野球と大相撲

〜 ケチな日本人 〜



いよいよプロ野球が開幕した。
なーんて言っても、日本のプロ野球と言えば阪神タイガースしか眼中に無い僕としては、今年もそんなに期待している訳ではない。今年も、開幕初戦を落とした後、3連勝して、その後も3節連続の勝ち越しで、ただいま首位だけど、シーズン当初は快進撃しても、途中で息切れしてズルズルと落ちぶれていくのは毎度の事なので、最初からそんなに期待してはいけない。

それより、アメリカの大リーグが開幕した。相変わらずNHKは(NHKに限った事でもないか)、何を勘違いしているのか分からんが、松井の話題ばかりで食傷気味だ。たかが開幕初戦の初打席でヒットを1本打ったくらいでバカ騒ぎは止めてもらいたい。

それより、野茂だ!すごいぞ野茂は!
開幕投手になっただけでも栄誉ある事だが、なんと、あのランディ・ジョンソンに勝ってしまった。野茂が開幕投手というのは喜ばしい限りだったけど、相手がランディ・ジョンソンということで、少々がっかりしていた。いきなり負けちゃうのかなあ、って。だってランディ・ジョンソンと言えば、今年で40歳になるというのに、いまだに大リーグ最速球ピッチャーの一人である。昨シーズンも、最多勝利やら最多奪三振やら、投手部門の首位を総なめしている。開幕投手も11回目だが、なんと今まで負け無しだ。年俸も、なんと20億円と、大リーグのピッチャーでは最高だ。
ところが野茂は、このランディ・ジョンソンに勝ってしまった。開幕戦で。しかも、なんと完封だ。アメリカの大リーグでは、日本以上に完封は難しい。だって、完投が難しいからだ。どんなに良い投球をしていても、100球程度投げた時点で自動的に交代させられてしまうからだ。今回の野茂は、9回を、なんと103球で仕上げてしまったから完投が許されたのだ。9回を103球で完封だなんて、しかも開幕戦で相手がランディ・ジョンソンだなんて、ほんとにほんとにすごいな、野茂は。
佐々木もイチローも新庄も松井も、みんな野茂がいたからこその大リーグだ。野茂が開拓した道を安穏に歩んでいるだけだ。パイオニアの野茂が、最初はボロボロに言われながら開拓していった後からノコノコついて行っているだけだ。サッカーの中田も、全く同じ意味で大好きだが、野茂は誰になんと言われようとも自分自身だけを信じて海図の無い荒海に一人で立ち向かったのだ。そして、実力だけで成功を勝ち取ったのだ。このロマン溢れる孤高の選手が、僕は大好きだ。
もちろん、それでもイチローは大好きだし、伊良部だって大好きだ。新庄に対しては、全然別の意味で、割と好きです。佐々木とか石井とか田口は、ちょっとなあ、って感じもあるけど。

で、松井だが、大の巨人嫌いの私ですが、実を言えば、僕は松井が嫌いではない。巨人が嫌いなので巨人の松井は好きじゃないけど、積極的に嫌いって訳ではなかった。巨人の選手でも、カッコばっかりの典型的な巨人の選手、例えば長嶋とかは、金属バットで殴ってやりたいくらい大嫌いだけど、禁欲的なまでに向上心があってひたむきな王とか松井とか、嫌いじゃない。だから松井が大リーグで活躍するのは嬉しい。

でも、それにしても、松井の大リーグ入りに対するマスコミの騒ぎ方は異常だ。
野茂の時は、日本球界の第一人者でありながら日本を捨ててアメリカへ行く事に対する反感と批判ばかりだった。可愛さ余って憎さ百倍って感じで。もちろん、その後、野茂が大活躍しはじめると手のひらを返したような賞賛に変わったけど。野茂がいたから、イチローの時は批判は無く、日本での大打者がアメリカで通用するかどうか興味津々って感じだった。ピッチャーは通用してもバッターは難しいかも、って感じで。
ところがイチローも大活躍して人気者になっちゃったので、松井の場合は、最初からそういう心配は無く、最初から好意的な記事ばかりではあるが、それにしても大騒ぎすぎじゃないの?

もちろん、理由が無いわけではない。巨人の四番の座を捨てヤンキース入りした松井のせいで「日本のプロ野球で活躍した一流選手は世界最高峰の大リーグに挑戦するのが当然」と考える社会的土壌が決定的なものになったと言えるからだ。野茂の活躍によって「野球の最高峰はアメリカの大リーグ」だと今さらながらに認識し、一流大リーガーが手にする名誉と報酬のすごさも知った。そして、伊良部、佐々木、イチロー、新庄、石井らが続き、活躍した。ただ、彼らは日本では超一流だったけど、所属チームが人気薄だったとか、人気チームの阪神で四番を打っていたとは言え決して一流選手じゃなかった、とかの理由で、ある程度やむを得ないと理解されたって感じがある。それが、一番人気のある巨人の、しかも不動の四番打者が流出したとなると、大騒ぎになるのも仕方ない。
これがサッカーなら、Jリーグのトッププロがヨーロッパチームヘ移籍するのは慣例化した感があるし、むしろ、ヨーロッパへ行けなけりゃあ一流とは言えない、みたいな雰囲気さえある。移籍できるチームがあって良かった良かった、って感じだ。しかし松井移籍の社会的反響は全く違う。アメリカに行けて良かったね、なんて反応は無い。サッカーに比べ、プロ野球は日本社会にはるかに古くから根を下ろした深い存在になっているからだ。

