信じられない不当判決

「もんじゅ」設置許可の無効判決

〜 もう裁判所なんて信用できない! 〜



ご無沙汰してました。冬になってからというもの、週末は毎週のようにスノボーに行き、このコーナーもサボりまくってました。
だけど、さすがに今回は頭にきすぎて、怒りで夜も眠れなくなってしまったので、寝ずに書いてます。



呆れかえった判決

1995年のナトリウム漏れ事故のため運転停止中だった高速増殖炉原型炉「もんじゅ」をめぐり、住民が国に原子炉設置許可の無効確認を求めていた行政訴訟の控訴審判決が1月27日、名古屋高裁金沢支部であり、川崎和夫裁判長は「炉心崩壊事故で、放射性物質が周辺の環境に放出される具体的危険性が否定できない。安全審査は誤りだ」として一審の福井地裁の判決を取り消し、設置許可を無効とした
原子力発電所をめぐっては、設置許可の無効や取り消し、さらに建設や運転の差し止めを求めていくつも訴訟が起こされているが、住民側が勝訴したのは初めてだ。
もう考えられない。なんなんじゃ、この川崎和夫っていう裁判官は?一言で言えば、アホか?二言で言っても百言で言ってもアホだろう。
判決では、国が事業者である核燃料サイクル開発機構の申請を無批判に受け入れたとし、「誠に無責任で、審査の放棄だ」と厳しく批判しているが、それは逆だ。裁判官の方こそ極めて無責任で傲慢だぞ。



裁判所が判断するべきことは

これまでの原子力発電所に関する訴訟では、裁判所は、原告側が訴訟の要件を満たしているかどうかや、安全審査の手続きの妥当性は判断しても、技術的な判断は避ける傾向が強かった。これは当然だ。このような高度な技術的判断を、技術的に素人の裁判官が下せる訳がないじゃないの。裁判官では分からないからこその専門家による安全審査じゃないのさ。

わが四国電力の伊方発電所でも、地元住民が原子炉設置許可取り消し訴訟を起こしているが、1992年10月に出た最高裁の判決では技術的な中身には踏み込まず、「安全審査は基本設計の安全性にかかわる事項のみを対象とし、現在の科学技術水準に照らし、安全審査の過程に看過しがたい過誤、欠落があると認められた場合、原子炉設置許可処分は違法と解すべきだ」との司法判断の枠組みを示した上で、住民側の上告を棄却した。非常に理性的で、普通に考えれば至極当然の判決である。

ところが、今回の判決は、何も理解していない、何も理解できないアホな裁判官が、自分勝手な解釈で技術的な中身に踏み込んで、とんでもない判断をしているのだ。
判決では炉心崩壊事故の危険性を指摘しているが、これは事故が幾つも重なって起こる事象であり、実際には到底あり得ない仮想的な事態なのだ。このような発生確率が極めて低い事故まで想定して安全性を確保することを求めるのは、全く非現実的であり、裁判官が根本的に科学技術というものを理解できていないのは明らかだ
今回の判決には、原子力発電所には「絶対安全」が求められるとするかのような考えが随所に伺える。潜在的な危険性がある原子力発電所に、できる限りの安全性が求められるのは当然だが、リスクがゼロの工学システムはあり得ない。工学システムだけでなく、世の中のありとあらゆるものについて、リスクゼロなんてあり得ない。家でご飯食べてたって、空から飛行機が落ちてくるリスクはゼロではない。布団で寝てたって隕石が落ちてくるリスクはゼロではない。国際的には、事故の発生確率を算出して安全性を確認する確率評価が主流になっている。リスクの存在を認めた上で、いかにそのリスクの低減を図るか。経験の蓄積を既存施設にどう生かしていくか。そうした努力があってこそ、新しい技術開発が進むのだ。開発途上の技術に最初からリスクゼロを求めるなんて、全く頭の悪いバカ裁判官の浅知恵だ。

そもそも裁判官なんて、たいていは法学部の出身だ。法学部といえば、普通は数学が理解できないから進む分野だ。数学が理解できないってことは、すなわち科学技術なんて理解できない奴らなんだ。数学が理解できない代わりにバカみたいに暗記だけが得意な人間が司法試験に受かって裁判官になるのだ。そういう奴らに技術を判断して欲しくない。判断できないのだ。



例によって調子に乗る新聞

新聞論調には際だった差がある。タイガースファンとしてはジャイアンツの親会社の読売新聞は嫌いなんだけど、今回の論評は我々と同様、正論で通している。国の将来的エネルギー政策をきちんと考えた上で、バカ裁判所を批判している。
一方、商売第一主義で何でもかんでも批判する悪の総本山である朝日や毎日は、鬼のクビを取ったようなバカ騒ぎである。
さらに、地方弱小ヒステリック思考停止新聞の愛媛新聞なんて、「無理が引っ込み、道理が戻った」などと、完全に原子力反対派そのものの口調になっている。アホか。ほんまに。何も知らないくせに。今回の判決は、まさに「道理が引っ込み、無理が通った」んじゃないか。「愛媛新聞」なんて名前は「アホめ新聞」に変えろ。反論があれば、してみろ!

