自由党と民主党の合流

〜 小沢一郎はどこへ行く? 〜



自由党が民主党と合流することになった。
自由党の小沢一郎と民主党の菅直人が基本合意した段階なので、まだ決定ではないが、今回はこの決定は覆らないだろう。

自由党はどうでもいいような弱小政党だが、僕は実は、小沢一郎が好きだ
彼の政治手法には批判が多いし、僕も見ていて、あまりにも強引な点が気になる事が多いが、手段は別としても、その目指している日本の将来像(国際社会での自立した日本)には共感を覚えるので、ぜひ、いつの日か彼に政権を取ってもらいたかった。
もちろん、彼は一度、新生党を結成し、非自民7党による連立政権を取った事がある。このときの国民の支持率は、なんと70%に達した。今の小泉政権以上の支持だった。何十年にも及ぶ自民党マンネリ政権を打倒したことで、熱狂的な支持を獲得したのだ。
しかし、この時は、首相として据えた細川氏が余りにも簡単に政権を投げ出してしまい、連立政権があっけなく崩壊してしまったので、独自の政策を打ち出す余地が無かった。まことに残念だ。あの時、もうちょっと細川首相が我慢してくれれば良かったけど、育ちの良いバカ殿様では、無理だったか。

そして、それ以降の小沢一郎の行動は、あまり納得できるものではなかった

ここで、ちょっと、戦後の日本の政治体制についておさらいしてみましょう。

今の政治体制の始まりは1955年だ。
それまで対立していた社会党の右派・左派が合流し、日本社会党を結成した。それに対して危機感を覚えた保守の自由党と民主党も合流し、自由民主党を結成した。これが、その後、何十年も続く超マンネリ自民党対社会党の55年体制の始まりだ。
面白いことに、今回の話題は自由党と民主党の合流だが、1955年の保守合流も名前は自由党と民主党の合流だった。今回の合流は、いくらなんでも新党の名前が自由民主党になると訳が分からなくなるから、サカサマの民主自由党になるのかなあ、なんて思っていたが、民主党の吸収になるので、ちょっとつまんない。

せっかく合流した社会党だが、その後、右派勢力が分離して民社党ができた。これも今の社民党と名前が似ているが、主義主張は正反対ですね。
それから創価学会を支持母体にした公明党もできた。
もちろん、一番、歴史が長いのは、戦前から一貫して頑張っている共産党だ。

その後、この、自民党が与党で、社会党、公明党、共産党、民社党を野党とするマンネリ体制が何十年も続いたのだが、これを打破したのが小沢一郎である。1993年、彼は田中角栄の血を引く自民党内最大派閥の実力者だったにもかかわらず、その一部を引き連れて自民党を離党し、新生党を作った。同じ頃、武村正義や鳩山由紀夫らも自民党を離党し、新党さきがけを結成した。さらに、元熊本県知事の細川護煕が日本新党を結成して人気を得た。て事は、小沢一郎の行動もそうだが、さすがに超マンネリ体制にほころびが出始めていたってことか。
小沢一郎は、この細川を首相に担ぎ、共産党を除く全野党(日本新党、新生党、社会党、新党さきがけ、民社党、公明党、社民連)を団結させ、非自民の大連立政権を誕生させたのだ。せっかく自民党の最大派閥の実力者だったのに、そこに安住することなく、自ら飛び出して新しい政権を発足させた小沢の野望と実力は、すごいもんがある。そのままヌクヌクしていたら、そのうち首相になれた可能性も高いけど、それでは自分の思うような政治が出来ない、とばかり、大きな賭けに打って出て成功したのだ。
誤算は、ボンボンの細川が、たった8ヶ月であっさりとポイッと政権を投げ出してしまったことだ。これは明らかに小沢の誤算だろう。そのため、ピンチヒッターとして新生党のお飾り党首だった羽田孜を首相にすげ替えるが、ここで小沢は何を思ったのか、社会党はずしの新会派「改新」を作ろうとしたことで、社会党と新党さきがけの離反を招いてしまう。これは一体どういう事なんだろう。これが理解できない。もちろん、社会党ってのは歴史的に極めて独善的自己中心的非現実的であり、その主義主張には耐え難いものがあるが、しかし、それは最初から分かっていた事であり、いくら社会党を許せないとは言え、せっかく数の力でうまいこと連立政権を勝ち取ったのに、少数与党に転落する事が分かっておきながら切り捨てる、っていうのは信じられない。何なんだろう、いったい。遅かれ早かれ社会党が離反することが避けられなくなっていたのか。それとも、さすがの小沢も、余りにもいい加減な細川の行動にやる気を無くしていたのか。

