の見物」の面白さがよみがえり、「ライオンが出た」と大声で叫んだのです。アチコチ探し回る村の大人たち。少年は舌をペロット出しました。
その後、見張り台勤務が、また、例の少年に回ってきました。しかし今度はライオンが実際に現れたのです。少年が何と叫ぼうが、村の大人たちは、誰一人駆けつけてきません。少年はライオンに食べられてしまいました。
「嘘をつくな」の英語は、Don't tell a lieといいますが、ライは「獅子」のライアン[lion]から派生した言葉です。
嘘の字は、エジプト童話からの中国化でした。左側の口は「云う」の意味を表し、右側には虎の字と下に見張り台を表す字とを組み合わせています。
ライオンの棲む地域はインドまででそこから東は虎でした。インドの梵語では「シムハ」または「シンガ」という言葉がライオンと虎の双方の意味に使われていました。
シンガ・ポールのシンガは「獅子」の意味です。
以上が本にのっていた嘘の字の紹介ですが、「あぶない」は英語の「目を持て、(Have
an eye アヴァナイ)は日本語の「あぶない」によく似ているとか、そのほか恐怖、危険、おそろし、などについてもシュメール語がルーツではなかろうかなどの記述がありますが、割愛させていただきます。なお狼少年の狼とライオンの関係は書いてありませんが、怖い動物との意味合いを持たせているのではないでしょうか。
川崎 真治 著 「日本語の語源」を参考にしました。(1997.10.23記
)
第69話.ヒト・フタ・ミ・ヨ
昔海軍では、0をマル、1をヒト、2をフタ、4をヨンと読み、例えば午後2時20分のことを、14:20(ヒトヨンフタマル)と、24時間制を使い独特の読み方で、云い間違い聞き間違いを防止しました。
日本語の数詞には、漢語系の「イチ・ニ・サン・・・」、英語系の「ワン・ツー・スリー・・・」、マージャン用の「イー・リャン・サン・・・」などがありますが、「日本語の源流」の本に表題の「ヒト・フタ・ミ・ヨ」のことが出ていましたので、紹介します。
本によると、日本語本来のものは「ヒイ・フウ・ミイ・・・」だそうです。
日本語の記録に残る「1」から「10」までの最古の形は、
「ヒト・フタ・ミ・ヨ・イツ・ムユ・ナナ・ヤ・ココノ・トヲ」であり、本の著者がさらに古い数詞の祖形を理論的に推定した結果は、次のとうりであります。
「ヒト・フタ・ミイ・ヨヲ・イ・ムユ・ナナ・ヤワ・ココノ・トヲ」この体系を、是が非でも南島語と結びつけようと研究を重ねた結果
fito' 1, miyi 3 , yo'wo'4
futa 2, muyu 6, yawa 8 と 並べてみると数詞のうち3対は、1の2倍の2と、3の2倍の6と、4の2倍の8と、それぞれある関係が成り立つことに気が付きました。
それは、i---u, o'---a, の母音の交代によって
、同じ形が倍の数値を表す仕組みになっています。このようなことが南島諸語のなかで台湾とニューギニアに例が見られるそうです。
これらのことが日本語の系統を解明するのに役立つと述べられています。
私は多くの学者が昔から日本語の起源の研究に取り組んでいることを知りました。
川本 崇雄 著 「日本語の源流」を参考にしました。( 1997.10.24
記)
第70話.狼というオオカミ
談話室 68 で「嘘という漢字」を書いたとき、狼と虎の関係がよくわかりませんが、怖い動物との意味合いを持たせているのではないでしょうか。と感想を述べておきました。
このことに触れた本(下記)を見つけましたので、その説明を紹介致します。
本に書かれている概要は下記の通りです。
カミ(神)は、kami の古形はkam-u と考えられ、第一の意味は、雷。第二の意味は虎とか、蛇とか、狐とかを指した。第三の意味は、場所、地域を領有する支配者。第四は、そのまま天皇を意味した。
またオホカミといえば「大きいカミ」であるが、これは狼である。カミは動物を指すことがしばしばあり、それらはみな畏るべき猛威をもつものである。
以上が説明文でありますが、カミは恐るべき超人的威力を発揮する存在だということです。これでやっと、狼が日本では虎並みあるいはもっと怖い存在だったと理解出来るのではないでしょうか。しかし、エジプトでの狼少年物語を狼と訳した人のことは私にはわかりません。
