緊迫するエチオピア内戦

〜 ティグレは勝利するのか 〜



エチオピア中央政府軍と北部ティグレ州政府を率いるティグレ人民解放戦線(TPLF)の内戦の情勢が大きく変わった

このエチオピア内戦の勃発については、ちょうど1年前に記事にした
エチオピアアフリカの東部に位置する国で、南にケニア、西にスーダン(スーダンのうち南部は南スーダンとして独立した)、東にソマリア、そして北には1991年にエチオピアから独立したエリトリアがある。
エチオピアは人口約1億人で、約2億人のナイジェリアに次ぎ、エジプトやコンゴと並ぶ地域大国でもある。

アフリカ諸国の大半は、かつてヨーロッパ諸国が分捕り合戦して植民地化して好き勝手に引いた国境によって形成された新興国家だ。そのため国境と民族との関連性が薄く、根本的に多くの民族紛争の種を抱えている
1つの国の中に多種多様な民族が暮らしている一方で、同じ民族が複数の国に分かれて暮らしている。アフリカ諸国では紛争が尽きないが、その大半は民族紛争だ

その中で、エチオピアはアフリカ最古の独立国であり、現存する世界最古の独立国の一つでもあるから、他のアフリカ諸国とは格が違う。
エチオピアには古くからいくつかの王朝が栄えてきたが、近代のヨーロッパ諸国の侵略にも耐え、黒人国家で独立を守り切ったのだ。
とは言え、やはり国内に民族紛争の種は抱えている。国民の大多数は黒人とアラブ人の混血と推定されているエチオピア人種が大多数を占めているが、その中で数多くの民族集団が存在する
最大の勢力はオロモ人で34%を占め、次にアムハラ人が27%を占め、その他ティグレ人6%、ソマリ人6%などが続く。

近代の歴史を見ると、第二次世界大戦の直前にイタリア軍に占領され、一時的にイタリアの植民地となったが、イタリアの敗北により再び独立した。
その後、エチオピアは北に位置するエリトリアと連邦を組み、1952年にエチオピア・エリトリア連邦が成立したが、このエリトリアがそもそもの大きな問題の種だった。
いったんは連邦を形成したものの、1962年にエチオピアはエリトリアを併合してしまった。
その後、エチオピア国内は各民族による反政府闘争や旱魃などにより混乱を極め、軍のクーデターによる帝政の打倒や、中国やロシアの介入などによる紆余曲折を経て、エリトリアの独立を目指すエリトリア人民解放戦線(EPLF)とティグレ人民解放戦線(TPLF)が手を組んでエチオピアで政変を起こし、政権を獲った
その結果、エリトリアは1991年に独立を果たしたが、ティグレはどうなったかと言えば、TPLFを中心とした反政府勢力がそのまま政権をとってしまったから、ティグレを独立させるという事なんて発想はなく、エチオピア全体をティグレが支配してしまった

また、それまでの経緯を考えると、TPLFを中心とするエチオピア新政府とエリトリアの関係は良好になったように思えるが、そうはいかなかった。
いったんは正常化した両国の関係だが、沿岸部のエリトリアの独立により内陸国となったエチオピアによるエリトリア国内の港湾の使用料の交渉が難航したことなどから、両国の関係はふたたび悪化し、国境線が未確定のままだった地域を巡る紛争が勃発した。

その後、エチオピア政府はティグレのTPLFが長らく主導権を握っていたが、それに対して他の民族の不満が大きくなっていき、中でもエチオピアで最大の人口を抱えるオロモ人との対立が激しくなってきた。
オロモ人が多いオロミア州の分離独立を目指す過激組織も現れ、エチオピア政府はテロリストとみなして苛烈な取り締まりを行なったりもした。
それでも他民族の不満を抑えきれなかったエチオピア政府では、それまでティグレ出身者に握られてきた首相ポストに2018年にオロモ人のアビィ首相オロモ人として初めての首相に就任した
これにより、エチオピア政府内でのティグレとオロモの力関係が逆転し、それまで30年間にわたって政府を支配してきたTPLFは、アビィ政権下では政治の中枢から排除された

