お花見弁当

〜 日本は豊かになった。 のか? 〜



お花見に行きました。金曜日に職場で予定していたお花見は雨で屋内開催となりましたが、今日の日曜日は晴天で、絶好のお花見日和でした。
今年は私の実家に近い丸亀城へ行きました。あまり有名じゃないけど、日本一大きな石垣を誇る丸亀城は、地元では桜の名所でもあります。地元の人しか行かないけど、のんびりと楽しいひとときでした。

お花見には弁当が欠かせない。て言うか、お花見って、弁当を食べに行く行為、と言い換えることができる。
しかし、そのお花見弁当だけど、持って行ったのはマクドナルドでした。マクドナルドに対する個人的な怒りはおさまってないけど、子供らが好むので仕方ありません。しかし、マクドナルドでなければどうなる、と言えば、わたくし的にはケンタッキーフライドチキンがいいな、てなレベルの話です。あるいは、小僧寿しか、せいぜいスーパーで買った花見弁当か、てなもんです。
そう、家庭の手作り弁当なんて、もうあり得ません。何も、家内の手抜きを非難している訳ではない。彼女は、毎朝、高校生の娘の弁当を作っているくらいだから、作ってくれと言えば、作るとは思う。
しかし、僕たち自身の意識として、どこかへ出かける際に、家で弁当を作って行くっていう発想が乏しくなりつつある。(って、我が家だけですか?)
どこかで買った方が手軽だし、個々人の好きな物が食べられるし。もしかして安上がりかもしれないし。子供の運動会とかでも、同じです。

しかし、これは豊かになったのでしょうか。あんまりそうは思えない。社会は豊かになったのか、というのは僕の長期的なテーマだ

経済的には豊かになっただろうけど、子供の頃、母親が作ってくれた卵焼きや魚肉ソーセージの入ったお弁当は、滅多に食べられないご馳走だった。運動会や遠足の一番の楽しみは、なんと言ってもお弁当だったもんなあ。
何も、お弁当に限った話ではない。普段の食事でもそうだ。最近の若い人に言っても信じてもらえないけど、子供の頃の一番のご馳走はカレーライスだった。もちろん、今でも子供はカレーライスが好きな子が多いけど、単に、好きな食べ物、っていうのじゃなく、年に何回かしか食べられないご馳走だったのだ。まあ、これは、最近の若い人に限らず、同年代の人に言っても半信半疑って顔をされるので、単に我が家が貧乏だっただけなのかもしれない。とにかくカレーライスは家族の誰かの誕生日にしか食べられないご馳走だった。普段は、菜っ葉の煮付けとか芋の揚げ物くらいしか食べてなかった。
でも、それで悲しかったかと言えば、ぜんぜんそんな事はない。まことに楽しい幸せな子供時代だった、ような気がする。それに、子供の頃の貧しい食生活のおかげで、今も、何を食べてもとっても美味しくて幸せ。

お花見弁当ごときで時代を嘆いても仕方ないけど、経済のグローバル化と指標的な生活向上に惑わされて、本当の豊かさが失われていくのはやむを得ない事なのか。

(2003.4.8)



〜おしまい〜





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