芥川賞批判

〜 つまんない受賞作 〜



2003年度下期の芥川賞は、史上最年少の20歳の金原ひとみ「蛇にピアス」と、さらにそれを上回る史上最年少となる19歳の綿矢りさ「蹴りたい背中」の2作品が受賞した。
48年も前の石原慎太郎や45年前の大江健三郎らが持つ23歳という記録を、女性が二人も同時に破ったということで、話題沸騰で、賛否両論が巻き起こっている。調子に乗って「すごい、すごい」と叫ぶ人がいる一方で、「話題作り先行だ」と批判する人も多い。

この2作品を掲載したことで、文藝春秋3月号は、過去最大の120万部を売っている。もし文藝春秋が、商売優先で仕組んだ受賞だったのなら、ズバリ狙い通りだったわけだ。買った人の多くが中年男性とのことで、「最近の若い女性の考えが分からないおじさんがこぞって買っているらしい」との見方も多いが、とにかく、この話題作が780円で2つとも読めてしまうのだから、お買い得である。当然、僕も買いました。そして、一気に読みました。
ところで、この2作品とも、当然ながら単行本も出ていて、「蹴りたい背中」が既に80万部、「蛇にピアス」も35万部も出ているらしい。いずれも1000円以上する。これって、少し不思議。どちらも短編で、文藝春秋だと「蛇にピアス」が44ページで、「蹴りたい背中」が54ページだ。なんでこんなんを1000円も出して買うのか不思議だ。もちろん、それだけの価値があると思えば買って宝物にすればいいのだが、買う前からそれが分かるはずはないしなあ。

とにかく、話題沸騰の今回の芥川賞であるが、僕は昔から、基本的には芥川賞批判には批判的である。
芥川賞と言えば、一般的には一番偉い文学賞のようなイメージがあるが、短編を対象とした、いわば純文学の新人の登竜門のような賞である。過去にも、多くの芥川賞受賞作が話題を呼んだ、と言うか、議論を巻き起こしたりしたが、それは若い作家が衝撃的な作品でデビューしたからだ。そのような作品は、頭の古い保守的な人々からは嫌悪感を持って批判された。その多くの場合、作品がつまらないのではなく、批判している人が理解できないだけだ。だから僕は芥川賞批判には基本的には批判的なのだ。

もちろん、実際に批判に値する駄作もある。僕がまだ小学生だった1969年に庄司薫が受賞した「赤頭巾ちゃん気をつけて」はひどかった。かなり批判もあったが、はっきり言って、何も知らない小学生でも、下らないバカみたいな作品だって思った。よくもまあ、こんな幼稚な作品を恥ずかしくもなく発表できるもんじゃわ、と田舎の小学生でも呆れたもんだ。その後、作者の庄司薫は、あんまり名前を聞かない。やはり才能が無かったって訳だろう。また、1977年の三田誠広の「僕って何」もひどかった。まことにひ弱な作品だ。精神構造の幼稚さを前面に出したような作文だ。こいつも消え去ったかな。

中にはこのような駄作も受賞しているが、しかし大抵は、衝撃的な作品は優れた作品が多い。そもそも「赤頭巾ちゃん気をつけて」や「僕って何」は、話題は呼んだが、決して衝撃的な作品ではない。そなな駄作が受賞した事が衝撃的だっただけだ。衝撃的な作品と言えば、なんと言っても、1976年に受賞した村上龍の「限りなく透明に近いブルー」だ。これはすごかった。ガーンと頭を殴られたように衝撃的だった。批判も多かったけど、これなどは明らかに、理解できない古い人間が批判していたに過ぎなかった。その後の村上龍の活躍を見れば、受賞が正しかった事が分かる。また、1977年に受賞した池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」も衝撃的だった。(なんでこんなに素晴らしい作品と「僕って何」が同時受賞なんだ!?)

このような過去の素晴らしい衝撃作の例があるから、今回の芥川賞も、批判している人は理解できない頭の古いおっさん連中だろうと思っていた。
しかーし!読んでみて思う。はっきり言って、ヒジョーにつまんなかった面白くも何ともないちっとも衝撃的でも何でもない。あまりにもつまんない。2作品とも、どっちも。テーマがあまりにも小さい。狭い。薄っぺらい。「蛇にピアス」の方は、そういう世界を全然知らない人からすれば衝撃的かもしれないが、それだけの話だ。作品が衝撃的なのではなくて、紹介されている世界が異様なだけだろう。そなな理由で受賞したのなら、芥川賞の価値も地に落ちたと言える。
「蹴りたい背中」に至っては、単に女子高生の日記じゃないの。理解できない訳ではない。共感できない訳ではない。て言うか、「蛇にピアス」には全く共感できないけど、「蹴りたい背中」は非常に共感できる。共感できる人、多いでしょう。でも、共感できることと良い作品ってことは全然別物だ。共感できればいいんだったら学校の卒業文集でも読んでたらいい。とても身近な世界で、分かりやすいけど、ただそれだけ。ばっかみたい。
「この若さにしてはお見事と言えるレベルに達している」との論評もあったが、そうかなあ。これくらい、僕でも書けるぞ。(って、僕は若くないけど)