もちろん、信じられないのは社会党も同じで、少数与党に転落した羽田政権が不信任案を可決されて一瞬で崩壊した後、裏切り者の社会党は、あろうことか、何十年も批判し続けてきた自民党と連立政権を組むなどという考えられない暴挙に出た。さきがけも加えた自社さ連立政権だ。社会党は選挙で非自民連立政権をつくることを公約に掲げて戦ってきたし、それまで自民党の政策に何から何まで何でもかんでも真っ向から反対し、日米安保反対、日の丸反対、自衛隊違憲を唱えてきたのだ。その社会党が、選挙の洗礼を経ずして選挙民の了解を得ることなく、自民党と連立政権を組むことなど考えられない。偉そうな事を言いながら、所詮は大臣になりたいと言ったような私利私欲のために政策を犠牲にしたのだ。これが社会党の凋落であり、それを思い起こせば、今、社民党が滅亡の危機に瀕しているのも当然の報いだ。

さて、新生党、日本新党、公明党、民社党の少数与党による羽田政権の後、自民党、社会党、さきがけの3党による自社さ政権ができ、主義主張を取り下げるのと引き替えに首相の座を恵んでもらった社会党の村山政権が出来る。これに対して、新生党、日本新党、民社党、公明党、社民連は合流して、新進党を結成する。これも、かなり強引な印象だった。新生党や日本新党は同じようなものだったが、社民党や公明党に至っては、元々ぜーんぜん別の主義主張だったもんなあ。まあ、しかし、結束しなければならないから仕方ないか。
実はこの時、社民連の菅直人は新党さきがけに入っている。この男も、元々は社会党的体質を引きずりながらも、なかなか目先が利くと言うか何というか、うまいこと渡り歩いているなあ。
一方、村山政権は、村山首相が引退した後は、さすがにそれ以上はゴネる事もできず、首相の座を自民党に返し、橋本政権となる。そのころ、社会党は党名を社民党に変更する。

その後、自民党と組む連立政権にいたのではパッとしないって事に気付いたさきがけの鳩山由紀夫を中心に、さきがけと社民党の多くのメンバーが合流し、民主党を結成する。これで勢力が一気に衰退した社民党は、1996年の衆議院選挙で政権を離脱して野党になるし、さきがけはほぼ消滅する。従って、その後の橋本政権は自民党の単独政権であり、野党は新進党、民主党、社民党、共産党っていうメンバーとなる。

ここから、また不可解な事なのだが、小沢は新進党を解党に導く。小沢は身近な仲間だけで自由党を結成し、旧公明党グループは公明党を復活させる。そのほか、旧民社党系は友愛を作り、さらに民政党や太陽党も出来た。このうち太陽党、民政党、友愛は民主党と合流し、現在の民主党となり、野党は民主党、自由党、公明党、社民党、共産党というメンバーとなった。

