タマちゃん騒動

〜 バカじゃなかろか? 〜



東京の方に出没している「アザラシのタマちゃん」をめぐる騒動の、あまりのバカバカしさに呆れかえっているのは私だけではあるまい。(えっ?私だけだって!?)

毎年、数え切れないほど多くの熊や鹿やイノシシが農作物を荒らす害獣という理由で銃殺されている。それに比べれば、たかがアザラシ1匹が紛れ込んだだけで、なんで大騒ぎができるのか、理解できない。近所の子供らが喜ぶのはいいが、テレビや新聞が大騒ぎで取り上げるっていうのは、一体どういう神経だ!?

マスコミのバカさ加減については、常々批判しまくっている私だが、その批判は、通常は、自己中心的な独善性と国の将来を考えない売国奴的態度なのだが、今回は、その頭の悪さとレベルの低さに呆れかえる。
そして、マスコミに踊らされた知能の低い自治体や、さらには大衆に迎合して得点を稼ごうとするズルい政府も一緒になって、対策本部を作ったりして大騒ぎだ。人間だって、毎年交通事故で1万人もの人が死んでいる。もっと大事な仕事があるだろうが!?

このような騒ぎは今回に始まった事ではない。以前からある。カルガモの親子がちょこちょこと歩く姿も、それはそれなりに可愛いものだが、新聞やテレビが大騒ぎして報道しなければならないような事件なのか?もっと重要な事件があるだろうが?

このバカバカしい騒ぎに対して、痛烈な批判記事が見つかった。重松清という聞いたことのない作家の記事だが、僕の思っている事を的確に書いてくれているので、ここに無断掲載するぞ。


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根深い「タマちゃん」病 〜〜 (重松清)

多摩川と鶴見川に出没していたアゴヒゲアザラシ−いわゆる「タマちゃん」の騒動は、ほんとうに醜悪だった。くだんのアザラシが本来の棲息地域ではない場所に迷い込んでしまったのは明らかなのに、なぜそれが「私たちにつかの間の癒やしを与えてくれた」ということになったのだろう。
保護するか放っておくかの議論はともかく、「タマちゃん」は迷子なのである。ここにいるべきではない動物なのである。それを見せ物にして、感動だの癒やしだのともっともらしい口実をくっつける報道の語り口は、迷子になって泣いている子どもを取り囲んで「かわいい泣き顔!」と喜ぶのと変わらない。あげくの果ては、9月に入って姿を消した「タマちゃん」に「また戻ってきて元気な姿を見せてほしいものです」・・・いくらなんでも自己中心すぎないか?
「タマちゃん」は、我々を楽しませるために生きているわけではない。たとえば、パラリンピックが健常者を感動させるために開かれるわけではないのと同様に、である。
こうなれば、いっそ「タマちゃん」が多摩川に居座って、「カムバック・サーモン」で戻ってきたサケを食べてしまえばいいのに。そのときにも、「タマちゃん」はアイドルでいられるか?いや、その前に・・・ニシキヘビの「ニョロちゃん」が東京に姿を現した際には、どうぞ愛してやってください。えこひいき、なしだぜ。

(2002.9.15)



〜おしまい〜





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