忍び寄る老化

〜 身体は誤魔化せない 〜



僕は、他人から割とよく「お前は老けないなあ」とか「いつまでも若いなあ」とか言われる。そう言われると嬉しいのだけど、「そんなもんかなあ」なんて思って鏡を見たりすると、特段、そんなに若々しいわけでもない。ただし、少なくともそんなに老けてはいないように思える。
昔の同級生や会社の同期の連中を見てみると、随分老けている奴と、あんまり老けてない奴とがいる。もちろん、「あんまり老けていないなあ」なんて勝手に思うのは我々自身であって、若い人から我々を見ると、立派に老けているんだろう。しかし、それでも、少なくとも、随分老けている奴よりはマシである。

我々の親の世代あたりの事を思い出すと、彼らが我々の歳だった頃は大抵の人はもっと老けていたように思える。戦争をくぐり抜けてきた苦労多き世代だからだろう。それに比べれば、我々の世代なんてロクに苦労もせずに育ってきたから、相対的に老けは少ない。
なーんて事を言うと「そら、お前の話や」なんて突っ込まれそうだ。確かに、僕は、自慢じゃないが、幼い頃から、努力とか苦労とか辛抱とかにまるで縁のない、実にいい加減な、その場限りの、その日暮らしの、行き当たりバッタリの浮き草人生を歩んできた。勉強も仕事も手抜きどころか、ほとんどまともにやった事がない。完全なる誤魔化し人生だ。おまけに私生活も好き放題だ。だからストレスにも縁が無く、老ける要素は少ないのだ。

そういう訳で、少なくとも見た目は同世代の中では相対的には若い方である。さらに精神的には、さらに若い。て言うか、自分で思うに、精神年齢なんて高校卒業以来、ちっとも進歩はしていない。みなさんは、どうですか?もともと分別のある人は昔から大人びていたし、僕のように分別の無い人間は歳取ったって子供のままだ。さすがに中学高校の頃は進歩があったように思うが、大学に入ってから以降は、これっぽっちも成長が無い。いくら苦労知らずとはいえ、多少の人生経験を積み、多少は図太くもなったろうが、精神的な成長は無く、基本的に考えている事は全く同じだ。そういう意味で若いと言えば、非常に若い。

てな訳で、自分では心も身体も若いつもりでいた。
しかーし!老化は確実にやってくるのだよ、こんな私にも。
何を痛感しているかと言えば、目の衰えだ。僕は高校時代の末期から視力が悪くなり、かなりの近視となった。ま、それは仕方ない。かなり本を乱読していたからなあ。

ところで、近視と老眼の関係って分かりますか?僕は、「近視の人は老眼になると、近視が治る」のだとばかり思ってました。だって、老眼って、「近くの物が見えなくなる」って言うから、「それじゃあ近視と老眼を合わせれば、ちょうど打ち消し合ってプラスマイナスゼロだな」なんて思ってた。だから遠近両用眼鏡ってのが不思議だった。そして、この疑問に答えてくれた人はいなかった。だから、ずっと疑問はとけなかったし、「歳を取ると目が良くなるはずだ」と期待していた。

しかーし!それは間違いだった。
1〜2年前から、視力がまた落ちた。結構、きつい眼鏡をかけていたのに、遠くが見にくくなったのだ。この歳になって近視が進むなんて信じられなかったのだけど、確実に視力が悪くなっていき、道路標識とか見にくくなり、仕方なく度のきつい新しい眼鏡を作った。
ところーが!度の進んだ眼鏡をかけると、なんと近くの物が見えにくくなったのよ。すなわち、眼鏡をかけると、よく言われる老眼状態になるのよ。眼鏡をはずすと近くしか見えない近視で、眼鏡をかけると遠くしか見えない老眼になるのよ。

お分かりでしょうか?すなわち、老眼とは「近くが見にくくなる」のではなく、「焦点が固定化される」のですよ。若い頃は、近視でも、眼鏡をかければ近くから遠くまで見える。焦点を調整する機能は働いているからだ。正常な目が「5cm〜∞」まで焦点を調整できるとすれば、近視の場合は「1cm〜1m」になっているが、眼鏡をかけると「5cm〜∞」に矯正することができるからだ。
ところが、老眼になると、もともと目が良い人は「∞」に焦点が固定され、近視の人は「10cm」に固定されたりするのだ。だから、もともと目が良かった人は、遠くを見るときは裸眼で見て、近くを見る時は老眼鏡をかける。近視の人は、近くを見る時は裸眼で見て、遠くを見るときは度の強い近視用眼鏡をかけなければならない。いずれにしても、遠近両用でない限り、眼鏡をかけたりはずしたりしなければならず、非常に不便なのだ。
これで長年の「遠近両用眼鏡の謎」が解けたのは嬉しいが、結局、不便なのだ。なんで、今まで誰も言ってくれなかったのだろう。
それにしても、若いつもりでいたのに、老眼が出てきたのには参った。不便だからというのじゃなく、精神的にガックリだよねえ。

ところが、最近、さらに新しい症状が出てきた。目の前を糸くずのようなものが見え始めたのだ。人によっては蚊が飛んでいるようにも見えるので飛蚊症と言うらしい。最初は、目にキズでも入ったのかと思ってびっくりした。あるいは、僕はスキーやスノボーに行ってもゴーグルが嫌いなので、天気の良い日には、モロに紫外線を目に受けているので、これで網膜が焼かれてしまったのかと思った。
さらには、目線を急に動かした時なんかに小さな閃光のようなものが見えたりもする。これは光視症と言うらしいが、最初、かなり動揺した。だって、真っ暗闇でも光が見えるのよ。不思議と言うか、怖いわよ。
結局、どっちも老化のせいだと分かった。眼球の中の硝子体っていうのが収縮してひずんだりして出来るらしい。これが原因で網膜剥離を起こすこともあるとのことなので油断はできないが、眼科で調べてもらったら、今のところそのような状態ではなく、取りあえず安心したが、それにしても目は確実に老化が進んでいるって事だ。

他に言えば、僕は昔は体が柔らかかった。若い頃は足を伸ばして床に座って頭が床に着いていたのに、この頃は腰もロクに曲がらないぞ。筋力の衰えも激しく、懸垂なんて2〜3回しかできなくなった。マラソンやってるから持久力だけは維持しているけど、最近、走っていると膝とか痛くなることも多い。こりゃあ、かなりマズイのかも。

怪我の回復も遅くなった。2月に職場でスノボーに行った時に転倒して痛めた肩が、最近になって、ようやく7割がた治ったってとこ。まだゴルフには怖くて行けない。
以前、「四十肩」の話をしていると、年上の人が「五十肩はもっとひどいぞ」なんて言う。「その割には六十肩とか七十肩とか言う言葉は聞かないなあ」なんて言うと、六十や七十になると体中が慢性的に痛みを抱え出すので、ことさら「六十肩」とか「七十肩」とか言わないだけらしい。ひえ〜。

ってことで、「まだまだ自分は若い」なんて思っているのは大きな誤解と錯覚であり、老化は確実に進展している。放っておいたら、その進展はますます早くなるので、もっと真剣に体力維持に努めなければならないなあ、などと思う今日この頃です。

(2004.5.21)



〜おしまい〜





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