アビィ首相は敵(ティグレ)の敵であるエリトリアとの関係正常化を進め、戦争状態を終焉させた。アビィ首相はこの功績により2019年に悪名高いノーベル平和賞を贈られた
一方、TPLFはエチオピアでの主導権を失ってティグレ地域に引きこもった
ティグレ州はエチオピア北部にあり、エリトリアと接する地域だ。面積は約8万5千km2だから北海道とほぼ同じ、人口も500万人ちょっとで北海道とほぼ同じ。面積も人口も北海道とほぼ同じで分かりやすい。
当然ながらTPLFはエチオピア中央政府との関係が悪化し、そして遂に11月になって内戦が勃発した。かつてTPLFからテロリストとして弾圧されたオロモが、政権を握って逆にTPLFをテロリストとして弾圧を始めたのだ。

この内戦に対し、アビィ政権のエチオピアと関係を正常化したエリトリアはエチオピア政府の側につき、エチオピア政府と一緒にティグレを南北から挟み撃ち攻撃した。そのためTPLFはエチオピア政府だけでなくエリトリアとも戦争状態に陥った。
そして内戦初期は政府軍が優位に立ち、州都メケレを制圧して早々と勝利を宣言した。あれほど強力な軍事力を持っていたTPLFがいともあっさりと敗走したので大いに驚いた
そもそもTPLFは1991年にエチオピア中央政府を打倒した組織であり、現在も25万人規模の兵力があるとされているから、そんなに簡単に負けるとは思わなかったからだ。

なので、そうは簡単には終わるまい、絶対にTPLFの反抗があるはずだ、と思っていたら、やはりTPLFは強かった。取りあえずはゲリラ戦を継続していたが、今年6月には攻勢を強め、州都メケレを奪還した
エチオピアとエリトリアの正規軍に封鎖されて山岳地帯でゲリラ戦を続けていたTPLFが、こんなに早期に州都メケルを奪回したのは驚きだった
エチオピア軍は兵員の規模や装備、補給の面で圧倒的に有利であり、空軍力も動員するなど、そんなに簡単には反撃できないだろうと思われていたからだ。
地の利を知り尽くしたティグライ人の勇猛果敢さが勝因とも言われるが、内戦初期のあまりにも早い政府軍の勝利と言い、僅か半年後のTPLFの反撃と言い、理解しにくい。もしかして、どっちも大した事ないのかもしれない。

さらに分かりにくいと言うか、理解不能なのは、TPLFが、かつてテロリストとして弾圧したオロミア州の反政府武装集団オロモ解放軍(OLA)とも連携して政府軍を南北から挟み撃ちにしようとしている事だ。
エリトリアと言いOLAと言い、一体もう誰が敵で味方か訳が分からない。

よく分からないままTPLFの反撃は続き、ティグレ州に隣接するアムハラ州やアファール州にも手を広げ、首都アディスアベバまで400kmに迫る要衝2ヶ所を制圧し、首都進攻も辞さない構えとなった
これに対して政府側は、全土に非常事態宣言を出したうえ、首都の住民に対し武装して警戒を強めるよう指示した。警戒するのは良いとして、住民に対して武装を呼びかけるなんて、もう尋常じゃない。
さらに「兵役可能な年齢の市民は誰であれ軍が徴兵可能」となり、また「全住民は地区ごとに組織されて治安部隊と協力しなければならない」と指示されており、完全に住民総軍隊化だ。

ティグレ紛争は少数民族のティグレ人を多数派のオロモ人が抑圧している構図だと捉えると、ティグレを応援したくなるが、このように非常に複雑な構造だ。
ティグレは決して可哀そうな少数民族ではなく、長年エチオピア全体を支配していた強力な勢力だ。なので、単純に同情すべき立場ではない。決して、少数民族に対する単純な抑圧と捉えてはいけないのだ。
また、エリトリアと言いオロモ解放軍(OLA)と言い、あっさりと敵味方が入れ替わり、野放図に見境なく戦っている姿を見ると、どちら側にも正義は無いって事が良く分かる。

なので、第三者的な間違った理念や正義感による捉え方をするのは大間違いだ。この内戦は、純粋に野次馬的に楽しまなくてはならない。
ティグレが再びアビィ政権を打倒するのか、それともアビィ政権がまたまた逆転するのか、さらにエリトリアやオロモ解放軍などの無節操な勢力が入り乱れてどうなるのか、もうワクワクして、大興奮でゆっくり朝寝もできない状態だ。

(2021.11.12)



〜おしまい〜





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