長崎女児殺人事件

〜 可哀相な子供達 〜



長崎県佐世保市で小学校6年生の女生徒同士で殺人事件があった。
またまた少年犯罪だ。でも、今回の事件は、よくある事件とはちょっと違う。マスコミはきれい事を書き並べるが、よくある少年犯罪は、はっきり言って不良少年の犯罪が多かった。沖縄県の中学生殺害事件のように、たいていの場合は、加害者も被害者も不良少年同士の争いのケースが多い。或いは、同じ長崎で去年あった中学生による幼稚園児殺害のような変質者少年の犯行だ。
しかし、今回の事件は、どう見ても、全く普通の女の子による犯行であり、しかもパニックで引き起こされた突発的な犯行ではなく、冷静な計画的犯行だ。一体、何があったのか、と言うことで、例によってマスコミは大騒ぎだ。


犯人の横顔

犯行の原因は、事件の10日ほど前、犯人の女児が髪を切ったのだが、その髪形などについて、被害者がインターネットの掲示板に犯人の容姿を傷つけるような書き込みを数回繰り返した事らしい。「やめてくれ」と言ったが止めてくれなかったらしい。それで「もう嫌になった」とのことだ。それまでは恨みなどはなく、仲のいい友達だったが、それが嫌で殺そうと思ったのだ。
犯人は、給食時間が始まったころ被害者を呼び出して教室を抜け出し、同じ階にある学習ルームに手を引いて連れ込んだ。室内では特に口論もなく、カーテンを閉めた後、いすに座らせ、タオルで目隠ししようとしたが、被害者が抵抗したため、後ろから手で目を覆い、ふだんから筆箱に入れていたカッターナイフで右頸動脈を切りつけたという。犯人は、その後、着衣などに大量の血を付着させたまま教室に戻った。
「殺害するつもりで呼び出した」「カッターナイフは用意して持ち込んだ」と供述しているから、計画性は十分だ。て言うか、そもそも「4日前に殺すつもりだった」「事件の数日前から、どうしたら殺せるかを考えていた」との事だから、突発的な犯行ではなく、完全な計画的犯行だ。

殺された女児は、3人兄弟の末っ子で、お母さんは3年前に病気で亡くなっている。長男は大学進学後に親元を離れており、今は中学生の次男と父親の3人暮らしだ。父親が新聞記者で仕事が忙しいため、洗濯や食事の世話をよくするできた子だったらしい。こんな家庭の末っ子の女の子を殺されたお父さんの気持ちを思うと、自分の事のように悲しくなる。犯人と被害者の2人は「ごく普通の仲のいい友達だった」とのことだ。

一方、犯人の女児は、両親、兄弟らの5人家族で、自宅は佐世保市郊外の農村部にある。「かわいらしい、どこにでもいる普通の家庭で育った普通の子」で、被害者と同様に授業参観でも進んで手を上げる快活なタイプだったらしい。親は「子供は問題なく育っていた。成績もよく、頑張り屋だったが、なかなか自己主張できないところがあった」と話している。自営業の父親は病気がちで、母親はスーパー勤めで、保護者の一人は「女児にはいろんなストレスがたまっていたのではないか」と言うが、それくらいの境遇なら、いくらでもいる。
ただし、教師の目には「非常に明るい半面、暗いところがある」とも映っていたという。事件の1週間ほど前からいらいらして、他のクラスメートとも口げんかをしていたとの証言もある。
また、犯人は自分のホームページに同級生への激しい憤りなどをつづっている。「うぜークラス」「下品な愚民や」「喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレや」「高慢でジコマンなデブスや」などなど。さらにホームページに物語も書いている。「バトル・ロワイアル」を真似し、同じクラスの中学生同士が、ただ一人の生き残りをかけて殺し合うものだ。登場人物は男子18人、女子20人で、彼女自身のクラスと全く同じ構成だ。物語は一人の女子生徒だけが生き残ったところで終わる。つまり、外面は普通の子供だが、内面的には、かなり荒廃していたのかもしれない


