ノーベル賞続出

〜 身近になったノーベル賞 〜



3年連続で今年も日本からノーベル賞受賞者が出た。しかも2人も!
ほんとに喜ばしい事ですが、びっくりでしたね。
特に、ノーベル物理学賞小柴昌俊東京大学名誉教授の方はまだしも、ノーベル化学賞田中耕一島津製作所分析計測事業部ライフサイエンス研究所主任にはびっくりでした。
もちろん、小柴名誉教授の名前だって聞いたことは無かったんだけど、彼が進めてきた「カミオカンデ」プロジェクトは一般にも有名な実験装置だし、昔は物理学者を夢見ていた私としては興味のあるプロジェクトだったから、それを推進してきた中心人物が受賞したって事で、そんなに違和感はない。一般には有名でなくても、その筋では超有名だったようだし、10年以上も前から毎年ノーベル賞候補に挙がっていたくらいだし。
でも、田中さんに至っては、世間一般はもちろん、学会でも無名で、誰も予想してなかった受賞ではないだろうか。


一気に身近になったノーベル賞

田中さんの受賞で、ノーベル賞が一気に身近に感じられるようになってきたのは僕だけではないでしょう。もっと言えば、これはまだ誰も、おおっぴらには言ってないけど、「あんな人が受賞するなんて、なんだ、ノーベル賞って、そんなもんか。その程度のものか」とか「ノーベル賞の権威も落ちたなあ」とか、そこまで思っている人も多いのではないだろうか。特に、優れた業績を上げながらもノーベル賞を受賞できなかった多くの学者、研究者は、そういう思いも強いのではないだろうか。「あんなんやったら、自分の研究成果の方がよっぽどすごいはずだ」とか思っているのではないだろうか。
そういう人がそう思うのは間違っているとは言えない。事実、今まで日本ではノーベル賞を受賞する確率は欧米に比べて非常に少なく、よっぽどすごい業績を上げた偉い学者でないと受賞はできなかったからだ。


これまでのノーベル賞受賞者

そもそも、僕が子供の頃は、ノーベル賞と言って思い浮かべるのは湯川秀樹博士だった。僕が持っている湯川博士のイメージは、アインシュタインには及ばないものの、似たような崇高なものだ。実験器具など一切使わず、頭だけで理論を組み立てていった哲学者的な数学者的な理論物理学の神様だ。当時の日本が敗戦による壊滅的な状況だったから、ロクな実験設備も無かったためでもあるが、とにかく、すごい人だったはずだ。僕も大学へ入る時は、将来は物理学者になってノーベル賞を取ってやるんだ、なんて夢を見ていたけど、そのイメージは湯川博士のようなものだった。
それに比べて、僕が生まれてから受賞した朝永振一郎博士の場合は、やはりすごい人ではあるものの、湯川博士の神様のようなイメージからすると、かなり人間に近づいてきている。湯川博士と同様な理論物理学者ではあったが、その業績が、湯川博士に比べればちょっとだけマイナーなイメージがする。それでも、やはり偉大なイメージに変わりは無い。

次のノーベル賞は川端康成の文学賞だった。僕は中学や高校の頃は、純文学から大衆小説まで片っ端から読みあさった乱読少年だったけど、それでも小説なんて理学に比べれば、はるかにレベルの低いものと思っていた。今も思っている。小説は大好きだけど、それはあくまでも娯楽であり、学問とは縁のないものと思っている。だから、たかが小説書きにノーベル賞はないだろう、って感想だった。しかも、理学だったら、ある程度客観的な業績評価もできるだろうが、小説なんて、全く主観的なものであり、芥川賞のような新人賞ならともかく、ノーベル賞はないだろう、って今も思っている。