そもそも「もんじゅ」が停止している事自体がマスコミのせいだ。「もんじゅ」は、高速増殖炉の実用化に向けて様々な問題点を調べるための実験のための原型炉であった訳で、その実験の過程でトラブルが起きたからと言って、そもそも問題になるのがおかしい。トラブルが起きたら、そこを改良して将来の実用炉に反映させればいいのである。そのための実験なのである。トラブルを発見するための実験である。トラブルが発見されて良かったのである。しかも、そのトラブルは建物の中で発生しただけで、外部には一切、影響を及ぼしていない。それなのに、新聞を売ることしか考えていない商売第一主義の自己中心的かつ独善的なマスコミどもがヒステリックに報道しまくったもんだから、何も知らない一般庶民に悪の権化みたいに思われて、「もんじゅ」は運転停止に追い込まれるし、動燃は組織替えになっちゃったのだ。



暗雲立ちこめる原子力開発の将来

事は、単に、政府と核燃料サイクル開発機構の問題だけではない。原子力発電所の根幹にかかわる重大事だ。
「もんじゅ」は1995年12月に起こした事故によって運転停止状態だったが、核燃料サイクル開発機構は、原子力安全委員会の許可も得て、今年中にも事故対策を盛り込んだ改造工事に取り掛かる予定だった。ところが、今回の判決は「炉心崩壊事故は改造工事に盛り込まれていないから、無効の結論は左右されない。全面的なやり直しが必要」としているため、運転再開は極めて困難となった。原子力政策の根幹にかかわる重大事であり、当然、国側は上告するだろうし、最高裁では理性ある審理が期待されるが、今回の判決を受けて、地元も運転再開を了解するはずが無いので、国が上告して最高裁が理性ある判決を下すまで、運転再開に向けた計画は完全に棚上げだ。高速増殖炉の開発自体が危機的な状況に置かれた。

これは「もんじゅ」運転再開が振り出しに戻っただけでなく、電力各社が運転している普通の原子力発電所の推進にも大きな悪影響を及ぼすだろう。もんじゅは高速増殖炉だが、これは限られたウラン資源の有効活用を図る核燃料サイクル政策の要なのだ。
日本は、普通の原子力発電所で燃やした後の使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、リサイクルするという方針を維持している。そして「もんじゅ」は、この普通の原子力発電所の使用済み核燃料から回収したプルトニウムを燃料としている。その「もんじゅ」がストップしたままだと、核兵器に転用可能なプルトニウムを余分に持っているということで国際社会から疑念を招きかねない。それの打開策として近年、力を入れてきたのがプルトニウムを普通の原子力発電所で燃やすプルサーマル計画なんだけど、これも東電のトラブル隠し等により、難しくなっており、もう八方ふさがり状態。おまけに、東京電力では昨年の事件により、ほとんど全部の原子力発電所が停まったままだが、これらの運転再開には地元の了解が必要で、このようなバカ判決が出ちゃうと、なかなか運転再開しにくくなってくる。



日本の司法制度の崩壊か

アメリカ大好き人間の僕だけど、アメリカの司法制度はひどい。ひどい点は2つある。
1つ目は陪審員制度だ。全くの素人住民が抽選で選ばれて陪審員となる。そして、直感的な判断によって犯罪者の有罪か無罪かの判断をする。あまりにも無茶苦茶な制度だ。人種的な偏見等もあって、無茶苦茶な判決が繰り広げられてきた。
2つ目は、極端な懲罰的判決だ。例えば、マクドナルドで熱いコーヒーを受け取ったバカなおばはんが自分の足にこぼしてしまって火傷をしたのは熱いコーヒーを出したマクドナルドに罪がある、なんて信じられない判決で何億円もの賠償金をせしめている。同様に、信じられない理由で何十億、何百億っていう賠償金が出るケースもある。さすがに、つい最近の、「毎日ハンバーガーばっかり食べて太っちゃったのはハンバーガーを売っているマクドナルドのせいだ」なんていうデブの訴えは「アホか」って事で却下されたけど。

これに対して日本の司法制度は、ずっとマシだった。ものすごく時間がかかるっていう致命的な欠陥はあるけど、判断自体は理性的なものだった。日本にも、バカ弁護士、悪徳弁護士が蔓延してて、地下鉄サリン事件から毒カレー事件から少女誘拐事件から無差別虐殺事件に至るまで、どなな凶悪な犯人でも無理矢理弁護しまくる商売第一主義弁護士には殺意すら抱いてしまうが、裁判所の判断は概ね理性的なものだった。
それなのに、ああ、それなのに、今回の判決によって裁判所の判断についてさえ、今後は不信感を抱かざるを得ない

確かに、原子力発電所に関する訴訟でも、最近はバカな裁判官がひどい暴言を吐き始めている
1999年に判決が出た北海道電力の泊発電所の建設、運転差し止め訴訟では、札幌地裁は請求を棄却したものの、「人類の未来を考えると原子力発電所中止という選択肢もありうる」などという訳の分からない不要なコメントを付け加えている。バカか!なんで裁判官の分際で、人類の将来のエネルギー政策について論評しているんだ。いい加減にせいっ!こういう下級裁判所のバカ裁判官のスタンドプレーは止めてもらいたい。処分してもらいたい。即、クビじゃ。

特に、今回、バカ判決を下した名古屋高裁金沢支部ってとこは、1998年に判決を出した北陸電力の志賀発電所の運転差し止め訴訟の際も、住民側の控訴を棄却しておきながら、「原子力発電所は負の遺産」などとふざけたコメントをしている。これは同じ裁判官なのかどうか知らないが、もうこななバカ支部は閉鎖して欲しいぞ。

(2003.1.29)



〜おしまい〜





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