学歴詐称事件(つづき)

〜 学歴も重要か 〜



民主党の古賀議員の学歴詐称問題については、以前、記事を載せた。

学歴詐称するほどのネームバリューも無い大学の卒業を詐称した情けなさや、海外経験をやたら自慢する浅薄さをバカにし、明らかに故意の嘘で塗り固められた本質的に信用できない人間性を糾弾する内容だが、それに加え、たかが学歴で何を大騒ぎしてるんだろうなあっていう感想も述べた。そんな事、どうでもええやん、って感じ。

ところが、学歴も重要だ、との論評が新聞に載っており、なるほど、と感心したので、ここに紹介します。


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「安易な学歴信仰批判は罪」 (シンクタンク研究員 加藤学)

古賀潤一郎衆院議員の学歴詐称に関する騒動は、議員自身が卒業証書探しの旅に出たという珍妙さよりも、自ら過熱した報道をしながら、事件を学歴主義を象徴する出来事だと書く報道各社の矛盾ぶりのほうが滑稽であった。
1月25日付の本紙社説は「学歴信仰がまだまだはびこっていることをうかがわせる深刻な笑い話」と論評し、31日付の本欄でも「選挙公報に候補者の学歴を記載するのは禁止したほうがいい」という元参議院議員の学歴否定論が展開された。だが、これは全く無責任な主張である。
(注:この本紙社説というのは朝日新聞の社説であり、これに対しては、既に「民主党議員の詐称事件の原因を、日本社会の学歴信仰のせいにすり替え、民主党を擁護しようとする悪質な偏向記事だ」として糾弾する論評も出ている。朝日新聞がそのような意図で掲載したのは明らかだが、僕としては、いずれにしても学歴なんて重要な事ではない、との認識では同感なので、特に問題視はしなかった)

学歴が候補者の優劣を決めるすべてでないことなど、有権者のほとんどは認識している。しかし、実際に会ったこともない候補者の中から1人に投票する有権者にとっては、学歴は候補者の人となりを知る重要な情報のひとつである。その候補者がどんな大学を出てどんな学位を取ったのかを知ることは、候補者にどんな知識が、どのくらいのレベルまで備わっているのかを把握することであり、国の針路を議論し決定する政治家としての資質を判断する重要な要素となる。

学歴否定論者は「いい大学を出ても社会で通用するわけではない」「大学を出なくても成功した人はたくさんいる」という。その通りである。しかしそれは、一部の成功者の才能や努力を称賛するには十分だが、学歴を否定することにはならない。学歴は、学士、修士、博士という学位により、その人の専門知識の達成度を示す指標だ。それを正当に評価しないことは専門知識を身につけることを否定することであり、高等教育そのものの否定につながりかねない。

日本における問題はむしろ、学歴に対する社会的評価が徹底されていないところにある。欧米の求人広告では、要求する学位の種類が明確に記載されていることが普通だし、有名大学のMBA(経営管理学修士)取得者や博士号保持者などには、それ相応のポジションと給与が保証されている。海外では、ビジネス名刺に取得学位を書き込むケースも少なくない。
(注:これは本当です。たいてい書いています)

韓国や台湾での高学歴主義は、日本の比ではない。日本では、文系の場合、有名大学であれば出身学部を問わず、どの業界でも就職ができる傾向がある。「学位」はないがしろにされ、その言葉さえも知らず大学を卒業する学生も多い。
大学側もそうした状況に甘んじ、社会で通用し得る十分な専門教育を行うことなく、卒業生の量産を続けてきた。そして今、同じ現象が雨後の筍のように設立される大学院でさえも起きている。日本の国立大学の大学院の修士修了者が、履修科目不足を理由に英国の大学院の博士課程への直接進学を認められなかった、というケースはよく聞く。

何をどのくらい学んだのかを示す意味での学歴が、採用時などでの一般的な評価基準として確立していれば、受験生や大学生は自分がやりたい将来の仕事に向けての目標を立てやすい。採用する側が就職希望者の専門知識の内容を吟味するようになれば、「大学では何も学ばなかった」などという開き直りは通用しなくなるだろうし、大学側ももっと真剣に専門教育のレベル向上に努めるだろう。
学ぶことへのインセンティブを高めるためにも、安易な学歴否定論はやめ、社会や企業はむしろ、もっとシビアな目で学歴を評価すべきである。


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どうでしょう?極めて正論でしょう?
ソニーだったと思うけど、採用時に学歴を記載させないっていう会社があったけど、「随分乱暴な話だなあ」と思ったことがある。面接だけで一体何が分かるというのかなあ。

日本の学歴社会で悪い点は、卒業でなく、どこの大学へ入学したかが重要だという点だ。もちろん、入学した大学を卒業するという前提での話だが、たいていの大学は、入学すれば卒業できる。要するに、大学で何を勉強したのかではなく、その大学に入学するだけの学力があればOKという評価だ。どんな知識を身につけたかは問われず、その大学に入れる知的能力があることだけが評価の対象だ。
また、一度、企業や役所に入ると、少なくとも今までは定年になるまでいられた、って事も大きな要因だ。だから、入社の時の判断材料である学歴が非常に重要になる。
アメリカなどでは、採用に学歴は重要だし、名刺にも学歴を書いたりするけど、いったん働きだして、役に立たないと判断されれば、すぐにクビになる。つまり、学歴は採用に当たっては公平で客観的な重要判断材料だが、それで一生が保証されるわけではなく、実際に能力が無ければすぐにお払い箱になる。学歴だけで生きていける訳ではない、という意味においては、学歴はそれほど重要ではない。アメリカ人の学生がビジネススクール等の大学院で必死で勉強しているのは、学位を取るためというより、実際に能力を付けるためだ。
だから、日本のへんな学歴社会を改めるには、採用時に学歴を書かない、なんていうアホな対応を取るのではなく、駄目な奴はすぐにクビにする、といった制度を取るべきだと思う。

(2004.2.18)



〜おしまい〜





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