それほど特異な犯行ではない

しかし、外面は普通でも内面が荒廃している、なんて、それくらい珍しい事でも何でもない。子供でも大人でも、よくある話だ。身の回りにいくらでも居るでしょう。
どうも僕は、今回の事件が、そんなに極めて特異な事件とは思えない。結果的に、実際に犯行に至るのは極めて特異なケースではあるけれど、誰もが潜在的には、このような犯行に及ぶ可能性を持っているのではないか。犯行の理由を聞いて「たかがそんな事で」と思う人は多いだろうが、それくらいでも殺意を抱くことはあると思う。僕だったら、十分あり得ると思う。実際に、それで犯行に及ぶ人は滅多にいないだろうけど、殺意を抱く人はいくらでもいるだろう。
僕は今までに何人かに殺意を抱いた事がある。もちろん実行した事は無いし、真剣に計画した事も無いが、本当に「殺してやりたい」「死ねばいいのに」なんて思う事は珍しい事ではない。誰もがそういう感情を持つ事はあるだろう。そして、幼い子供なら、それを実行してしまう事だってあり得ると思う

今回の事件は、犯行に及んだ女児が特異な性格だったというより、どうしても確率的に起こってしまうようなものではないだろうか。犯行に及んだのが、たまたまその女児だっただけであり、運が悪かっただけだろう。
どんなに交通規則を厳しくしたって、どんなに交通教育を厳しくしたって、ある確率で交通事故が避けられないのと同様に、どんなに教育したって、確率的に起こってしまう事件じゃないだろうか。だから、このような犯罪を皆無にする事は不可能ではないだろうか。


増えていない少年犯罪

こういう事件が起きると、マスコミはすぐ大騒ぎして「激増する少年犯罪」とか「とどまるところを知らない少年犯罪の残虐さ」とか「荒廃する子供の心」とか「社会の病理が生み出した歪み」とか好き勝手書き放題だ。
しかし、実は、子供の殺人事件が増えている訳ではない。刑法に触れて補導された小学生は、僕が小学生だった1980年ごろは約2万人もいたが、最近は4〜5千人程度だ。つまり、僕が子供の頃に比べれば、子供の数も減っているとはいえ、発生率は大幅に減少している。少年犯罪が増え、凶悪化している訳ではないのだ。満14歳未満の子供による殺人は、女児も含めてそんなに珍しくはない。凶悪犯罪の低年齢化が進んだと騒ぐのは誤りだ。
ただ、仲良しの同級生が小学校内で起こした事件は珍しい。

このような事件があると、抑止する手段として刑事罰の厳罰化が叫ばれる。僕も大抵の犯罪の場合は厳罰化を声高に叫んできた。日本の司法界は、何を勘違いしているのか知らないが、加害者の人権ばかり考えて、被害者の感情や人権を全く無視してきた。少年犯罪の場合は特にひどく、被害者の事なんてまるっきり放ったらかしで加害者の更正の事しか考えてこなかった。ゲーム感覚でひったくりや万引する少年や、路上生活者に暴力をふるったり、傍若無人に暴走行為する少年たちの規範意識は明らかに低下しており、このようなバカ者には同情の余地も無ければ、更正を期待する必要はない。だから僕は少年だろうが子供だろうが、犯罪者には厳罰を与えなければならないと思う。
しかし、今回の事件に限って、厳罰化は疑問だ。今回のような事件の場合、厳罰化によって犯行が抑制されるとは全く思えない。心理的に殺人を犯してしまう子供は確率的に発生するため、厳罰化で防止する事は不可能だと思う。しかも、自分の子供の心理状態を見ていると、子供の心は傷つきやすく、揺れ動きやすく、いつ誰が同じような事件を犯しても不思議ではないように思う。犯人の女児も可哀相だと思う。「たかがそれくらいの事で」なんていう人は、自分が傷ついたことのない幸せな人だと思う。て言うか、感受性が乏しくて鈍感な人だと思う。そういう人はハッピーな人生を送れるんだろうけど、世の中には傷つきやすい人だって、いっぱいいるんだ。
訳知り顔の評論家やマスコミどもは、「昔から子どもは乱暴で残酷なものですが、最近の事件は、ガキ大将のおおらかな乱暴や大人に食って掛かるような乱暴さとは違う、もっと内にこもり弱者に向かう乱暴さ、残酷さです」などと言うが、あんた、それは、自分勝手な思いこみですよ。僕らが子供の頃から、子供も結構、陰湿な残酷さを持ってましたよ。(それって僕だけ?)


