相次ぐ宿泊拒否

〜 国民全体の問題 〜



障害者に対する温泉旅館による宿泊拒否が続いた。

1つ目は、熊本県温泉ホテルハンセン病療養所入所者宿泊拒否した問題だ。熊本県が実施する「ふるさと訪問事業」で宿泊する予定だったことから、県も再三にわたって、「すでに完治している。感染の恐れは全くない」などと説明したが、ホテルは「他の宿泊客に迷惑がかかる」として聞き入れなかった

そして2つ目は、岡山市温泉旅館が、岡山県の盲ろう者団体から中国、四国地方の盲ろう者の大会会場として宿泊予約を申し込まれたのに、「旅館は丘陵地にあり、建物内には段差も多く危険だ」などと断った問題だ。岡山市が同旅館に立ち入り指導し、「旅館業法で、正当な理由がない限り宿泊拒否をしてはならない」と説明したため、旅館側は宿泊を受け入れることを決めたが、「万が一事故が発生した場合、当旅館は責任を持てない」などとして、一筆を求めたのだ。

いずれの事件も、あってはならない重大な人権侵害事件であり、見過ごすことのできない深刻な事件だが、いずれの場合も、一概に一方的に「旅館側が悪い」とは断言できないという意味で、この問題の根は非常に深い。
拒否された障害者の立場に立って考えてみれば、誰もが、いかに理不尽な差別であるかを怒りを持って実感できるだろう。実感できない人がいるとすれば、人間やめなさい。しかし、一方で、自分が旅館経営者だったとすれば、やはり、旅館側の対応も、今の日本の状況では、理解できないこともない


まず、熊本県ホテルの場合、旅館業法では宿泊客が「伝染性の疾病にかかっていると明らかに認められるとき以外は宿泊を拒んではならない」としており、この伝染性疾病にハンセン病は含まれない。しかし、だからと言って、ハンセン病元患者が温泉に入れば、他の客の反応は必ずしも好意的なものとは思えない。きっと多くの客が拒絶反応を起こし、ホテル側にクレームを付けるのではないだろうか。
もちろん、そのような反応を示す客の意識が悪いのだが、いくら客が悪いと言っても、客商売のホテルとしては困る。怒る客に対して「あなたの意識が間違っています」と言えるだろうか。「そんな事を言う人こそ出ていって下さい」と言うべきだとは思うが、公共団体ならともかく、民営のホテルが、そんな事を言えるだろうか。商売できなくなっちゃうよ。だから、差別する人がいる限り、我々日本社会の全員の意識が変わらない限り、旅館だけを一方的に責めたって意味が無い

事実、驚いた事に、この事件がマスコミで広く周知されると、この施設にいる元患者たちを誹謗、中傷する文書や電話、メールが数多く寄せられたと言う。ちょっと理解できないので、どういう内容なのか推察すらできないが、いかに社会において差別が根強いかが分かると言うものだ。差別するのは明らかに無条件で悪いが、差別する人が大勢いる限り、ホテルの対応は難しい。

もともと「ハンセン病は怖い病気だ」として、長年、隔離を続けてきたのは国だった隔離国策として90年も行われてきたのである。国が国策として差別を作りだしてきたのだ。この隔離政策は、つい最近、ようやく廃止されたが、元患者たちが一番求めている社会の理解は、そう簡単には得られないようだ。彼らは、長い隔離政策のせいで、平均年齢は七十代半ばに達しており、ふるさとに身寄りのない人が多いため、社会に復帰することもできない。国は、隔離政策を止めたから、もう責任は無いよ、って言うのではなく、長年の隔離政策によって作られてきた社会の差別を解消すべく、もっと力を入れなければならないのではないか。単に、1つのホテルを非難するだけで社会の理解は得られない。

