スペースシャトルの事故

〜 科学技術にリスクはつきもの 〜



スペースシャトルのコロンビアが空中分解して墜落してしまった。
17年前にチャレンジャーが爆発した時は、打ち上げ直後の事故だったので、まだ分かりやすかった。過去に頻発した日本の無人ロケットの事故を見れば、打ち上げ直後の事故は非常に多いからだ。でも、今回の事故は任務を100%終えた帰還直前の事故だった。こういうタイミングで事故があるとは、関係者もあまり予想してなかっただろう。

それにしても、この新聞のバカ騒ぎはどうだ!墜落翌日の1面は、この事故一色だったが、さらに翌々日の朝刊まで、まだ一面がこの事故だけに割かれている。そこまで大騒ぎするほどの事件なのか?
もちろん、世間の関心は非常に高いだろうし、珍しい事故だし、興味深い事故だし、書く事もいっぱいあるけど、だからと言って、ここまで大きくバカ騒ぎするほどの事件とも思えない。単に、売れれば良いという商業第一主義でセンセーショナルにかき立てているだけのことだ。別に、他に報道すべき記事が無いのなら許せるが、もっと大事な記事が片隅に追いやられているのなら、報道機関としては本末転倒の商業主義だな。

今回の報道で思うのは、原子力発電所のトラブルとの扱いの極端な違いだ。

スペースシャトルは1981年以来、これまで113回打ち上げられたが、今回が2度目の事故だ。ざっと言って50回に1度くらいの確率で墜落するわけだ。我々が乗る旅客機では100万回に1度レベルの事故確率だから、1万倍以上の確率だ。日本で交通事故で死ぬ確率は、毎年、1万人に1人だから、100万回に1度なら、当たりたくても、まず絶対に当たれない確率だ。でも50回に1度となると、さすがに怖いよね。しかし、それについて巨悪の根元である朝日新聞は「巨大技術がかかえるもろさへの警戒を怠ることができないことを痛感するが、宇宙への夢はしぼんでほしくない」なんて平気で書いている。つまり、それくらいのリスクは許容しなくてはならない、ってことだ。宇宙飛行に絶対安全はありえない。この苦難を乗り越えて進むほかの選択はない」とも書いている。
これは、バカ朝日の割には、まっとうな理性ある見解だ。まことにそうなのだ。宇宙開発にせよ原子力開発にせよ、科学技術にはリスクがつきものなのだ。絶対安全はありえない、のだ。どうでもええ技術なら、止めちゃえば済むが、人類に輝かしい未来をもたらす科学技術の場合、ある程度のリスクは許容しながら開発を進めなくてはいけないのだ。「もんじゅ」に対するバカ裁判所の不当判決を批判する記事にも書いたが、これは当たり前のことだ。

スペースシャトルの事故では7人全員が亡くなったが、「もんじゅ」では誰一人として怪我もしていない。発電所の内部の完全に管理された箇所で起こった小さな事故だから、当たり前だ。外部へ影響が及ぶような事故ではないし、重大事故につながるようなトラブルでも無い。理系の人間が見れば、中学生レベルでも理解できることだ。それなのにバカ裁判官は科学技術の事がまるで理解できないから、現代文明を理解できなくてひたすら怖がる未開の原住民のように否定してしまった。そして思考停止マスコミは、それを素晴らしい判決だとバカ騒ぎだ。

宇宙開発は長期的に見て、人類に欠かす事のできない科学技術分野であり、日本が主導できるわけではないにしても、できるだけ協力していかなければならない。それと同様に、エネルギー分野も、長期的に見れば、発展途上国の何十億人もの人々が、今の先進国並みのエネルギー消費をする時代になった時の事を考えれば、枯渇する石油や石炭だけに頼ることなく、新しいエネルギーを開発して行かねばならない。屁のつっぱりにもならない風力なんかに頼れるのは人口の少ないデンマークくらいであり、真面目に取り組むとすれば原子力開発が本命であり、さらに、その中でも枯渇するウランではなく、プルトニウムを有効活用できる高速増殖炉が不可欠であろう。
「今どき高速増殖炉を開発し続けているのは日本とロシアくらいだ」とバカ新聞は非難するが、宇宙開発だって、やっているのはアメリカとロシアくらいだ。だからと言って止めろと非難はしていない。それぞれの国が得意分野で開発を進め、最終的に人類に貢献できればいいではないか。

(2003.2.4)



〜おしまい〜





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