文部省の理科オンチ

〜 日本を滅亡に導く低能官僚たち 〜



学生の学力低下が指摘されだして久しい。
もちろん、問題になっているのは数学や理科である。大学生になっても分数ができないとか、信じられないようなレベルの学生がいるらしいけど、しかしまあ、どんなにバカでも贅沢さえ言わなければ、どこかの大学には入れる時代だし、大学生とは名ばかりの、よっぽどレベルの低い学生だろうから、それはどうでもいいかな。自分の人生が多少不便になるくらいで、世の中に迷惑はかけんわな。そういうバカが就ける仕事なら、電卓があれば事が足りるだろう。でも、例えば、生物を勉強しないで大学医学部に入る学生が多いとか、ちょっと困る事例も多い。

この学力低下問題の原因は、ゆとりの教育という名の手抜きである。要するに、学校で教える内容がどんどん少なくなっているのだ。詰め込み教育の反省だというつもりらしい。
しかし、詰め込み教育っていうのは、なんだか意味も無く、膨大な知識をやたら覚えさせるっていう事だから、これは歴史とか地理とか古文とか、そういう分野の問題ではないだろうか。英語も同じかもしれない。世の中に出れば、滅多に使わないような単語や文法をやたら覚えなければならない。確かに、文系の入試問題を作るとなれば、難しくしようとすれば、やたら細かい知識を要求するような問題にしなければならないから、詰め込み教育と丸暗記が避けられないかもしれない。受験者数の少ない国立大学なら、じっくりと論述式の課題で採点することも可能かもしれないが、何万人もの受験生をさばく私立大学では不可能だし。

一方、数学とか物理なんていう純粋科学は、基本の定理や原理さえ理解できれば、あとは自分で応用すればたいていの問題は解けてしまう。つまり、どうしても覚えなければならない項目は非常に少ない。高校の数学で、どうしても丸暗記しなければならない公式なんて、ほんとに数えるくらいしかない。それを、基本を理解しないままでも応用問題が解けるようにしようとして、バカみたいに色んな公式を丸暗記させるのである。そんな事をするのではなく、基本をちゃんと理解させればいいのである。だから、本来なら数学や物理は「ゆとり」で学力が向上するべきである。
ところが、実際には、各教科の中でも、数学や物理で学力低下が著しい。これは何を意味するのか?つまり、教師が何も分かっていないってことだ。そもそも自分達が基本を理解していないから、それを「ゆとり教育」すると、単に内容を減らしただけになっている。くだらん丸暗記をやめて本質をじっくり教えればいいのに、それをする能力が無いから、単に丸暗記する公式の数が減っただけ。これじゃますます学力は低下する。

このような学生の学力低下問題に拍車をかけようとしているのが、文部省が推進している新指導要領である。これは教育課程の国家基準で、10年ごとに改定されているのだが、その新しいのが来年あたりから中学校や高校に導入される予定となっている。これは、従来の「ゆとり」路線をさらに徹底させるものらしい。具体的には、ほとんどの教科で内容が3割も減少するらしい。こら、壊滅的やな。
おまけに、例えば高校では理科は1科目でいいらしい。理科なんて、一緒くたにされているけど、物理、化学、生物、地学なんて、まるっきり別の学問だぞ。それを、大学で文系へ進むのならいいけど、理系へ進むのに1科目でいいなんて、まるで何も分かっていない。例えば、工学部へ進むのなら物理と化学、医学部へ進むのなら生物と化学、といった組み合わせは、絶対に必要不可欠だぞ。もちろん、社会でも、歴史と地理なんて、まるっきり別の学問だけど、どっちも覚えりゃすむ内容なんで、基礎がなくても、必要になった時点で勉強すればいい。しかし、理科はそうはいかないぞ。そもそも、いまどき、物理を理解していないと化学だって理解できないし、化学を理解していないと生物だって理解できない。ノーベル賞の化学賞なんて、シロウトが見ると物理みたいだし、生物学賞だって化学みたい。