大野 晋 著 「日本語の起源」を参考にしました。(1997.11.2.記)
第71話.わらべ唄「お月さん幾つ」
私が小学生の頃、歌ったり、耳にしたことがあったわらべ歌の解説本に出会いましたので紹介いたします。歌詞
お月さん幾つ 十三 七つ
まだ年ア若いね あの子を生んで
この子を生んで 誰(だあれ)に抱(だ)かしょ
お万に抱かしょ お万はどこ行った
油買いに茶買いに 油屋の前で
すべってころんで 油一升こぼした
その油どうした 太郎どんの犬と
次郎どんの犬と みんな舐(な)めてしまった
その犬どうした 太鼓に張って 鼓に張って
あっち向いちゃドンドコドン
こっち向いちゃドンドコドン
たたきつぶしてしまった(東京)
だそうです。
私は最初の三行位は知っていましたが今全文を見せられると色々疑問が湧いて来ます。
古謡の中でもこんなに広く且つ古くから諸書に散見されるのにその発生・起源については詳らかではないそうです。
この唄は元来、陰暦八月十五日の中秋の名月などを観て歌ったものが、その叙事形式の歌が好まれて次第に子守唄や影ふみ唄・手毬唄などにも転用されたものと思われているそうです。
月を若い女性に見立てて、これを嫁入りさせたり、子を産ませたりしている点は全国共通だそうです。ただ、十三七つのところが、(大阪、和歌山、奈良)では十三一つ、(島根、鳥取、岡山、広島、山口、香川、愛媛)では十三九つというのがあるとのことです。俗説に、十三七つを、合計すれば二十の年盛りを意味するというふうにも解釈されていますが、それも一説であろうとのことです。
月齢について藤沢衛彦氏は、歌詞の変遷からみて、十三一つがもっとも古くそれが十三七つ、十三九つとなったのは江戸中期ではなかろうかと言っています。
つまり十三一つは十五夜の満月に対して、まだ月齢の若いのをいったので、それが「十七節」という流行歌が諸国に流行する頃ただ何となく「十三七つ」と呼び変えられたのか?或いは琉球八重山群島の子守唄に、(月ノ美シノハ十三日、乙女ノ可愛イノハ十七才)というのがあり、いつしれず、十三七つとなり、更に諸国を流れわたるうちに、十三一つとなり、十三九つと変化したとも考えられないこともないと述べています。
浅野建二著 「新講わらべ唄風土記」を参考にしました。 (’1998.1.22.記)
第72話.わらべ唄「花いちもんめ」
「子取り遊び」の一種に「花いちもんめ」があります。
歌詞
勝ってうれしい 花いちもんめ
負けて悔しい 花いちもんめ
向かいの誰かさん ちょっとおいで
向かいの誰かさん ちょっとおいで
下記の本によると京都あたりを中心に全国に普及したもので、明治期の文献にも出ていないところを見るとあまり古い唄ではなく、近年の唄のようであると紹介されています。
私の記憶によると、昭和10年前後呉の小学校で過ごしましたが、上記歌詞の前に「どの子が欲しい、あの子が欲しい、あの子じゃわからん、○○ちゃんが欲しい、」と言ったように思います。本には、この言葉はのっておらず、「全国でいろいろと変化している。」と紹介されています。
東北地方では、「雀(すんずめ)雀ほしんじょ(欲しいの意)」が一般的でこれは向かい合った二列が、唄に合わせて前へ行ったり、帰ったりして遊ぶのですが、「花いちもんめ」より古くからあったようです。
また別の形の「子取り遊び」では、一人が鬼になり、他の子供達は互いの帯の結び目に掴まり縦列体形を作り、一番前列の子供が大手を拡げてうしろの子供をかばう。鬼になった子が、その子の前に立って、「子をとろ、子とろ、どの子をとーろ」といい囃すと、「ちっちゃいとって、みーさいな」といいながら、一番後列にいる子を掴まえようとするのを、先頭の子が、鬼に子をとらせまいとして、右に避け左に避けして鬼を防ぐという形がありました。これは、平安朝時代の古い童戯で、「地獄の鬼が子どもを捕りにくるのを、地蔵菩薩が賽の河原で子どもを守る」の意味だそうです。
この遊びは、囃しことばを何と言ったか記憶はありませんが遊んだ覚えはあります。わらべ唄の意味もわからずに子どもの頃は遊びましたが、今色々本を読むとああそうだったのかとうなずけるものです。
浅野建二著 「新講わらべ唄風土記」を参考にしました。(’1998.1.28.記)