トンチンカンな論評

校長は「これまでの指導は何だったのかと思う。子どもたちに語りかけてきたことが無に等しいと実感している」なんて嘆いているけど、そんなものではないよ。自分が子供だった頃の事を思い出せばいい。学校の指導なんて、まともに聞く奴なんているか?(少しはいたかも)
凶器となったカッターナイフについても、「図工、理科で使う場合以外は持ち込みは禁止している。事件当日は持ち込みは禁止されていた」なんて言い訳しているけど、そんな言い訳なんてしなくてもいい。持ち込み禁止にしようがしまいが、持って行く奴は持って行く。僕だって、禁止されていたナイフを常に持ち歩いていた。(一度、見つかって没収されたけど)
文部科学相も「人を傷つけてはならないとか命を大切にしなければならないといったことを学ばせるのは教育の原点。改めて命や心の教育がどうあるべきかを考えなければならない」なんて言ってるが、そんなんしたって関係ないって。誰も聞いてやしないって。聞こうが聞くまいが、ある程度の確率で事件は起こってしまうと思う。
「前兆行動について、事件があった後に気づくことがよくある。もっとアンテナを鋭敏にする必要がある」なんて訳知り顔で論評する評論家もいるが、万能の神様じゃあるまいし、何もかも全てを事前にキャッチする事なんてできるわけないじゃないの。ばっかみたい。

またマスコミには、今だにパソコンやインターネットが悪いような論調があるのには呆れかえる。こいつら、今だに自分がパソコンやインターネットを使いこなせてないので、それを悪者にしようとしているのだろう。
パソコンとインターネットの普及により、子供の間でもネット上のチャットは急速に広がっている。昔、女の子の間で盛んだった交換日記が、今は携帯電話やパソコンに移行しており、チャット仲間と自宅で長時間、会話を楽しむ子どもが増えている。うちの下の子供は、まだまだ小さいのでそこまではやらないが、パソコン自体は幼稚園の頃から遊んでいるし、上の子供は親に隠れて、かなりインターネットをやっている。
もちろん、直接話したり電話で話す場合なら、相手のニュアンスをくみ取りながら会話するけど、ネットの場合、言い過ぎることはありがちだ。僕自身、このコーナーでは過激な言葉で書きまくっているし、それに対する反論も「みんなの広場」で過激に書き込む人もいる。相手の顔が直接見えないことで、トラブルになる場合は少なくない。チャットや掲示板では悪口がエスカレートしてしまい、人間関係を壊す人が増えているし、特に子どもの場合は、中傷の言葉にすぐに反発してしまう傾向があり、注意が必要ではある。事件のあった学校でも、インターネットを使う場合のマナー教育はやっており、ネット上で中傷しないことや、個人情報を流さないことなどを書いた注意事項を教室内の壁に掲示している。
しかし、だからと言って、インターネットについて過敏に反応するのは愚かな事だ。文部科学省は「IT教育は多くの小学校で採り入れられているが、子ども同士のネット上のトラブルが、学校内での凶悪犯罪の動機につながるという事態は想定していなかった。ネット社会の負の側面について十分指導するよう、各教委に徹底することになる」なんてトンチンカンな事を言っている。インターネットは単なる道具であり、本質的な問題は別にある。まあ、文部省って外務省と並んでクズの集団で頭が悪いので仕方ない。

さらに、自民党の安倍幹事長は「大変残念な事件があった。大切なのは教育だ。子供たちに命の大切さを教え、私たちが生まれたこの国、この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ」なんて、信じられないくらいトンチンカンな事を言っている。安部幹事長って、最初は出来る男かと思っていたけど、最近の言動を見ていると、ちょっと考えられない。学校が子供に対して郷土のすばらしさなんて教えることが出来るのか?僕なんか、自分が小学生だった頃は、学校や先生に対して不信感しかなかったぞ。国や郷土のすばらしさなんて、アホくさくて聞く耳は持ってなかった。それから、仮に国や郷土のすばらしさが分かったとして、それと殺人事件とどういう関係があるんだ?全く無関係だぞ。
いや、やっぱり安部幹事長はアホじゃなく、今回の事件を政治的に利用しているだけだろうな。だって、上のコメントの後、教育基本法改正の必要性を強調しているから、何でもかんでもそれに結びつけようとしているだけだろうな。
教育基本法の問題は、これまた大きな問題なので、ここで論評するのはやめときます。

いずれにせよ、今回の事件は、同じように小さな女の子がいる父親として言えば、被害者は当然の事ながら、加害者も可哀相でならない。

(2004.6.3)



〜おしまい〜





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