1998年の参議院選挙で自民党は大敗したため、今度は自民党と自由党が連立し、さらに公明党とも連立した自自公政権が出来た。ここまで来ると、小沢は一体何をしとるんだ、って感じだよねえ。自民党とひっつくんなら、一体、何のために自民党を飛び出して連立政権を作ったりしてきたんだ、って感じ。節操なく、なりふり構わず自民党と組むんだったら、社会党と同じじゃないか。公明党も同じだが、公明党はもともと、宗教政党であり、社会党のように政策自体に自民党と相容れないものがあるわけでもないので不思議ではない。もちろん、それを言えば、政策的には自由党はもっと自民党と近いので、連立しても不思議は無いが、それを言えば、そもそも別の政党になっている理由が無くなってしまうぞ。
で、さすがにそれに気付いたと言うか、存在意義の埋没に危機感を持ったのか、小沢は連立政権から離脱する。しかし、元々自由党のメンバーってのは自民党から出た連中なので、政権から離脱して自らおいしい権益を放棄する事には抵抗が大きく、かなりのメンバーが反対して保守党を結成し、政権にとどまる。これで現在の自民党、公明党、保守党による政権が出来た。
小沢としては、再び野党となり、政権奪取の機会を伺っていたが、小泉政権が圧倒的な国民の支持を維持している現状では、政権奪取は極めて難しいと認識し、民主党との合流を模索し始めた。これも、今までの経緯、すなわち自分で新進党を解党したような事を考えると、くっついたり離れたり、一体何をやっとんだ、って感じ。他に選択肢が無い状況では、どんな手段でも取ってしまう強引な政治手法には呆れて感動してしまう。
ただ、昨年末は、民主党の鳩山代表と合流で合意したが、民主党内の反発を受けて鳩山が代表を辞任したため、合流は御破算となってしまった。鳩山の後に菅が代表に就任した後も、5月末の党首会談で、合併前提の統一会派先行構想を議論したが、民主党側のはっきりしない態度に小沢氏が我慢できなくなり、白紙に戻っていた。
そして、今回、再び菅が小沢に「吸収合併」案を非公式に提案し、水面下の折衝を続けてきたのだ。

おさらい話が長くなったが、とにかくこういう事で、遂に、民主党と自由党の合流が実現しそうなのだが、なんと、自由党が解党して、党員が民主党に入党するという、民主党による完全な吸収だ。
もう少し詳しく合意内容を見ると、
(1)民主党が存続し、自由党は解散する
(2)合併後の代表は菅氏とし、党運営は現民主党の執行部が行う
(3)規約や政策、次期衆院選のマニフェスト(政権公約)は民主党のものを継承する
(4)選挙区調整は合併までに終える
などだ。
菅が引き続き代表を務めるのは不思議でも何でもない。小沢は元々、実権さえ握れば表の役職には固執しない男だ。て言うか、むしろ、表には出たくない性格だ。今の自由党は、余りにも小さく、小沢の顔だけで成立しているような政党なので党首になっているが、本当は影で操りたいタイプだ。だから、合流後の民主党で小沢の役職が無くても不思議は無いが、党内の体制も現行の民主党の体制が基本になるし、政策なども民主党のものを継承するなんて、今回の合流スキームを見る限り、実質的にも小沢の影響力がほとんど無くなりそうな感じだ。
選挙区調整だって、
(1)前回小選挙区で当選した現職
(2)比例代表で復活当選した場合は惜敗率の高い者
を優先させることで合意しており、そうすると、両党が現在競合している選挙区は、民主党が有利になると見られる。

これらを見ると、そこまで追い込まれていたのか、という驚きと、そこまでするのか、という情けない気持ちだ。
今までも、あまりにも強引なその政治手法には驚きの連続だったから、何をしてもおかしくはないのだけど、今までとの違いは、これで小沢一郎自身が、民主党の中で埋没して影響力を無くしていってしまうのではないか、という不安だ。彼の事だから、ある程度の目算はあって、そのうち民主党を乗っ取ろうと思っているのかもしれないが、過去の行動の歴史を知られているため、みんな用心するだろうし、そう簡単にはいくまい。

もちろん、今秋にも衆院解散・総選挙が予想される中で、今のままでは、小泉政権が自作自演する自民党内での疑似与野党対立構造の中で、本当の野党は完全に埋没してしまい、政権奪取なんて可能性が全く無いのだから、何でもいいから野党が結集し、とにかく政権奪取の可能性を探る、という意味では、理解できる行動ではある。とにかく、民主党の所属議員は衆院114人、参院59人、自由党は衆院22人、参院8人で、合流すれば200人を超す政党となる。
小沢は記者会見で「自民党政権を倒し、政権交代をするには野党が大同団結して戦わなければならない」と述べたが、これは本当だろう。まさに、その通りだ。しかし、それなら、今まで、一体何をしてたんだ、って言いたい。そもそも社会党を切り捨てたり、新進党を解党したり、なんだか回り道ばっかりして、遂には影響力を失いそうになっている。
もし、このまま小沢が埋もれてしまうのなら、彼の目指す日本像に共感を覚えるだけに、とても残念だ。

(2003.7.27)



〜おしまい〜





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