そもそも、いったい、どうしてこのような「ゆとり」という名の白痴教育化が進められているのか。これはひとえに、文部省の頭の悪い官僚の画策だな。
はっきり言って、役人になろうとして公務員試験を受けた人間で、最初から文部省を目指している人は少ない。たいていは大蔵省や通産省を目指す。自治省や警察庁も権力が強大なので人気がある。また建設省や運輸省も利権が多くて魅力的。それなのに、ああ、それなのに、文部省って、何も無いぞ。国の根幹をなす教育問題を扱うんだから、本当は重要な部門だけど、そうは言っても、小学生に何を勉強させるか考えるなんて、あんまり魅力的な仕事ではないわな。かつて汚職で捕まった大物文部官僚もいたけど、あの利権も、悲しくなるくらい微々たるものだった。だから、文部官僚って、はっきり言って、落ちこぼれのバカが多い。
しかも、たぶん、大半が文系の役人。数学離れが進んでいる最近の状況は知らないのだけど、僕らが学生の頃は、数学ができないという理由で文系に進んだ人が多かった。数学ができるかできないか、が理系と文系を分ける唯一の基準だった。そりゃあ、たまには、数学もできるけど弁護士になりたいから法学部に行った、っていう人間もいるでしょうが、そういう人は少ない。法学部なら許せるけど、日本では経済学部までが数学ができないという理由で文系に進んだ人間に占領されている。日本を除く世界の大半では、経済はれっきとした科学であって、数学ができないと進めない。だって、経済の本をみれば分かるけど、かなり高度な数学が分かってないと理解できないぞ。はっきり言って、僕だってなかなか理解できない。それなのに、日本の大学の経済学部では、ほとんどのところで数学は選択しなくても合格できる。まあ、そもそも、日本社会では、法学部や経済学部を出た人間に法律の知識や経済の知識を要求しているわけではなく、単なる事務職員として採用するだけなので、問題は無い。実際に銀行で金融商品を開発しているのは、理学部や工学部を卒業した人間だし。だから、一般社会は、それでもいい。必要な部署にはちゃんと理系の人間を採用しているし。
しかし、教育全般を司る文部省が理科オンチの文系役人に占領され、おまけにそのレベルが事務系としても三流となると、これは非常にまずい。

奴らは、「ゆとり教育」が問題になるという危機感が無い。何が問題なのか分からないようだ。これは国を滅ぼす政策と言っても過言ではない。ものすごく危機的な大問題だ。と言うのは、資源も土地もない日本が国際社会で大きな存在感を持っているのは、その知的水準の高さによって付加価値を創出してきたからである。良い物を作って売ってこれたから、一方で資源やエネルギーや食料を輸入することができるのである。経済の本質が分かっていない浅薄な人間は、経済のサービス産業化を表層的に捉えて、これからは物づくりよりもサービスだ、なんて勘違いしているけど、日本が生きて行くには製造業の衰退は許されない。そして、その源泉が理系分野に於ける高度な知的水準である。理系の学力水準が低下すれば、間違いなく日本の国際競争力は著しく低下するだろう。

このような、文部省のバカ官僚の陰謀に、ただでさえ新入生の学力低下に悩む大学関係者から悲鳴が上がっている。まあ、しかし、これまでの学力低下の大きな要因の1つが、大学入試の科目数の減少だから、大学も偉そうな事は言えない。僕が大学に入った時は、理系だったのに入試科目に社会が2科目もあったけど、最近は、国立大学でも全部で2〜3科目だけで入れるところがあるらしい。さすがに危機感を持ったのか、国立大学では入試科目を増やそうとする動きもあり、これは歓迎できる。いくら文部省のバカ役人が科目数を減らそうと画策しても、大学側が反対すれば意味は無いからな。

そもそも、文部省も科学技術庁と一緒になって文部科学省になったんだから、もうちょっと科学に理解を持って欲しい。それとも、科学技術庁も、実際の政策を牛耳る官僚は、数学オンチ理科オンチの事務系官僚なのかしら。ロケット技術開発の迷走ぶりを見ると、そうかもしれないなあ。

(2001.1.15)



〜おしまい〜





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