自動運転車の恐怖

〜 百害あって一利くらいしかない 〜



東京パラリンピック選手村で運行されている自動運転車が、パラリンピック選手と接触事故を起こした
どんな事故かと言うと、自動運転車が選手村内のT字交差点を右折しようとした際に、横断歩道の前で一旦停止したあと再び発進し、視覚障害のあるパラリンピック柔道代表の日本選手に接触したというものだ。
気の毒に、この選手は接触によって転倒して頭などに全治2週間の怪我を負い、試合を欠場することになってしまった。

ここで私の持論である自動車の自動運転批判を一気に展開したところだが、実はちょっと不可解な事故だ。
自動運転と言いながら、一旦停止したあと再発進したのは手動なのだ。車内のオペレーターがジョイスティックで発進指示を出して再スタートしたところ、事故が起こったという。
メーカーは「パラリンピックの会場で、選手が目が見えないことや耳が聞こえないことへの想像力を働かせられなかった」と事故原因について説明しているが、あくまでも人間の判断ミスによる事故だ。
つまり、自動運転の危険性を示すものではないのだ。
偏見の塊のマスコミの見出しを見ると、あたかも自動運転車が勝手に事故を起こしたようなイメージを受けるが、何のことはない、ただの人間の運転ミスによる事故だ。

なので、本来なら、ここで私の持論である自動運転車批判を一気に展開できる状況ではないのだが、ドサクサに紛れて、自動運転車を批判します。
そもそも、私は世の中のあるゆるものがどんどん自動化されている事を憂いている。あまりにも危険だからだ。
なにも文明を拒む訳ではない。メリットと危険性のバランスが問題だと言ってるのだ。
余りにも技術が進みすぎて、何でもかんでも自動化されて便利になった反面、自動化技術は大きな危険性をはらんでいるからだ。

例えば、自動車の窓の開閉は、今や100%近くパワーウィンドになっているが、子供が間違って首でもはさまれないか、怖くて仕方ない。
ミニバンのスライドドアも自動のものが当たり前になってきたが、これも非常に怖い。一応、挟み込み防止センサーはついているが、実際に事故を防げるような代物ではない。
高級車では半ドアの状態からドアを自動的に閉めるイージークローザーが着いているが、ドアに指を挟まれて骨折するなどの事故が頻発している。

機械の危険性という事で言えば、もちろん、自動車そのものが大変危険な物だ。しかし、自動車そのものには、リスクと天秤にかけても十分すぎるお釣りがくる程のメリットがある
しかし、イージークローザーにそこまでのメリットは全くない。半ドアになったら閉め直せばいいだけだ。半ドアを閉め直すことも出来ないような奴は車に乗るなと言いたい。

それでも、このようなちょこざいな機能は致命的ではない。
しかし、自動運転になると致命的だ。恐怖の存在だ。
自動運転車の問題は、大きく3つある。

1つ目は、誤作動だ。
最近の自動車には、前を走る車にぶつかりそうになったら自動的にブレーキがかかるような仕組みが実装されている。
しかし、これに慣れ過ぎて機械を信頼し過ぎるのは狂気の沙汰だ。機械が自動的にブレーキをかけてくれると信じ込んで、いい加減な運転をし始めるのが怖い。
機械的な故障もありうるし、システムの誤作動もありうる。
コンピューターに制御されたシステムは、完全なブラックボックス化しており、バグが無いとは誰も言いきれない。しかも、バグがあっても事故が起きるまで誰も分からない。
こんなものに頼って油断していて、もしうまく作動しなかったら、おしまいだ。即死の危険性がある。

また、停まって欲しい時に停まらないのも困るが、逆に、とんでもない場面で急ブレーキがかかってしまうのも怖い
うちの2台目の車も、前に障害物があると自動で急ブレーキがかかってしまうのだが、そのために怖い思いをした事がある。
私がいた車線が渋滞で停まってしまったので、隣の空いているレーンに移動しようとしたら、前の車との間隔が狭かったために急ブレーキがかかってしまい、隣のレーンに頭だけ出したところで動かなくなってしまった。
隣のレーンには後ろの方から車が走ってきてたが、素早く移動できていれば安全な距離だったのに、私の車が急停止してしまったため、危うくぶつかられそうになった。
こういう邪魔な自動ブレーキシステムは事故の元だ。余計なシステムは付けないで欲しい。

2つ目の問題は責任の所在だ。
自動運転車が交通事故を起こした場合、誰が責任を取るのか、分かりにくい。
運転者に責任があるのか、作った自動車メーカーに責任があるのか、システムの管理者や道路の管理者に責任があるのか、全くはっきりしない。
メーカーとしたら、少しは運転者にも責任を持って欲しいだろうが、運転者としては100%メーカーに責任をとって欲しいだろう。
これは恐らく永遠に解決されない問題だ。

そして3つ目の課題は道路を含めたシステムの整備だ。
今でも新しい車には、道路上に引かれた車線ラインを識別して、ラインをまたいで走ってたり路肩にはみ出したりしたら警報が鳴るようなシステムが付いている。
なので、その延長で自動運転なんて簡単に実現できるような気がする。
しかし、実際の道路を見れば分かるが、車線のラインなんて擦り減って消えまくっている。田舎の道の話をしているのではない。高速道路だって似たような状態だ。
また、ちょっと工事があれば、ラインはすぐ消される。さらに、田舎の狭い道なら最初から車線なんて無い道も多い。
そんな場所を走れない自動運転車では役立たずだ。ちゃんと整備された道しか走れないのなら、もう電車に乗れよ、と言いたい。どんな場所へでも移動できるからこそ車の意義がある。
もちろん、全ての道路が自動運転車を使えるように整備されればいいが、そんな事は未来永劫不可能だろう

つまり、自動運転車が実用化される日は永遠に来ないと断言できる。

(2021.8.31)



〜おしまい〜





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