誰がチーズを動かした?

〜 つまんない話 〜



遂に買ってしまった。
Who Moved My Cheese ?」って本です。日本語では確か「チーズはどこへ消えた?」っていうようなタイトルになっていたと思います。
アメリカでものすごく売れて、世間では非常に話題になり、日本でもかなり売れていた本です。特に、企業のリストラを進めている経営者がありがたがって従業員に読むのを勧めている本です。

しかーし、結論を言えば、ものすごく、しょーもなかった。
大きく分けて、つまんなかった理由は2つあります。

   @ 当たり前の事しか言ってない

   A しかも、それは普遍的な真理とも言えない

ちゅうことです。

@に関しては、「世の中が変化しているから、それに対応していかなければならない」なんて、そんな当たり前の事も知らないのか、って感じ。そんな当たり前のことも知らないで、よく今まで生きてこられたね、って感じ。この本に感銘を受けて朝礼で社員に勧めまくる上司が日本中にあふれているらしいけど、よくもまあ、今までそんな事も考えずに管理職が勤まってきたねえ、って感じ。そういう頭の悪い人間には、確かに有り難い本かもしれないけど、普通の知能レベルの人にとっては、すごく当たり前の事しか書いていない。
うちの会社でも某プロジェクトチームの部長が同じことを話していたらしいけど、そんな低脳が部長やっているようじゃ、プロジェクトチームの将来も真っ暗です。ま、それは、前々から分かっていたけど。

そもそも、世の中というのは、常に動いているものであり、それを安泰していると思うのは勘違い。
日本でも、何百年も前から「諸行無常」と言われてきたやないの。何も今さら、頭の単純なアメリカ人が言っていることをありがたがって承ることはないぞ。
江戸時代までなら、それでも変化は緩やかだったろうけど、今の日本は動いていないと生きていけない。なぜかと言うと、日本はありとあらゆるものを海外から輸入し、その代金にあてるために売れる物を作って輸出しなければならない。世の中は変化しているから同じ物がいつまでも売れる保証は無いし、日本より貧しい国がどんどん参入してくるから、どんどん良い物を作って行かなければ売れなくなってしまう。日本に住んでいる限り、必然的に変化していかなければ生きてはいけない。少し前までだと、それでも、役所や農業といった分野では変化無しでもやっていけた。しかし貿易の自由化の極端な進展により、農業も例外ではなくなりつつあるし、巨大な財政赤字を抱えて、公務員ですら変化を求められている。
我々の業界、すなわち電気事業においても、取り巻く環境は激変しており、それへの対応が真に迫っている。どう考えても、一番保守的な業界の電気事業ですら、である。他の業種なら、もうとっくの昔に激変の中でもまれまくっているはずだ。

仕事を離れて、個人的な経験から言っても、世の中の安定を信じていてはいけない。世の中が安定していた事なんて、そんなにあっただろうか。
僕らが生まれたのは戦争が終わって10年以上経ってからだけど、当然、それまでは激動の時代だったはず。僕らが生まれてからは、それまでの激動の時代に比べればマシだろうけど、それでも生活は急変してきた。良いことばかりではなく、高度成長による変化や歪みや、石油ショックなどにより、様々な変化が生活面で出てきた。
お金の事を言えば、いくら今のように低金利時代がずうっと続いていても、僕は本当はいつかはものすごいインフレが来て、貯金なんて紙くず同然になってしまうと信じている。信じているというか、信じたくないけど、リスク管理としては最低、それに備えておかなければならないと思う。まず、いくらお金があっても、住宅ローンを抱えておく。これはインフレが来ればタダ同然になってしまうからであり、今のような低金利局面においては、貯金と両建てで借金を可能な限りしておくべきだと思う。それから土地神話は崩れたとは言え、不動産はインフレには強いので、現預金や有価証券だけでなく、不動産も持っておくべきだろう。また、住宅ローンのおかげで余ったお金は日本円の貯金だけでなく、外貨や株式にも投資する。インフレが来ても産業自体が強ければ株価は上がっていくので貯金よりは良い。外貨も適当に分散させておけば、どれか強いのは残ると思う。一番危ないのは債券だと思う。貯金だとすぐに引き出せば元本は帰ってくるけど、債券の場合、一気に価値が下がってしまう。(なーんて、会社で社債発行業務を担当している私が言ってはいけないんだけど)
話がそれてしまったけど、環境の変化に備えておくっていうのは、あまりにも当たり前の話だ。