その次が江崎玲於奈博士で、再び物理学賞だった。江崎博士の名前も、やはり一般的には知られていなかったけど、名前がなんとなく格好良かったのと、物理学賞だったので、やはり何か偉い人のようなイメージを受けた。実際に偉い人なんだけど。ただし、江崎博士は、ずっと大学に残って研究していた湯川博士や朝永博士の場合と違い、大学を卒業した後、ソニーなんかに勤務していた。ノーベル賞を受賞した時も米国IBMの研究所に勤務していた。だから、純粋な学者じゃないんだけど、企業の研究所と言っても、米国IBMの研究所はそのへんの大学よりもはるかに優れた研究所なので、あまり違和感は無かった。江崎博士は、その後、筑波大学の学長になったりしたから、やはりイメージとしては偉い物理学者っていうものだ。

その次は、なんとびっくり佐藤栄作のノーベル平和賞受賞だ。文学賞も意味無いと思うけど、平和賞に至っては、これは日本人に限らず、歴代の受賞者はひどい顔ぶれだ。あまりにも政治的な思惑で授与している。今年の平和賞はカーターらしい。もう呆れかえっちゃう。自然科学の3賞を10点満点とすると、経済学賞の価値は3点くらい、文学賞の価値は1点くらい、平和賞の価値はマイナス100点くらいやな。平和賞なんて止めてしまえ、って感じ。

ま、しかし、ここまでは、呆れかえりながらも受賞者の名前としては違和感は無かった。もちろん佐藤栄作がノーベル賞ってのは違和感爆発だけど、名前は誰もが知っている有名人っていう意味で、「誰や?それ」っていう違和感は無かった。
その後はだいぶ様相が変わってくる。
まず初めての化学賞を受賞した福井謙一さん。「ああ、ノーベル賞には化学賞ってのもあったんだ」っていう違和感と、聞いたことも無い地味な名前と、なんのこっちゃ意味の分からない業績とが相まって、「ううむ。ノーベル賞ってのも、よう分からんのう」っていうのが率直な感想だった。
その次の利根川進さんの医学生理学賞も、「ああ、ノーベル賞には医学生理学賞ってのもあったんだ」っていう違和感と、なんのこっちゃ意味の分からない業績に若干の戸惑いがあった。名前がそれほど地味で無かったから、福井謙一さんよりはマシだったけど。

その次は二人目の文学賞となった大江健三郎だ。文学賞に対する疑念は相変わらずだけど、大江健三郎は単なる小説書きというより、優れた哲学者と評価できるし、思想的にも革新的なので、自民党の選挙応援にまで担ぎ出された川端康成のときのような違和感は無かった。それに、とにかく有名な人だったから、福井さん、利根川さんと続いた「誰なの?それ」って感じは無かった。

しかし、その後は、化学賞が白川英樹さん、野依良治さんと続き、名前も聞いたことが無いし、業績もよう分からんし、そもそも化学賞ってのが地味だし、「ノーベル賞も、なんだかなあ」って感じだった。もちろん、日本人の受賞が続くっていうことは、非常に嬉しかったが。

受賞年 氏名 出身大学 業績
1949年 湯川秀樹 物理学賞 京都大学理学部 陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして、中間子の存在を予言
1965年 朝永振一郎 物理学賞 京都大学理学部 「超多時間理論」と「くりこみ理論」、量子電磁力学分野の基礎的研究
1968年 川端康成 文学賞 東京大学文学部
1973年 江崎玲於奈 物理学賞 東京大学理学部 半導体・超電導体トンネル効果についての研究、エサキダイオードの開発
1974年 佐藤英作 平和賞 東京大学法学部
1981年 福井謙一 化学賞 京都大学工学部 「フロンティア電子軌道理論」を開拓し、化学反応過程に関する理論の発展に貢献
1987年 利根川進 医学生理学賞 京都大学理学部 「多様な抗体遺伝子が体内で再構成される理論」を実証し、遺伝学・免疫学に貢献
1994年 大江健三郎 文学賞 東京大学文学部
2000年 白川英樹 化学賞 東京工業大学
理工学部
「伝導性高分子の発見と開発」を行い、分子エレクトロニクスを開発
2001年 野依良治 化学賞 京都大学工学部 「キラル触媒による不斉水素化反応の研究」、有機化合物の合成法発展に寄与
2002年 小柴昌俊 物理学賞 東京大学理学部 素粒子ニュートリノの観測による新しい天文学の開拓
2002年 田中耕一 化学賞 東北大学工学部 生体高分子の同定及び構造解析のための手法の開発

