ちびっこ園の悲劇

〜 施設だけの責任では無い 〜



宅間による虐殺とは違ったパターンの悲劇が起こった。
無認可保育所「ちびっこ園」での乳児死亡事件である。生後4ヶ月の乳児が、同じベッドで寝ていた他の乳児の下敷きになって窒息死した事件である。自分にも小さい子供(と言っても、もう幼稚園児だが)がいるだけに、とても悲しい。名前が「ちびっこ園」だなんて可愛い名前だけに、やるせない気分になる。

この事件で同園を経営する「ちびっこ園」社長が逮捕された。この悪魔のようなおっさんは、金儲けの事しか頭に無かったようだ。こいつが逮捕される画面をテレビで見たけど、たしか北陸の豪邸から連れ出されていた。北陸の辺りは豪邸が多いけど、それにしても「ちびっこ園」の社長っていう感じの家じゃなかったなあ。ひどいセンスだったもんなあ。
まあ、みんな同じような感じは受けるだろうし、この悪の根元のような社長に対して世間の怒りは爆発している。世間て言うか、本当は、怒りを集中させているのは、相も変わらず自己中心的なマスコミだけど。

なぜここでマスコミを非難するかと言えば、こいつらが知ってか知らずか、問題を表層的に捉えて、もっぱら「ちびっこ園」を始めとする無認可保育園に対する非難に終始しているからである。マスコミは以前から無認可保育園に対して冷たかった。マスコミはほとんどみんなバカだから、「金儲けのためにやっている事は悪」という発想から抜け出せない。世界の悪の根元である中国の共産党ですら、私営企業経営者の入党を認めるようになったというご時世なのに。ちゅうことは、マスコミの知能レベルは北朝鮮並みやな。

敢えて言う必要もない。無認可保育園が存在するのは、世間がそれを必要としているからである。公営、民営を問わず、認可基準に合うような施設だけでは対応できないからである。
僕の会社にも、社内結婚して二人とも働き続けているために、朝、出社するときに幼子を施設に預け、帰りは早く退社する方が(と言っても、たいていは母親の方になるけど)引き取って帰宅する、っていうパターンの家族が結構いる。もしかして、ここのような田舎では問題にはなっていないのかもしれないけど、都市部では認可施設の数が足りなくて困っている。だから、こういう無認可施設が増えているのだ。

もちろん、今回のちびっこ園の場合は、悪魔のような社長の責任が非常に重い。しかし、そこまでひどくなくても、何の補助金もない無認可施設なら、ある程度のコスト削減努力をしないと経営的には厳しいだろう、と容易に想像がつく。それでも、親は預けざるを得ない。
現に、今回の死亡事件が起こった後も、大繁盛してきた全国各地のちびっこ園から顧客が流出し始めたって話は聞かない。1人の退園者もいない所も多い。親たちは「自分が預けている施設は大丈夫」と思い込もうとしているようだし、「不安はあるけど、他に選択肢が無い」っていう現実も重い。ちびっこ園を出たって行くところが無いのだ。仕事を辞めるしかないのだ。

これは、単に、小さい子供を抱える親だけの問題ではない。少子化が進む日本社会の活力を維持していくには死活問題だ。今でさえ子供がどんどん減り続けているのに、これ以上、減少が進んだら、あっという間に老人国になってしまうぞ。

いったい、どうしたらいいのか。
誰が考えても簡単な問題やんか。誰も使わないような、しょうもない施設を作るのを止めて、こういう分野に税金を少し分けてあげれば済む話やんか。政治家は少子高齢化を憂いながら、口先で「これでは日本の将来は無い」なんて精神論を垂れるだけで、実効あるバックアップ体制が整備されない。
最近、どんな田舎へ行っても立派な体育館や温泉施設が氾濫している。それらも、もちろん重要性が無い訳では無いだろう。壮年層や高齢者層にも充実した生活を送る権利はあるだろう。しかし、敢えて優先順位を付ければ、温泉よりは保育園ではないだろうか。
これは今のような硬直した予算配分に問題がある。ある程度、全国一律的にバラまかれている予算を消化するには、子供が少なくなった田舎では保育園なんかを作る必要は無いし、逆に高齢者がいっぱいいるから、高齢者施設を作る。くどいようだけど、高齢者施設が不要だと言っているのではない。他に楽しみの少ない田舎の高齢者に温泉を作ってあげるのは悪いことではない。しかし、この狭い狭い香川県の狭い狭い市町が、どこもかしこ似たような施設を競争するように作っているのは、少し、疑問が出ちゃうなあ。予算を少し、困っている人に分けてあげてもいいんじゃないかなあ、なんて思ってしまう。
それから、先日、香川県内のキャンプ場に行ったのだけど、そこへ行く道があまりにも立派に整備されているのにびっくりした。無茶苦茶へんぴで民家が少ない地域なんだけど、ものすごく立派な道が延々と続いている。とっても快適で喜ばしい限りではあるけれど、たぶん、かなりの投資がつぎ込まれているはず。こういうのも必要だけど、少し別の方に回せないか、と誰でも思うよなあ。

もちろん、総論としては、予算配分の見直しには、私は反対だ。
最近、都会派首相の小泉が道路整備を抜本的に見直そうという動きを見せており、これに対して地方が一斉に反発している。地方に住む僕としても、これはなんとしても放置できない動きだ。しかし、それは単に、従来通り道路を作って欲しいと言っているわけではない。道路の整備ということになると、結果的に地方の整備になっているのだ。そういう地方への投資の手はゆるめないで欲しいと言うことだ。過去を振り返ると、今まで都市部を優先して開発してきたんだから、これからは地方へ集中的に投資して欲しいということである。そうでないと不公平だ。今、都市部の住民が、地方にばかり投資するのは不公平だ、なんて抜かしているけど、それは先に良い思いをしたことを忘れているだけだ。
しかし、だからと言って、従来のような道路の整備だけに集中していいという事ではない。お金の配分は仮に従来通りとしても、その使い道は臨機応変に変えて欲しい。さらには、道路を作るお金に比べて少額なのであれば、あまりにも不要っぽい道路を作るのを止めて、都市部の困っている人のために少し回してあげてもいいのではないかなあ、と思うのである。

もちろん、本当は、都市部で困っている人たちが地方に移住してくれれば、一番良いのだけどね。そうなれば、地方にも活気が出てきて、均衡のとれた国土の発展に結びつくし、育つ子供達にしても環境はずっといいしね。市場経済的に言えば、今の現状を放置して都市部の環境がますます悪化すれば、自然にそうなるはずだが、そんな事を言っておられる状況ではないしね。

(2001.7.5)



〜おしまい〜





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