東京オリンピック作曲担当者の辞任

〜 永遠に非難されるのか? 〜



東京オリンピックの開会式の作曲を担当していたミュージシャンの小山田圭吾が辞任に追い込まれた
理由は、障害者の同級生をいじめていた過去を雑誌で告白していたことが問題視されたためだ。

彼は1994年1月発行の音楽雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」や1995年8月発行のサブカル誌「クイック・ジャパン」の「いじめ紀行」の中で、過去のいじめを告白していた
その内容は次のようなもので、かなり嫌な感じのものだ。

 ・全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ
 ・掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。すぐ泣いてうるさいから、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばした
 ・マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバいよね、きっとね
 ・だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ。僕はアイディアを提供するだけでさ

いじめが原因で自殺したような人の報道を見ると、似たような事をされたのが原因で自殺したってな話が出てくるが、確かに、ここまでやられると自殺もしたくなるだろう。

なので、こういう事をやっていた小山田が辞任させられても不思議ではない。それほどおかしいとも思わない。
恥ずかしながら、小山田の音楽に関しては、ほとんど何も知らないので、辞任が音楽的に惜しい事なのかどうかは判断できない
なので、要するに、私としては、全くどうでもいい

ただし、彼がいじめ行為を行っていたのは、はるか昔の事だ
雑誌にインタビューが掲載されたのが20数年前で、実際にいじめをやっていたのは小学生や中学生の頃だから40年くらい前の事だ。
確かに、かなり悪質ないじめではあるが、40年も前の行為を批判されるってのは、いかがなものか。
いくら悪質だからと言って、中学生の頃の行為を50歳を過ぎても批判されるってのは、いかがなものか。
若い頃に暴走族なんかで悪さをしまくっていたような連中は、一生、罰を受けろというのか。

もちろん、それならそれでもいい。いくら若い頃の行為であっても、悪質な事をしていた連中には一生罰を与えてもいい
だが、それなら、ちゃんと法律を作って不平等の無いように、公平に罰を与えて欲しい
今の法律では、未成年者は犯罪を犯しても少年法だとかに守られて、うやむやになって、のうのうと生きている
未成年者でも、悪質な罪を犯した者は徹底的に罰して欲しい。

(ピッグ)「幹事長も昔はいじめっ子だったんでしょ?」
(幹事長)「何を言うか!私がいじめていたのは幼稚園の頃だけや」
(ピッグ)「言い訳になってませんがな」


幼稚園の時に、1人だけ気に食わないやつがいて、そいつをいじめていたのは確かだ。
でも、そいつのおばあちゃんが幼稚園に怒鳴りこんで来て、校庭を追い回されて、とてもとても怖い思いをして以来、いじめるのは止めた。

(幹事長)「かわいいもんやろ?」
(ピッグ)「おばあちゃんが来なかったら、ずっと続いてたんですね」


今回の辞任劇について、「このような人を採用した組織委員会は危機管理ができていない」なんていうトンチンカンな批判をしている人もいる。
しかし、40年も前の中学生の頃の悪行を把握しなければならないなんて、中国やロシアのような恐ろしい社会なら可能だろうけど、自由な国においてはあり得ないだろう。
そんな社会には住みたくないぞ。

(2021.7.20)



〜おしまい〜





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