携帯電話の不思議

〜 どうして鬱陶しいのだろう 〜



最近、少し、どうもおかしいなと思うことに、携帯電話の問題がある。携帯電話の使用禁止について、である。

電車の中で携帯電話の使用は禁止されてしまった。もちろん、強制力も罰則も無いので、見るからに頭の悪そうな高校生に限らず、守っていない人が多い。て言うか、自分だって、自分からはかけないけど、電車に乗るときにわざわざ電源を切るなんてことはしないし、かかってくれば、一応、声をひそめて話する。もちろん、用件次第では「後でかけ直すから」と言ってすぐ切るけど。
それからレストランなんかでも、使用お断りってところが増えてきた。この場合は、かけたりかかってきたりした時に外へ出ればすむ話なので、あんまり問題はないけど、面倒くさいのは同じ。

基本的に僕は携帯電話が嫌いだ。て言うか、携帯電話を使っている人が嫌いだ。って事は、今や、日本人の半分以上の人が嫌いだってことになっちゃうけど、さらに、その中に自分も入ってしまうのだけど、どうしても好きになれない。僕も、使用頻度は少ないけど、あると非常に便利で、無いとかなり困る、って状態なので、偉そうに言える立場ではないのだけど、本音で言えば、僕と僕の話し相手以外は、携帯電話なんて絶滅すればいいのに、なんて我が儘を思ってしまう。
これはひとえに、携帯電話のせいではなく、それを使っているアホたれ共のマナーの悪さが問題だ。道を歩きながらバカ面さらしながら大声で話しつつ携帯電話を持った手の肘で他の通行人をどつくやつもいれば、道ばたにしゃがみ込んで話している高校生や、車の運転しながら話している奴も減ることはない。
だから、僕のようなおぢさん達は、みんな基本的には携帯電話が嫌いだと思う。たぶん。

なのだが、ここで、ふと考えてみると、少し不思議だ。どうして電車内やレストランで使うのは駄目なんだろう。

もちろん、コンサートや講演会などでの使用は非常識を通り越して、他の人には甚だしく迷惑である。最近はさすがにマナーモードに切り替える人が多いのだけど、やはり時々忘れている人や、まだマナーを知らない人がいて、先日も、講演会の途中で場違いなピーヒャララ〜が聞こえてきて、会場全体が腰砕けになった事がある。

しかし、電車の中の場合、コンサートと違って、電話で話すのは駄目だけど、普通に隣の人と話すのは良い。当たり前だけど。でも、どうしてだろう。電話の声がうるさいというのであれば、電話でなくても、とにかく「電車の中でしゃべるのは駄目」というルールにしないといけない。最近になって、ペースメーカーが狂う、なんていう理由をもっともらしく持ち出したりしているけど、それは後から取って付けたような理由であり、本当は、とにかく携帯電話で話をするのが気に食わないというのが本音だろう。その気持ちは100%理解できるのだけど、でも、どうして普通に隣の人と話するのは良いのに、携帯電話で話するのは嫌なんだろう。
これはレストランでも同じである。レストランで1人でボソボソ食べる人は少なく、たいていは同伴者とペチャクチャお話しながら楽しく食べた方が美味しい。だから隣のテーブルから会話が聞こえてきても、全然気にならない。それなのに、隣の人が携帯電話で話し始めると、とたんに気になってしまう。

これはどうしてだろう。たぶん、こんなに普及してきた携帯電話だけど、まだみんな馴れていないんだと思う。普通の会話だと、いくら聞こえてきても、当たり前の光景として、無意識のうちに無視できるけど、携帯電話で話しているのは、まだ異質なものとして無視することができないんだろうと思う。
これは携帯電話だけでなく、他の事にも当てはまる。かつて、若い頃、電車の中で何が嫌だったかと言うと、騒ぎ回るガキ共である。あの叫び声には我慢がならず、走り回っているガキ共をけ飛ばしてやりたくなった事はしょっちゅうである。さらに、出張で疲れた体を休めるために電車の中で寝ようとしている時に聞こえてくる赤ちゃんの泣き声には怒り狂った。これは赤ちゃんに対する怒りというより、知らん顔している親に対する怒りだけど。ところが、自分に子供ができちゃうと、こういうのは平気になっちゃう。ガキ共が叫びながら走り回っていてもあんまり気にならない。自宅で自分の子供に集中的に攻撃されるのに比べれば、その辺を走り回っているガキぐらい、どうってことない。
だから、たぶん、携帯電話の会話も、禁止なんかしなくても、そのまま放置して、話したいだけ話させるようにすれば、そのうちみんな馴れちゃうんじゃないかなあ。

(2001.7.4)



〜おしまい〜





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