ホテル側は、宿泊拒否をした理由の1つとして県の説明不足を挙げており、それに対して県は無責任な責任転嫁だと非難していた。これも、どちらかが一方的に悪いというよりは、どっちも悪いと思う。県は「宿泊予定者がハンセン病元患者だ、と前もって伝えること自体が差別だ」と言うが、一見、正論に聞こえるが、これは言い訳だろう。受け入れるホテルとしては、そういう事を知らされず、直前になって突然分かったら、戸惑うのが普通だろう。そういう客に慣れていれば別だが、普通は慣れていないのではないか。恐らく、県の言い分は、問題化したから慌てて誤魔化した言い訳に過ぎず、例によって、典型的な役人の責任逃れだろう。県が事業を成功させたいと真剣に思っていたなら、前もってきちんと説明して問題化するのを未然に防げたのではないか。そういった努力を手抜きして一方的にホテル側に責任をなすりつけるのは自己保身以外の何物でもない。国も県も無責任すぎる

もちろん、僕は、このホテルに一方的に同情的な訳ではない。て言うか、このホテルも明らかにおかしい。ホテルを非難する大学生からのメールに対して、「元暴力団の方たちであっても宿泊をお断りしている。社会通念上、一般の方たちとの何らかのトラブルが起こる可能性がある場合、旅館業としてとるべき責任」と説明している。大学生が「例えが不適切ではないか」と返信しても、「そうは思わない。元暴力団員となると、他の宿泊客には無言の威圧感と、危害を加えられるのではという恐怖心を感じさせる。つまり被害者意識だ。ハンセン施設の方々の宿泊にその他のお客が感じるのは、やはり、感染するのではないかという被害者意識だ」と重ねて主張した。言いたい気持も分からないことはないが、これだけ問題化しているのに、もうちょっと考えて物を言ったらどうだ、って思う。ちょっと例えが酷すぎるぞ。
さらに、熊本県がこのホテルを旅館業法に基づき4日間の営業停止処分にする方針を固めたら、ホテル側はホテルを廃業することを決めたらしい。なんだか、ここまでくるとヤケクソ気味で、泥試合的様相です。


一方、岡山市温泉旅館の場合、盲ろう者の大会会場として申し込まれた宿泊予約を断り、岡山市の指導を受けたため受け入れる方針に転換したものの、「万が一事故が発生した場合、当旅館は責任を持てない」との一筆を求めたのは、もう少しマシか。事実、岡山県旅館ホテル生活衛生同業組合は理事会で「差別を理由とした宿泊拒否と誤解されるようなことがないよう行動する」と申し合わせをし、記者会見では、「身体的安全を第一に考えた行為で差別ではない」と釈明し、熊本の元ハンセン病患者への宿泊拒否問題とは問題の質が違うこと強調した。

これも、自分が宿泊拒否された立場になって考えれば、許し難い怒りがこみ上げてくる。そんな旅館には火をつけてやろうか、なんて思う。しかし、一方、自分が旅館を経営しているとしたら、って考えれば、理解できない事はない。温泉旅館って、新しいところはマシだが、古くからある所は、どこも増築の連続で、つぎはぎだらけになっていて、中はまるで迷路だ。普通の人でも、「もし火事になったら逃げ道が分からなくなるのでは」って不安に思うだろう。それ自体が、構造的に根本的な問題なんだけど、それが現実だ。そういう旅館に、目が不自由な人が大挙して宿泊すれば、何か事故があっても不思議ではない。そして、その事故の責任を追及されると、旅館も困る。そういう対応工事をちゃんと実施し、逆に「目が不自由な人でも大丈夫」って事を宣伝に使えるようになれば大したもんだが、そこまで費用をかけられる旅館も少ないだろう。人手で対応しようとするのも現実的には不可能だろう。

日本社会の全員の意識を変えなければ解決にならないハンセン病元患者の問題と、多額に費用をかけて改良工事をしなければならない旅館の問題と、どちらも簡単に済む問題ではない。非難するのは簡単だが、非難したって何の解決にもならない
マスコミどもは、例によって、何に対しても無責任に非難しほうだいだから、旅館側に対してもボロクソに書き立てているが、少し気の毒な気もする。
そもそも、ハンセン病の隔離政策に関しても、らい予防法が1996年に廃止になるまでは、新聞はほとんど無視してきた。北朝鮮による日本人拉致事件と同じだ。それまでは、すっかり無視していたくせに、社会問題になると、急に正義の味方みたいな顔をして徹底的に報道しまくる。商業第一主義のモラル欠如マスコミこそ、一番先に糾弾されるべきだ。

(2004.2.22)



〜おしまい〜





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