ところで、相撲の世界は、事態が全く逆だ。野球は選手が流出して問題になっているが、相撲は外国人力士の流入が問題になっているのだ。
今は、東西の横綱が外国人で占められている。武蔵丸と朝青龍であるが、もちろん大相撲史上初のことだ。曙や武蔵丸が横綱になった時は、それに対抗する強い日本人横綱もいたから、もっぱら「初の外国人横綱」っていう騒がれ方で、どこか余裕があったが、朝青龍が横綱になった今回は、横綱が外国人に独占されたって事で、事態はさらに一層大きく進展していると言えよう。
横綱だけではない。番付に載った力士の総数は666人だが、なんと、このうち外国人力士は11カ国の51人もいる。このうち民族的に日本人と同じモンゴル勢が32人もいるから、見た感じではそれほどでもないが、1部屋に1人しか外国人力士が認められていないからこその数であり、無制限になれば、大半が外国人になるかもしれない。
数の多さだけではない。外国人力士は大活躍だ。1部屋に1人と制限されているからこそ、選りすぐりの精鋭がスカウトされているから、彼らはめっぽう強い。なんでもいいから頭数だけかき集めてくる日本人の新人力士とはレベルが違う。朝青龍が横綱昇進を決め、貴乃花引退で日本人横綱がついに不在となった初場所は、幕内から序ノロまでの6階級のうち、序二段を除く5階級で外国人力士が優勝した。

当然のように「国技の存亡の危機だ」と言った嘆きや危機感が多く聞かれる。「相撲は日本の国技」と内外に誇ってきた歴史からすれは、この嘆きは確かに理解できる。
しかし、野球では選手の流出を嘆いておきながら、相撲では流入を嘆くって、それって、すごくおかしい。なんだか、ケチな発想。要するに、「野球も相撲も選手は国際的な流動が無い方がいい」というケチで保守的な安定志向だ。そなな事を言っていると、世界から取り残されちゃうよ。

一体なぜ外国人力士は日本を目指すのか?
高見山から始まり小錦、曙、武蔵丸と続くハワイ出身力士が大相撲に精進した最大のモチベーションは「日本で出世し、家族を楽にさせる」という事だった。朝青龍だってこの点は共通する。しかし、外国人力士の躍進を、「家族を楽にさせる、というハングリー精神のたまもの」とか、敢えて肯定的に「相撲の国際化」と考えたりするだけでは、ちょっとおかしい気もする。
野茂やイチローや松井は、家族を楽にさせるために大リーグへ行ったのか?小野や稲本は、金のためにヨーロッパへ行ったのではないぞ。まさか、野球やサッカーの国際化のためではあるまいぞ?

大相撲の外国人力士達の気持ちの中にも、大リーグやヨーロッパサッカーに挑戦する日本の侍たちに共通するものがあるのではないか。
初のモンゴル人関取となった旭鷲山の成功により、モンゴル勢は角界で一大勢力となった。彼らはみんなモンゴル相撲の出身である。また韓国出身の春日王は韓国相撲の無差別級王者だった。モンゴル相撲も韓国相撲も、プロである日本の大相撲と比較すれば、その体制と規模はアマチュアの域を出ない。大相撲ほどの陣容を誇る格闘技団体は、プロレスやボクシングを含めても、世界でも類が無いことを再認識しなければならない。力士という700人近くのプロ競技者が所属し、国技館という一万人以上収容する常設会場も持つ。国内外への放送や報道体制も完璧に近い。アメリカのプロレスだって足下に及ばない。モンゴルや韓国に限らず、インド、トルコ、セネガルなどでも日本の相撲に近い競技はあるが、強くなると、当然、視野は世界に広がる。情報化時代の中で彼らが、「自分がやっている競技の最高峰は日本の大相撲だ」と認識するのは自然な流れではないか。

大相撲で出世すれは、名誉と共に母国では考えられないほどの大金を稼げることも大きな魅力なのは確かだ。しかし、日本のプロ野球選手が日本で実績を作り、新たな自己実現への挑戦として大リーグを目指すのと同様な意識により、朝青龍や春日王が世界最高峰の相撲に挑戦すべく来日した、との見方もできる。日韓の歴史的経緯もあったのに、春日王は周囲の猛反対を押し切り入門した。韓国では今、春日王の活躍で大相撲入りを希望する韓国相撲の選手が増えているらしい。これは良くない事なのか?
世界中の一流野球選手がアメリカの大リーグに集まるように、世界中の最強相撲選手が日本の大相撲に集まるのなら、「日本の大相撲は相撲界の大リーグだ」と言えるのではないか。
なんて素晴らしい事なんだろう!

(2003.4.6)



〜おしまい〜





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