驚異の速読術

〜 羨望と嫌悪 〜



みなさんは速読術って知ってますか?
僕は半信半疑、興味津々ってとこです。

速読術は昔からあるもので、雑誌の通信教育の宣伝なんかに載ってました。その頃は、単に「読むスピードが2〜3倍くらいになるのかな」って漠然とイメージし、それは便利そうだけど、通信教育のうさん臭さのため、「ほんまかなあ。嘘臭いなあ。そんなにうまくいくかなあ」って感じで、無視してました。

それが、最近、テレビで紹介されたりしているのを見ると、もう滅茶苦茶早いの。写真を見てるような感じでパラパラとページをめくっていく。字がびっしり埋まったページなのに数秒単位くらいでページをめくっていく。だから普通の本だと10分もあれば読み終わっちゃう。それで一応ひととおりの情報が頭に入るらしい。
どう見ても、どう考えても、怪しい。怪しすぎる。うさん臭さ爆発。ほんまかいな。って感じ。ところが、そうやって超高速で読ませた後でテストすると、一応、ちゃんと答えられる。八百長でない限り、やはり頭に情報が残っている。一応、ちゃんと読んでいるのだ。もう、信じられない。

確かに、文章を読むのを早くするっていう理屈は、なんとなく分かる。僕らが読む場合でも、ひらがなと漢字を比べれば、漢字を読む方がスピードは早い。見た瞬間に意味が分かるからだ。ひらがなだと頭の中で発音してから単語を把握して意味を理解しているから時間がかかる。これがローマ字だと、もっとひどいよね。
同じように、英語の文章を読むときに、僕らネイティブで無い人間は、頭の中で発音しながら読むから時間がかかると指摘されたことがある。いちいち発音しないで見た瞬間に単語を把握して意味が分かれば読むスピードは急激に速くなる。
たぶん、速読の場合も同じように、いちいち文章を発音していくのでなく、写真のように見た瞬間に把握していくんだろうなあ、って思う。

ま、どっちにしても今さら取り上げるほどの事でもないのだろうけど、今また速読の本がベストセラーになっているらしい。「あなたもいままでの10倍速く本が読める」っていうストレートなタイトルの本です。
解説を読むと、はやりページ全体を視覚イメージとして写し取って無意識レベルで文字情報を処理するフォト・リーディングという方法らしい。普通の文章だと、本当に必要な情報はせいぜい10%程度だから、フォト・リーディングで重要な部分だけを効率よくピックアップしていくのだそうだ。たしかに仕事には役立ちそう。会社で膨大な資料を読んだものの、ほとんどロクな事を書いてなかった、って事はしょっちゅうだもんな。
本の中にも成功例が紹介されてあって、試験勉強に役立った、とかいうのは本当だろうなあ。でも、プレゼンテーションが成功して昇進したとか、裁判に勝つ事ができたとか、有利な転職ができたとか、なんか「パチンコ必勝法」とか「株価で大儲け」とかいうような、超怪しいハウツウ本と同じような低レベルの事例を並べられると、やはりうさん臭いなあ。

それに、やはり疑問は残る。例えば膨大な資料の中から欲しい情報を探していく、っていうような作業なら、速読で可能だと思う。単なる情報の検索なら、いちいち意味を考える必要がないからだ。新聞を読むのにも役立ちそう。特に仕事のために嫌々読んでいる日経新聞なんかは、速読であっという間に読んでしまいたいぞ。
しかし、意味を理解しながら論文を読むような場合、速読なんかやったって意味が分かるのか?普通に読んでいたって、時々立ち止まって考えなければならないような難しい内容の文章を速読なんかやったって、意味がないのでは?

それにそれに、そういう問題のほかに、もっと根元的な問題がある。
そもそも「本を読む喜び」はどこへ行ったんだ?
小説なんかを読む場合、速読なんかやったって、読む喜びが無いんじゃないか?わくわくしながらノンフィクションを読むのに速読なんかやったら、全然つまんないじゃない?推理小説を最後から読むのと同じで、一体、何のために読んでいるのだ?
確かに人生は短く、読みたい本もなかなか読めずに溜まっていく。だけれども、だからと言って速読してしまうっていうのは、やはり生き方が違うんじゃないか。本末転倒じゃないか?間違いとまでは言わないけど、少なくとも僕の生き方とは相容れない。そこまでしてたくさん読んだからといって、いったい何になるんだ?

そうは言っても、読む喜びのために読んでいるはずの本でも、読みかけの本がいっぱいあるのも事実だ。どんどん溜まっていくと言った方が正確か。なかなか時間が無いからだけど、そういう状況を考えると、小説なんかでも、もう少し早く読めた方が良いなあ、なんて思うこともあるなあ。

(2002.1.19)



〜おしまい〜





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