文藝春秋には、10人の選考委員のコメントも記載されていた。
僕は何と言っても石原慎太郎が嫌いだ。独善的で自己中心的で唯我独尊で視野が狭くて短絡的で大局的な考えの出来ない右翼おやじだ。しかし、今回の賞のコメントに関する限り、全く同感だ。彼は「現代における青春とは、なんと閉塞的なものなのだろうか」、「軽すぎて読後に滞り残るものがほとんどない」とコメントしているが、全くその通りだ。もちろん、青春は多くの場合、閉塞的であり、それは僕らの時も同じだったわけで、何も現代だけの問題ではない。しかし、それをそのまま文章にしただけでは、面白くも何ともないでしょう?今回、ストレートに批判しているのは石原慎太郎だけだった。

逆に、僕が好きな作家である村上龍は「蛇にピアス」を高く評価している。「反対意見が多くあるはずだと、良いところを箇条書きにして選考会に臨んだが、あっさりと受賞が決まってしまった」と書いている。どうしたのかなあ。ただし「若い女性二人の受賞で出版不況が好転するのでは、というような不毛な新聞記事が目についた。当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない」と書いている所は笑ってしまった。全くもって本当にそうですよね。

三浦哲郎は、「蛇にピアス」については、知らない世界に驚きながら、共感はできないものの、一応、評価している一方で、「蹴りたい背中」については、文章が理解できないとしている。これは分かる。僕は上の娘が高校生なので、今どきの女子高校生の話のしゃべり方が分かるので理解できたけど、それを知らなければ意味不明になっちゃう箇所も多いだろうなあ。三浦哲郎はそれを正直に言っているけど、他の9人だって、本当に理解できてんのかいな?ただ、理解できるかどうかは別として「幼さばかりが目につく作品であった」という点は全く同感だ。

ほかに、宮本輝とか古井由吉とか、2作品共になんだかんだと褒めている。褒めるために褒めているんじゃないか、って思えるくらい、言い訳がましく無理に褒めている。筆力というか技量というか、年齢に比して優れている、との評価が多い。しかし、芥川賞ともあろうものが、「若い割にはうまい」ってだけで受賞させて良いのか?そんなん、本質的なものではないだろう?それとも、芥川賞って、若い人へ贈る「頑張ったで賞」なのか?

それから文藝春秋には、受賞者のインタビューも載っている。
金原ひとみ「これが小説として通用するとは思っていなかったので驚いています」って事だが、こっちこそ本当に驚きますよ。まったくもう。僕は自分が品行方正からはほど遠いのを棚に上げて、不良の女子は大嫌いなので、金原ひとみのような女性は大嫌いである。
一方で、ちょっとおとなしめで真面目な子が大好きなので、綿矢りさは大好きなタイプなんだけど、彼女のインタビューは、もっとひどい。そもそも、こいつ、芥川賞なんて受賞している割には、あんまり本を読んでいない。どんな作品が好きか、と聞かれて、教科書に載っていた作品まで出している。海外作品になると、本当に少なくて、かろうじてサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」なんかを上げているが、「ライ麦畑でつかまえて」なんか、「蹴りたい背中」の3百万倍くらい素晴らしい作品だぞ。これこそ、まさしく、鬱屈した青春時代を描いた作品だぞ。って怒っても仕方ないけど。まあ、彼女も自分の作品の世界の狭さは自覚していて「確かに狭いと思います。買って読んでくれた時に狭いとか物足りないとか感じたら「ほんまにすいません」という気分です」って言ってるから許してあげましょう。京都弁が抜けないのも好感できるし、品行方正で真面目な女子が好きですから。

まあ、とにかく、今回の芥川賞はひどかった。これなら乙一「GOTH」の方が5万倍くらいすごいぞ。乙一のは、一応ミステリーって分類されているから、間違っても芥川賞はくれないんだろうが、ミステリーっていう要素をのけたとしても、「GOTH」はすごいぞ。ものすごく衝撃的だ。それに比べたら「蛇にピアス」なんて、あまりにも小さいなあ・・・。

(2004.3.12)



〜おしまい〜





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