それで、今年の二人だ。久々の物理学賞となった小柴昌俊先生の業績は、上にも書いたように、馴染みのあるものだし、その経歴も立派な学者としてふさわしいものだし、名前は知らなかったが、何の違和感も無い。なんと言っても物理の中でも花形の素粒子理論の分野だし。
しかーし、島津製作所の田中耕一主任に至っては、こら、もう、思わずのけぞってしまいました。「こななおっさんがノーベル賞を受賞して、ええもんかいの?」っていう素朴な感情だ。企業の研究所と言ったって、江崎博士がいた世界のIBMの研究所と島津製作所の研究所じゃ、人も資金も雲泥の差だ。そなな町工場のような所で働いているおっさんがノーベル賞を受賞してもええんかい、ってう感じ。もっと他に、もっと純粋学問分野で優れた業績を上げている人がおるんとちゃうか、なんて思ってしまう。それくらいなら、うちの会社の研究所にもノーベル賞を受賞する奴がいるかも、なんて。(さすがに、それは絶対にあり得ないな。あの顔ぶれじゃ)


欧米での状況

ま、優れた業績を上げながらも受賞できなかった不運な学者は沢山いると思うけど、でも一方、田中さんのような人が受賞しても、実はそれほどおかしくはない。日本ではこれまでノーベル賞を受賞する確率が非常に少なかったから、ものすごく偉い学者でないとノーベル賞は受賞できないと勘違いされてきたけど、欧米の状況を見れば、それは勘違いだと分かる。

ノーベル賞の中でも、本来の自然科学系の3賞(物理学賞、化学賞、医学生理学賞)の受賞者の国別の人数を見てみると、戦前(1901〜1945年)ドイツ36人、イギリス25人、アメリカ18人、フランス16人などとなっており、さすがにドイツのレベルの高さが分かる。ちなみに日本はゼロだ。一方、戦後(1946〜2000年)になると、アメリカ180人、イギリス41人、ドイツ27人、フランス10人、ソ連10人などとなり、日本は6人だ。
アメリカは唯一、戦争の被害を被らなかった国として、ダントツの国力を維持し、多くの優れた学者をかき集め、圧倒的な優位性を築いた。僕がアメリカに留学していた大学にも、ノーベル賞学者は何人もいたが、その大学に限らず、どこの大学にもノーベル賞学者はゴロゴロしていた。その頃、僕は、ノーベル賞学者っていうと、まずは湯川秀樹博士を思い浮かべていたので、そないにすごい人がゴロゴロしているっていうのが感覚的に理解できず、大きな違和感を抱いていた。しかし、それは勘違いであり、ちょっと優れた人なら、誰にでも可能性は転がっている、というのが本当なのだった。また、大学に限らず、企業の研究者がノーベル賞を受賞するのも珍しいことではない。アメリカに限らず、戦争で日本と同様に痛めつけられたドイツだって、戦後もかなりの数のノーベル賞受賞者を出している。
この差は、ひとえに、極東のマイナーな国の学者の研究成果は、なかなか評価されにくい、というハンディに起因している。言葉のハンディもあれば、人的な交流のハンディもあり、いくら優れた業績でも、世界の中心にはなかなか伝わらず、それを応用というか借用した欧米の学者が脚光を浴びてしまう。今回の田中さんの業績も、それを応用したドイツの学者の方が圧倒的に有名になってしまっており、日本人でさえ、本来の発見者が田中さんだということは知らなかったらしい。ノーベル賞の選考委員会が正当に評価してくれたから受賞できたのだけど、以前なら、なかなか難しかったはずだ。これまでは、そもそもの原理は日本人が発見したのに、それを応用発展させた欧米学者が受賞するケースが多かった。或いは、圧倒的に日本人の業績の方が偉大なのに、似たような研究をした欧米学者との共同受賞などが多かった。最近はノーベル賞の選考委員会が公平でかつ綿密な調査をしてくれるようになったということだろう。


