教科書問題を考える

〜 そんなん関係ないよ 〜



教科書問題が喧しい。
例の、「新しい歴史教科書をつくる会」が作った愛国主義的な社会科の教科書が文部省の検定を通ってしまい、それに対して自己中心的な中国やら、被害妄想の固まりの韓国が反発し、それに同調して売国奴の左翼系団体や売名行為型の市民運動かどもがヒステリー状態になっている問題だ。まあ、こいつらは、みんな、純粋に教科書を問題にしているのではなく、外交的な駆け引きの材料にしていたり、自分たちの政治的地位や、存在価値のために吠えているだけなので、あんまりまともに相手にする気にはなれない。勝手に吠えさせておけばいいかな、なんて虚しく思ってしまう。

だいたい、よその国の教科書にケチを付ける国なんて、世界中探しても珍しいんではないか。まあ、基本的には自国民に対するポーズと、他の外交案件を有利に運ぼうとする材料に使おうとしているのだろうけど。
で、これで面白かったのは、韓国が問題視した箇所を見てみると、日本国内のヒステリー市民運動家が目の敵にしている例の新しい教科書よりも、むしろその他大勢の旧来型の教科書に数多くの指摘がなされたっていう点です。つまり、ヒステリー市民運動が問題とも思っていなかった点が数多く、韓国政府により問題視されている。例えば、任那日本府は本当は無かった、なんて。任那日本府は疑う余地も無く存在した、と教えられた僕たちとしてはびっくりだけど、愛国に凝り固まった韓国人としては、そういうものは認めたくないんだなあ。はっきり言って、まことにどうでもええような事なんですけど。
こういう事まで指摘し始めたらキリが無いよなあ。世界中の国同士で軋轢が生じる。だって、1つの事を国が違えば捉え方が違うんだから。伊藤博文を暗殺した犯人は韓国では英雄だし。日露戦争にしたって、日本とロシアでは当然、評価が異なるだろう。しかし、普通、そんな事は問題にはしないよなあ。まことにバカな話である。言う方も言う方だけど、それを真に受けて一緒になってヒステリーしている市民運動はバカ丸出し。これに関しては、頭の悪い文部官僚達も、バカはバカなりに頑張って欲しいところだ。心配なのは、思考停止型の売国奴外務官僚達が土下座外交を繰り返さないか、って事ですねえ。

一方、つい先日、自民党の太田という代議士が、「これまでの歴史の教科書には、自民党支持者が見れば、はらわたが煮えくりかえることが書いてある。自民党以外の政党関係者、革新の学者や識者が書いていた。だから変な教科書になっていた」などと発言した。さらに「せっかくの新しい教科書も、採択は教育委員会が全部できるわけでもない。採択する先生は労働組合に入っている人が多いから、どうしようもない」とも述べた。後者は確かにその通り。全く、その通り。しかし、最初の発言は、どうかしら。素直に思った事を言っただけだろうが、ちょっと事実誤認ではないか。誰が書いても、事実は事実だから、書き方の問題やら、事実に対する評論の問題はあるにしても、ちょっとヒステリックになっているような気がする。

まあ、要するに、どっちもどっちだ。

それから面白かったのは、売国奴的な市民団体が、例の新しい愛国主義的教科書に対して、様々な問題点を指摘した時のこと。出版社は真摯に「間違っている点があれば、即刻、訂正する」とコメントした後、「ただし、当社以外の教科書についても、同じように細部に至るまで点検しているのかどうか、伺いたい」なんて強烈な皮肉を言っていたのは大笑いした。
全くもって、その通り。この教科書が良いか悪いかは別として、他の教科書はどうなんだ、と言いたい。この教科書が全く中立だとは思わない。たぶん、一つの強烈な史観に基づいているのだろう。しかし、他の教科書にしても、逆の立場の史観に基づいているのではないか。その多くが売国奴的な史観に基づいて。

ただし、僕の立場は、はっきりしている。どうでもいいのだ。
そもそも、事実を隠蔽したりねじ曲げたりするのは良くない。南京虐殺があったのなら、それを隠蔽したり過小評価することは無い。事実は一つなんだから、はっきりさせなければならない。
その上で、論評は別だ。南京虐殺は虐殺だから良くない、というような短絡的な思考停止が良いとは思えない。なぜそのような事態になったのか。なぜ日本がそのような行為をしたのか。冷静に中立的に論じるべきである。
真珠湾の奇襲もそうだ。アメリカ軍が事前に真珠湾奇襲を察知していたというのは、もうこれは否定のしようが無い事実だが、だからといって奇襲の事実が軽減されるわけではない。奇襲は国際法上は違法である。しかし、その事実をはっきりと認識した上で、なぜ日本がそのような行為に出たのか、冷静に分析するべきである。一方的に悪い、なんて言ってみても始まらない。明らかに日本は追いつめられていた。追いつめたのはアメリカである。そういう点で、戦争は一方的に善と悪が決められるようなものではない。単に、勝った方が善で負けた方が悪にあるだけである。
南京虐殺も真珠湾奇襲も否定しようはない事実だ。しかし、それをもって、日本が一方的に悪いと決めつけるのは思考停止の典型だ。

だがしかし、それでも、教科書問題に関してだけ言えば、どうでもいいと思う。それは、自分の受けてきた教育を振り返ればすぐ分かる。学校で、どういう風に教えられようが、そんな事に左右されたりはしない。自分の主義や信念は、くだらない学校教育なんぞに安易に左右されたりはしない。
そういう意味では、ヒステリー集団の日教組にしても、それに対極して教育を憂う右翼にしても、どっちも勘違いが甚だしい。今の日本のレベルの低い教育で、我々の信念が変えられると思ったら大間違いだ。そもそも、学生が勉強しているのは受験のためだけであり、真実を知ろうとか、事実に対して真摯に論評しようなんていう発想は無い。どうでもいいのだ。
仮に、中学校や高校で変な教育を受けたとしても、まともな感性をしていれば、大人になれば自分にとっての主観的な真実は分かってくる。そうでなければ、同じ教育を受けながら左翼から右翼まで色んな人種が出てくるはずがないではないの。或いは、それで分からないようなバカは、何をどう勘違いしていようが、どうでもええではないか。どうせ、変な格好するだけが自己主張と思い込んで、選挙にも行かないような奴らなんて。

今の学校教育の最大問題は、教科書なんかじゃなく、教師のレベルの低さだ。自分の子供の話を聞いていると、本当に教師のレベルが低すぎて、全くもう、話しにならない。昔もそんなにレベルが高かったわけではないが、モラル的には3人に1人くらいは、まともな先生がいて、それが救いだった。今は、頭のレベルが悪いだけでなく、モラル的にも惨憺たる状況のようだ。
先日の、宅間による小学生虐殺事件にしても、そもそも小さな子供達が8人も殺されるまで、教師は何をしていたんだ、と問いたい。子供に混じって、軽傷のくせに入院しているバカ教師が何人かいたが、お前らは体を張って子供を守る意識は無かったのか!

(2001.6.27)



〜おしまい〜





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