やまゆり園大量殺戮犯の死刑判決

〜 人々の心に潜む闇 〜



神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園入所者19人を殺害した犯人に対し、横浜地裁が死刑判決を言い渡した。
1人でも人を殺した場合は、相手に非が無い限り、例外なく死刑にするべきだと考えている私にとって、あまりにも当然の死刑判決だ。これが死刑にならなかったら、死刑制度の存在意義が根底から覆ってしまう。
裁判官も「19人もの人命が奪われた結果は他の事例と比較できないほど甚だしく重大」だと言ってる。当然だ。

今回の裁判では、事実関係に争いはなく、争点は刑事責任能力の有無や程度だった。もちろん私は、責任能力なんて曖昧なものは考慮すべきではなく、人を殺した場合は、相手に非が無い限り、あくまでも例外なく死刑にするべきだと考えている。
しかし、世の中にはびこる悪徳弁護士どもは、自分の金儲けのために、殺人犯を「責任能力が無い」などという詭弁で死刑から逃れさせようと必死になっている。今回の殺人犯の弁護士も同じで、「大麻を長期間、常用したことで精神病を発症し、異常な思考に突き動かされた」なんていう理由をでっち上げ、心神喪失や心神耗弱による無罪や刑の減軽を求めていた。

これに対して、理性ある裁判官は「大麻が犯行に影響を与えたとは考えられない」と退け、犯人が障害の重い利用者を選んで殺害したことや、刃物や職員を拘束する結束バンドを事前に準備したことなどから「状況を的確に認識し、目的に即した柔軟な対応ができている」と判断し、完全責任能力があったと結論付けた
犯人は控訴しない考えを示しており、一審で死刑判決が確定する可能性がある。そうなると、これで裁判は終わりだ。いたずらに裁判を長引かせることなく、さっさと死刑にして欲しい。

ところが、これで裁判が終わってしまう事に対して批判的な人がいる。今回の裁判では「なぜ犯人が大量殺戮を行ったのかという理由が解明されなかった」というのだ。
裁判官は、犯人の犯行動機が「重度障害者は不幸であり、重度障害者を安楽死させ、金を他に使えるようになると世界平和につながり、このような考えを示した自分は先駆者になれる」というものだったとしている。たぶん、そうなんだろう。
そして、そのような考えを持つに至った背景として、やまゆり園で勤務してるうちに、障害者である利用者が噛みついたり奇声を発したりするのに接したことや、家族や職員の態度を見て、そういう考えを持ったと指摘している。これも、たぶん、そうなんだろう。
裁判官は「犯人の考えは是認できないが、それ自体は実体験を踏まえた発想として了解可能であり、病的な飛躍があるとはいえない」としている。私もそう思う。
これで犯行理由は分かったと思うんだけど、裁判を批判している人は、犯人の発想が理解できないのかもしれない。

しかし、犯人の発想は、それほど特異なものだろうか。犯人の犯行は、現代社会においてはあまりにも衝撃的だけど、少し前なら世界中で見受けられた発想だ。ナチスドイツは国をあげて障害者を抹殺した
日本だって、ほんの少し前まで障害者らに不妊手術を強いた優生保護法が存在していた。現在、急速に普及が進んでいる生まれる前におなかの赤ちゃんの状態を調べる出生前検査も同じ発想だ。そして、実態として、染色体異常が見つかった人の大半が人工妊娠中絶を選んでいる。
現実に生まれて生きている障害者を殺戮するのと、お腹の中の赤ちゃんを中絶するのを一緒にするなと言われそうだが、完全に別ものだろうか。
今回の犯人だけが極めて特異な存在だとして片づけるのではなく、我々の心の中には、そういう闇が潜んでいる事を前提に社会の在り方を考えていく必要があるのではないだろうか。

(2020.3.16)



〜おしまい〜





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