変わりつつある評価基準

これまでは20年も30年も前の業績を評価するのが一般的であり、そのため高齢の大御所的学者の受賞が多かった
。今回の小柴先生もそうだ。しかし、田中さんの場合は全く異なる。割と最近の、しかもたった1つの業績が評価されたものだ。選考委員会は、学会でのネームバリュー等に左右されず、本当に業績のみで評価しているという事だろう。
そもそも化学賞は物理学賞に比べて産業に近いし、日本の得意分野でもあり、そのため3年連続の受賞となった。もし、こういう傾向が今後も続くとすれば、日本には優れた研究者が企業にたくさんいるんだから、田中さんのように無名の研究者でも、何か1つ優れた業績を上げてノーベル賞を受賞する人が続出するのではないだろうか。小柴先生の業績であるカミオカンデを支えたのも、そこで使われる光電子増倍管を作った浜松ホトニクスの技術だ。日本企業の技術力はまだまだ優位性を保っているのだ。

それから、これまでの自然科学系のノーベル賞受賞者は全員、博士号を取得していたが、田中さんは単なる大卒である。今どき、企業へ研究職として就職する人でも、大半が大学院を出ている中で、学部卒だけで研究者になる人は多くない。それでノーベル賞なんだから、大したもんだ。とも言えるが、逆に言えば、大学院なんて出たって、そんなに大したことは無いって事の裏返しだ。こう見えても、僕だって留学して大学院に行ったけど、単に勉強する期間が何年か長くなるだけで、画期的に質が変わるわけではない。教授の指示に従って面白くもない研究を続けるくらいだったら、さっさと就職して面白い研究をした方がいいわな。


欲深な研究者に天誅を

田中さんは、管理職になると好きな研究が続けられなくなる、と思って昇進試験を拒んできたため、いまだに主任にとどまっている。そのため給料も少ないけど、それでも研究さえできれば幸せって感じ。
それに比べて腹立たしく思えるのが、最近、やたら訴訟を起こす企業研究者だ。代表的なのは徳島の日亜化学工業で青色発光ダイオードを開発した中村修二カリフォルニア大学教授だ。彼なんかも、田中さんと同様に、企業の研究所で好きな研究をやらせてもらい、それで大きな発見をした。それなのに、好きな研究をさせてもらった恩を忘れて20億円もの請求訴訟を起こしている。なんという強欲な奴だろう。もちろん、彼自身が発明、発見した事は偉大な事実だが、それを可能にしてくれた研究環境は企業が与えてくれたものだ。それなのに20億円もの請求だなんて、信じられない。メーカーが20億円の利益を上げるためには数百億円から数千億円の売り上げが必要だろう。中堅企業の日亜化学工業にとっては死活問題だ。
もっとひどいのは、味の素の元研究者だ。彼も大きな業績を上げたのは事実だが、そのおかげで役員にまでなり、最後は関係会社の社長にまでなったのだ。そこまで処遇してもらっておきながら、今さら巨額の請求訴訟を起こしている。確かに発明発見した研究者の成果は尊重しなければならないが、何もそれだけで売り上げが伸びる訳ではない。どんなに良い製品でもマーケティングや営業がダメなら売れないっていうのはソニーのビデオ規格のベータ方式が敗退した事例が端的に証明している。さらには、たまたま成果を上げた社員を取り巻く様々なスタッフの力も必要不可欠だ。それらを無視して、自分だけが成果を上げたかのような強欲な研究者の姿勢には呆れかえる。

(2002.10.12)



〜おしまい〜





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