納豆いやん

〜 わしは食わんぞ! 〜



私は納豆が嫌いです。
と言っても、生まれて一度も口にしたことがない訳ではないのよ。だから、食わず嫌いじゃありません。
一度だけ口にしたことがあるんです。

僕が子供の頃って、四国には納豆なんて、無かったと思います。どこにも売ってなかった。四国に、あなな物を食べる風習は無かったから、当然、地元で納豆を作る業者は居なかった。しかも、今みたいな全国チェーンのスーパーなんて無かったから、関東くんだりからわざわざ運ばれてくることもなかった。
ゆえに、子供の僕らにとって納豆とは甘納豆のことでした。

その後、大学に入って東京へ行きました。大学の寮に入り、朝食を食べようとすると、ちいさな発泡スチロールに入った納豆が出ました。それまで、噂には聞いていたけど、あんまり見たことがなかった納豆との初めての出会いです。それまでの知識では、納豆というのは、腐った豆、というイメージでしたが、だからと言って、それほど悪いイメージがあった訳でもないです。なんせ、実物を見たこともなかったし。
で、あんまり考えずに一口食べました
で、すぐに口から出しました
「これは、人間が食べるものではないぞ」
それで、死ぬまで二度と口にするのはやめておこうと固く心に決めました

その後、蔵王に行ったとき、茶屋で「納豆餅」なんていう美味しそうなメニューがあったので、うかつにも注文してしまったら、なんと、甘納豆ではなくて、腐った豆が餅にまぶしてあって、臭いをかいだだけで吐きそうになって店を出ました。

それから、学生時代は、夏休みの間、霧ヶ峰の山小屋でバイトをしてました。山小屋と言っても、大規模なもので、もっぱら大学の運動部が合宿に使ってました。それで全国の色んな大学の学生がやってきました。
朝食には、ここでも毎朝、納豆が出されました。で、その反応を見ると、関東の大学は7〜8割の学生が食べている。でも、名古屋以西の大学は、ほとんどが手つかずのままでした。みごとに東西で対応が分かれていました

結論から言うと、要は、納豆って腐った豆であって、食べる物が無かった寒い地方の人が、腐った豆でも、死ぬよりはマシだ、とばかり食べ始めたものであり、そこまで食物が貧乏でない西日本の人は、食べる必要がなかった、ということです。その後、だんだん関東辺りにまで普及したのでしょう。

食べる物が無い地方の人々が腐った豆を食べようが、腐った魚(クサヤ)を食べようが、我々食生活の豊かな西日本の人間がとやかく言う筋合いではないのですが、最近、困るのが、納豆の西日本への進出なんです。
最近、四国のスーパーでも、おかめ納豆のキャラであるおかめちゃんが店内を歩き回ったりしているのです。これは、そのかぶり物自身がちょっと不気味なのも恐いのですが、腐った豆を売りつけようとしている文化侵略の姿勢に我慢できません。我々は意志が強固なため、そのような文化侵略にも毅然として立ち向かうことができますが、何も知らない子供達に悪影響が及び、家庭内で、僕が納豆を頑として口にしないのに、子供らが平気で食べる、なんていう悲惨な事態が予想されるのです。

なぜ、今、納豆を糾弾するのか?
単に、昨晩、一緒に飲みに行った高知銀行の秋沢氏が、高知出身者でありながら、東京支店勤務時代に、寮のおばちゃんから無理矢理に納豆を食べさせ続けられ、今では納豆大好き人間になってしまったという話を聞いてムカついたからでした。

(2000.12.15)



〜おしまい〜





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