令和時代の始まり

〜 新たなる気持ちで 〜



いよいよ令和の時代が始まった。
昨晩は大晦日の夜のように、友達と「明けましておめでとう」なんてラインを交換したりして盛り上がった。
なんだか新しい気分で清々しい

面白かったニュースとしては、改元を祝って大阪の道頓堀川へ飛び込んだ人が観光船に激突した事件だ。道頓堀川への飛び込みは、阪神タイガースが優勝した時によく見られるほか、2002年に日本でワールドカップが開催されたとき、大阪の長居スタジアムで日本がチュニジアに勝ったときも、次から次へと色んな人が飛び込んでいた。試合を見に行っていた私も、飛び込むつもりで現地に行ったんだけど、娘に強く止められて諦めたのが、今でも心残りだ。
でも、さすがに船に飛び込むのは避けたい。たまたま緩衝用のタイヤが積まれていたところに落ちたため、大きな怪我は無かったようだけど、一つ間違えたら大怪我だ。道頓堀川に飛び込むときは、少なくとも船が来てないか確かめよう。

このように気分も良いし楽しい改元なんだけど、これにケチを付ける人達もいる。
泡沫政党の社民党が「『令』は『命令』の『令』であり、安倍政権の目指す国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」なんていうトンチンカンで恥ずかしいコメントを出したことは、前回の記事でも紹介したが、キリスト教の関係者も理不尽なイチャモンをつけている
プロテスタントやカトリックなど国内のキリスト教の教団や教派団体
  ・天皇代替わりの一連の儀式を国事行為・公的行事として行うことは、憲法上、国民主権の基本原理や政教分離原則に違反し、国家神道の復活につながる。
なんて主張をしているのだ。

はっきり言って頭が悪いのか、そうでなければ嫌がらせだ。
なぜ頭が悪いのかと言えば、彼らは
  ・一連の儀式は、神道神話に基づく神器を引き継ぐ儀式であり、天孫降臨神話に基づき天皇が生き神の性格を帯びる意味を持つため、これらの儀式を国事行為として行うことが政教分離原則に違反する。
なんて言ってるんだけど、今どき、こんな儀式を行ったからといって「天皇は生き神だ」なんて思う人がいると思うのか?あり得ないだろう?
これらの儀式は、確かに神道的な儀式ではあるけど、単に伝統的な儀式に過ぎない。国民にとっては、宗教的な意味合いなんて無い。これらの伝統的な儀式を行ったからと言って、国民には何の影響も及ばない。それなのに、キリスト教徒たちは、このような単なる伝統的な儀式が政教分離に反していると思ってるんだろうか。もし本気で思ってるのなら、彼らは頭が悪いってことだし、そうでなければ悪質な嫌がらせだ。

まさか全てのキリスト教徒が、こんな愚かな考えを持っているとは思いたくないが、こういう愚かな言動を聞くと、キリスト教徒ってのも救いがたいなあと思う。イスラム教徒と、どっこいどっこいだわ。

(2019.5.1)



〜おしまい〜





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