強盗殺人犯のペルー人の死刑が破棄

〜 腐りきった日本の裁判官を許すな! 〜



埼玉県熊谷市で4年前に住宅3軒に次々と侵入し、小学生姉妹を含む男女6人殺害した強盗殺人犯のペルー人の裁判において、一審のさいたま地裁裁判員裁判では理性的な死刑判決が出ていたのに、東京高裁は控訴審判決で「被告は心神耗弱の状態だった」などという意味不明の理由により、一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した

一審では、犯人が統合失調症だったことは認めた上で、被害者のバッグを物色して現金を抜き取っていたことなどから「金品を得ようとする現実的な目的に沿った一貫したまとまりのある犯行だった」と断定し、統合失調症による妄想の影響は限定的として完全責任能力を認め、求刑通り死刑を言い渡した

ところが、腐りきった東京高裁は、犯人が遺体を隠したり血を拭き取るなどの証拠隠滅行動を繰り返していたことから「自発的意思も残されており、違法性も理解していた。犯行は妄想や精神的な不穏に完全に支配されていたとは言えない。強固な殺意に基づく残忍な犯行で、6人の命が奪われた結果は誠に重大。責任能力の点を除けば極刑で臨むほかない」としておきながら、「心神耗弱による法律上の減軽をした上で無期懲役が相当」などと訳の分からない理由を述べている。心神耗弱なら何人殺害しても構わないって事だ。
犯人は被害者を殺害した後、金品を盗んでいるのだから、心神耗弱による被害妄想なんて事はあり得ない。あまりにもひどい判決だ。

このような裁判所の異常な判決がまかり通るのは、司法の世界が誰の干渉も受けずに好き放題やれる独裁体制だからだ。三権分立だなんて幼稚な考えが、さも当然のように蔓延しているが、そもそも非常におかしな思想だ。三権のうち立法と行政は国民の意思が反映されるが、司法には国民の考えが全く反映されない。裁判官どもの好き勝手し放題の独立王国だ。頭の偏った奇人どもが支配する世界だ。

それじゃあ駄目だったことで10年前に導入されたのが裁判員制度だ。腐りきった裁判官どもから市民の手で良心的な裁判を取り戻そうという制度だ。
その趣旨を尊重するために、最高裁は「二審では明らかに不合理でない限り、一審の裁判員の判断を尊重すべきだ」って判断を示している。当たり前だ。そんな簡単に二審でひっくり返っているようでは裁判員制度の意味が無くなってしまう。

それなのに、裁判員制度により下された死刑判決が二審でひっくり返されるケースが多発しており、今回で6件目になる裁判官どもは自分たちの基準を死守しようとしているのだ。
裁判員は素人ではあるが、一審の法廷で精神科医の解説を聞き、被告を観察した上で、「被告は善悪を見極めることができた」と判断しているのだ。それを二審の東京高裁の腐りきった裁判官は自分たちの築き上げてきた価値を守るために市民の声を無視したのだ。

被害者の遺族は「死刑判決がひっくり返ることはないと思っていたので、家族に何と報告していいのか言葉が見つからない。家族を失った日と同じ気持ち。家族にどう顔向けしていいか分からない。どうにか踏ん張ってきたが、またやり直し。生きる気力が湧かなくなってきた。犯人がこのまま無期懲役であれば、私が解放して殺しにいきたい」と話している。当然の気持ちだ。そして、さらに「同じ立場だったら、納得できるかと裁判官を怒鳴りつけたい。裁判官に怒りと憎しみがある」とも話している。本当にその通りだ。
私は当事者ではないが、今回の常軌を逸した判決を下した東京高裁のキチガイ裁判官にはらわたが煮えくり返る思いだ。
世の中の正義を守るため、このようなキチガイじみた判決を平気で出すような裁判官は絶対に許すことはできない。北朝鮮に島流しにして欲しい。

(2019.12.6)



〜おしまい〜





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