ところが、このバカ本を有り難がっている人が溢れている。
「簡単な言葉で描かれた作品だが、すごく奥が深い」っていう意見があるけど、この本のいったいどこが奥が深いんや。もう、めちゃめちゃ浅すぎて呆れちゃうぞ。
「人生の教科書とも言うべきで、学校もこの本を教科書に使うべきなのでは」なんてのもありますが、そもそも子供の時から安泰にしている奴なんているのか?子供にとっては、新しい事をどんどん知っていくのだから、彼らにとっては常に環境は変化している。
「目の前が急に開けた気分になる」なんて、今までよっぽどアホだったのですね。こういうアホがいっぱい居るから、会社も潰れていくんだろうなあ。

次に、上記理由のAについてですが、確かに変化は必然であり、それに備えて対応するのは不可欠だけど、しかし、それだけが全てではない。それだけが人生では無い。と思う。

この本の考え方は、基本的には競争第一主義のアングロサクサン的な発想だ。て言うか、伝統も失う物も何も無いアメリカ的な発想と限定しても良い。言っておくけど、私はアメリカ大好き人間で、治安さえもう少しマシになれば、アメリカに移住しても良いくらいに思っているけど、だからと言って、その考え方が全て正しいとは思わない。ちょっと極端に過ぎる。極端というか、安易なんだなあ。あんまり深く考えていない。単純すぎる。変化があるんだから、それに対応して常に求め続ける。でも、何を求め続けているのか、って思えば、大したもんではないぞ。あいつらが考えているのは、収入や社会的地位や今の人間関係や、そういうものを求め続けろって言っているのだけど、本当にそれが正しいのか。
たぶん、多くの場合はそれが正しいのだろうけど、常に正しいとは限らない。僕は小金が貯まったら、仕事を辞めて晴耕雨読の生活に入るのが夢なので、本音を言えば、めまぐるしく移り変わる世の中を追いかけていくのは、なんだかしんどいなあ、って思う。出来ればどこかで安住したい。もちろん、世界中の隅々までリンクしてしまった今の世の中で、本当に世間から隔絶された生活を送るのは至難だけど、程度の問題と割り切り、なるべく変化を受けないような生活をしてみたい。
そうそう、アメリカでも、世間と接触を拒んで、今だに電気も使わずに生活しているアーミッシュと呼ばれる人々もいるから、まんざら不可能でもないぞ。

それから、最後に、内容はともかく、構成として、本のレベルも非常に低いってことを叫びたい。
寓話の中にやたらと出てくるメッセージ。鼻につくと言うか、執拗すぎると言うか、うんざりする。変化に適応せよ、というメッセージそのものが間違っているとは思わないが、それ以外の選択肢を読者に与えず、変化することのプラス面ばかりを強調し、マイナス面をあえて描かない。しかもそのメッセージを、徐々にテンションを上げて繰り返し読者の頭に叩き込んでいく。
寓話だけなら、まだ許せるけど、その寓話を友達の前で話し始める、というわざとらしい設定と、さらに、その話を聞き終わった友達が、1人の例外も無く感銘を受けて自分の体験を語り始め、みんながみんな同感して新しい生き方を模索し始めるっていう展開も、どうにも我慢が出来ない。余りにもくどい、ってだけじゃなく、これじゃあ、まるで新興宗教だよ。普通、もうちょっと懐疑的な性格の人間が1人や2人はいると思うんだけど、みんながみんな心の底から感銘を受け、盲目的に心酔ぶりを見せている。みんながマインドコントロールされている。
言っている事自体は間違ってはいないんだけど、こういう考え方を受け入れられない奴はアウト!みたいに決め付けられるのは極めて迷惑であり、これはまさに「不幸の手紙」と同じ手口だ。商業主義的なハウツー本でも、もっとマシ。本当にレベルが低い三流本だ。

まさか、こなな程度の低い本を読んだくらいで、読者がみんなマインドコントロールされるとは思えないけど、朝礼で部下に勧めまくるバカ管理職はマインドコントロールされているんだろうなあ。お前らが社会の足かせなんだよなあ。

そうそう、最後に付け加えておくと、この「チーズはどこへ消えた?」を出版しているのは、なんと、例の「新しい歴史教科書をつくる会」が作った愛国主義的な社会科教科書を出版している扶桑社なんですぅ。「チーズはどこへ消えた?」を盲目的に有り難がっている人は、知ってるんかなあ?

(2001.7.20)



〜おしまい〜





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