長野県知事選挙に思う

〜 地方民主主義のあり方 〜

(↑ すごい副題やね)



長野県知事に作家の田中康夫が当選した。誠に喜ばしいことである。

本当は嫌いな田中康夫

しかし、何も僕は長野県に対して特別な思い入れが有るわけでもなけりゃ、田中康夫が好きなわけでもない。て言うか、田中康夫はむしろ嫌いだ。大嫌いである。人間的に生理的に嫌い。あのキザったらしい雰囲気に虫ずが走る。

彼が「なんとなくクリスタル」で世の中に華々しくデビューしたとき、非常に話題になったものだから、一応は手にとってパラパラと見てみたが、余りの内容の無さと浅薄さに呆れかえり、放り捨ててしまった。こんな駄文が賞を取るなんて、日本の文学界の凋落ぶりに唖然とした。同じ頃に、やはり話題になった村上龍や池田満寿夫も、それほど好きなわけじゃないけど、「限りなく透明に近いブルー」や「エーゲ海に捧ぐ」の圧倒的な存在感に比べれば、「なんとなくクリスタル」は幼稚園児の作文程度のレベルですな。その後の作家生活も見るべきものはまるで無く、こういう低レベルの人間が文化人面して生息している我が国の状況には歯がゆさすら感じる。ペンギンズのホームページの方が300倍は面白いぞ。

田中康夫については、人間としての嫌らしさと、作家としてのレベルの低さだけでなく、その行動にも大いに疑問がある。阪神大震災の時にボランティア活動を展開したらしいけど、あの当時、それこそ全国から多種多様な人々が集まり、様々な思惑と損得勘定でボランティア活動を展開していたので、田中康夫がどういうつもりでボランティア活動していたのか事情が分からないまま論評するのは控える。どう考えても100%損得勘定無しで純粋にボランティア活動をするような人種ではないから、何かしらの計算があったはず。でも、そもそも僕は100%損得勘定無しの純粋なボランティア活動というもの自体に、ものすごい胡散臭さと疑問を感じているので、その点は何ら問題としない。

自分勝手で無責任な行動

それよりも問題なのは、神戸空港の反対運動だ。これには怒りすらこみ上げてくる。
と言うと、僕が神戸空港推進論者みたいだけど、実は僕も神戸空港には絶対反対なんです。なんでかと言えば、そんなものにつぎ込む金があるのなら関西新空港に集中して欲しいのです。我々四国人も含めて、関西近辺に住む人間にとっては、関西空港がもっと発展して充実して欲しいのです。
そもそも、関西空港が出来たら廃止される予定だった伊丹空港が、今だに残っているという事実が許せない。あれだけ騒音問題を騒ぎ立てて伊丹空港の閉鎖をがなり立てていた地元自治体が、いざ関西空港が出来てしまうと、手のひらを返したように伊丹空港の存続を訴える。この支離滅裂な思考は一体何なんだ。こういう破廉恥な行動を見るにつけ、行政、特に地方行政のお粗末ぶりを感じてしまい、ますます行政不信に陥ってしまう。地方分権を推進しろなんて言うが、こういう地方行政の迷走ぶりを見るにつけ、とてもじゃないが、こいつらに任せるわけにはいかないっていう政府の心配はもっともである。
ちょっとエキサイトしてしまいましたが、とにかく、伊丹空港が残ったおかげで、関西空港はまことに中途半端なものとなった。多くの国内路線が伊丹空港に残ったままでは、関西空港は使いにくい。四国の例で言えば、伊丹空港路線が多く残ったがために、関西空港路線は四国各県共に1日2往復ずつしか無い。これじゃあ、海外便との乗り換えがとてつもなく不便なのよ。

この関西空港の悲劇は、成田空港と羽田空港の関係も同じで、国際線と国内線の乗り換えにバスや電車で2時間もかかるなんていう国は、世界でも日本くらいだよ。もちろん、例えばニューヨークやワシントンにも国際空港と国内空港が離れて存在する。でもこれは事情が全く異なる。海外から日本へ来る場合、最終目的地が地方都市であっても、ほとんどの場合、成田か関西空港に着いて、そこから羽田や伊丹に移動してから乗り換える。アメリカの場合、これはあり得ない。他の都市へ行くのなら、最初からそっちへ行っている。ある程度の都市なら、どこでも国際線で乗り入れることができるので、わざわざニューヨークやワシントンで国内線に乗り換える必要はない。
なにより腹立つのは、成田空港が不完全なまま何十年も過ぎようとしているのは、単に過激派が立てこもっているからなんじゃ。彼らは何も政府の空港行政に異議があって活動しているのではなく、単に活動拠点を確保しているにすぎない。活動拠点欲しさに、自分の事しか考えない超利己主義的な農家に協力しているにすぎない。それなのに、多くのバカ新聞を始めとする思考停止型マスコミが応援するもんだから、まるで彼らが正義の味方みたい。日本を除く世界の全ての国では、強制収用で何の問題も無くあっさりと片が付く程度の一件なのだが。

またまたエキサイトしてしまいましたが、僕が成田空港の体たらくに怒っているかと言えば、最近はそうでもなく、実は過激派さんに感謝したいくらい。なぜなら、成田空港が中途半端なおかげで関西空港の存在意義が増すからです。関西空港の存在価値が高まって路線が充実すれば、四国に住む我々も大いに利便性が増す。伊丹空港が廃止になり、成田空港も麻痺状態に陥れば、こんなハッピーなことはない。もし、成田空港に反対して妨害を続けている過激派を裏であやつっているのが、実は関西財界とかだったら、これはすごいもんです。ま、それはないか。

て言うことで、神戸空港なんて言う中途半端なものができると、ただでさえ伊丹空港が残って発展が阻害されている関西空港にますますの支障が生じるので、これは断固として潰さねばならない。
しかし、だからと言って、田中康夫の行動を受け入れることはできない。なぜなら、彼は完全なよそ者だからだ。地元の利害に全く無関係なのだ。そういう地元の発展に何の関心も無ければ責任も無い人間が自分勝手な情緒だけで地域開発の事に口を挟んでもらっては困るのだ。僕は神戸の人間ではないが、神戸空港ができると困るという明確な利害関係がある。もし仮に、神戸空港が出来ても関西空港の発展に何の影響も及ぼさないのであれば、僕は神戸空港に何ら反対しない。むしろ賛成したいくらい。選択肢が純増するのは大歓迎。そういった具体的な利害関係を持たない、田中康夫みたいな外部の人間にはとやかく言われたくない。

これは神戸空港だけの問題ではない。例えば徳島で問題になっている吉野川の堤防の一件も同じ。地元の人が賛否両論で争うのは結構。僕個人としては、あれは作ってどれだけのメリットがあるか不明な点が多いけど、あっても一害無しなので、国のお金で作ってくれるのなら取りあえず作ってもろたらえやないか、と思うのだけど、もし地元の人だけで冷静に議論して、その結果、反対する人が多ければそれは仕方ない。ところが地元で反対運動を繰り広げている中心は、神戸空港反対で活動しているようなよそ者部隊なのである。こういう連中は、その地域の事情なんてお構いなしに、建設省がやることはなんでもかんでも反対というスタンスで全国各地を荒らし回っているのである。よく物事がわかっていない市民は、こいつらの扇動にたぶらかされて情緒的に反対してしまう。
敵は建設省だけでなく、例えば原子力開発も標的となる。全国の原子力発電所立地地域で反対運動を繰り広げているのは、こういう外人部隊であり、それを必死こいて応援しているのが中央マスコミである。こういう連中は片っ端からしょっ引いてシベリア辺りの強制労働キャンプにブチ込みたい気分である。

しかし嬉しい勝利

だから、そういう活動をしている田中康夫は、人間的にも文芸的にも活動的にも、100%どころか300%くらい大嫌いなんだけど、それでも今回の長野県知事選に勝ったのは喜ばしい。何も、相手の池田候補が田中康夫以上に500%大嫌いだからではない。常識的には、素人の田中康夫よりも堅実な手腕が期待できるかもしれない。しかし、そういった田中対池田という個人の素養レベルの問題ではなく、民主主義のシステムとして、今回の田中康夫の勝利を、長野県とは何の関係も無い僕だけど、日本全国の他の地方自治への影響力を勘案するに、大いに喜ぶのである。

だいたい、県内の市町村長全員に池田副知事へ出馬要請させる、なんていう茶番劇を平気でやる無神経さ。一体、何様のつもりなんだ。たかが副知事の分際で。当然、県議会議員も大半が応援する。農協やら土建業界やら、業界団体もよってたかって池田候補を担ぎ出す。こういう下手な猿芝居を見せつけられると、仮にどんなに立派な候補であれ、普通の市民感覚なら反発したくなると思うのだけど、それが分からない感受性の欠落。
全国各地で繰り返されるこういう地方民主主義の現状を少しでも変えていく力として、その波及効果を期待すれば、今回の田中康夫の勝利は本当に喜ばしい。これは、だから、田中康夫の勝利ではなく、まさに一般市民感覚の勝利であり、行政手腕的にはもしかして有能だったかもしれない池田候補の官主導システムの敗北なんだ。

実は、高知県知事がまさに同じであり、昨年3期目に入った橋本大二郎が9年前に最初に当選したとき、対立候補はまさに同じく役人上がりの副知事であり、県議会も県内市町村も業界団体も、ほとんど全部が全部、副知事を応援していたが、選挙の結果は、圧倒的大差で橋本知事が勝った。
役人上がりの候補はいつも「行政を熟知している自分の方がよりよい県政を導ける」なんて訴えてきたけど、それは役人のとんでもない勘違いだ。役人は行政を熟知しているからこそ、何もできないのだ。県庁に40年も勤めていて、思い切ったことができるはずがない。行政手腕云々などと言うが、そんなものは副知事以下の役人に任せておけばよい。政治家に必要なものではない。政治家に求められるのは、思い切った政策の転換であり、役人や業界ではない一般市民の欲求に応えられる県政である。そんなことも分からないなんて、本当に役人の感覚には呆れかえる。

民間企業にも

話はそれるけど、民間企業はどうなんだ。
自分が興した会社ならともかく、会社だって行政と同様に、トップは従業員が成り上がるべきではないんじゃないか。資本主義の先生であるアメリカや西欧諸国では、取締役の大半は社外の人であり、経営トップは外部からスカウトされる。そりゃそうやわな。従業員上がりの社長が、株主の事を考えて経営するはずがない。全然儲からなくても会社は大きい方が嬉しいから不採算部門の切り捨ては進まない。なんと言っても大事なのは従業員だから人員整理には腰が重い。会社が大きくなって従業員も増えていけば、全然利益があがらなくても、なんとなくみんなハッピー。従業員上がりのサラリーマン役員ばかりでは、これは仕方ない。経済全体が順調なら、これでもさほど支障はないかもしれないけど、世の中の変動に対応して大きく変わって行かねばならぬ時に、これは致命的になる。
ダイエーの鳥羽社長がクビになった。インサイダー取引まがいの行為が問題視されたためだけど、とっくの昔の出来事が今になってスキャンダル化したのは、外部からスカウトしてきた鳥羽社長の思いきったリストラ策に中内オーナーが反発したためらしい。中内オーナーも辞任したものの、後任社長が生え抜きの高木氏では、今後のダイエーの蘇生は容易ではないだろうな。

(2000.10.30)



〜おしまい〜





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