オリンピック女子マラソン連覇

〜 すごいぞ野口! 〜

いやあ、やりましたねえっ!野口選手!
見事、アテネオリンピック女子マラソン金メダルだっ!
前回のシドニーオリンピックで高橋尚子が女子マラソン初の金メダルを取ったけど、高橋尚子なきあと、(って、まだ生きてるぞっ!)、それを引き継いで金メダルを取るなんて、本当に凄すぎる。
結果も凄いけど、なんと言っても、25kmからスパートして、そのまま逃げ切ったレース展開に完全に脱帽だっ!「25kmでスパートだなんて、いくらなんでも早すぎるぞっ!」って思ったけど、ダントツの優勝候補ラドクリフはもちろん、エレム以外の有力選手があっという間に見る見るうちに引き離された。最初からペースが非常に遅かったが、過酷なコースとコンディションのため、各選手とも、あのペースでも限界だったんだなあ。25kmからのスパートは、コーチから言われた当初予定通りだったとの事だが、あの過酷なコースとコンディションの中で実行できるのが凄い。いやあ、参りました。

結局、ラドクリフは36kmで棄権しちゃった。突然、走るのを止め、泣き出しちゃった。何も、泣かんでもええのに、とは思うが。BBCのインタビューで言ってたけど、坂じゃなくて暑さに参ったらしい。気温が37度あったとか言ってた。その暑さの中で、自分がいっぱいいっぱいで走っているのに、他の選手が快調に走っているのを見て、「もう駄目だ」と悟ったとのことだ。驚異的な世界記録を誇るラドクリフだが、コンディションの良いコースを男子選手と一緒に走ってただけだから、いつでも勝てる訳ではないって事だ。今回のレースは、日本人選手には有利だったと言えよう。

とは言え、ラドクリフは落ちこぼれても黒人ランナーの動きは不気味だった。まず、25kmでスパートしてもピッタリくっついてきたエチオピアのエレムだ。黒人の表情って分かりにくいから、見てると、なんだか余裕を持って付いてきているように見えたので、とっても不気味だった。でも、28kmでの2度目のスパートでは着いてこれなかったので、エレムなりには限界だったのかもしれない。一時はエレムはラドクリフにも抜かれたもんなあ。

しかし、その後に現れたのは、ケニアのヌデレバだ。レース中盤では、先頭集団から何度も脱落しそうに見えたのに、あれは老獪なヌデレバの作戦だったようだ。これまた見事としか言いようがないレース展開だ。ひとつ間違えば逆転優勝だったろう。実際、一時は1分以上離されていたのに、みるみるうちに差が詰まり、あっという間に30秒程度になった。それから小康状態を挟み、再度、一気に15秒程度にまで追いつめてきた。昨年の世界選手権では野口はヌデレバに負けて銀メダルになったのだから、あの展開からすれば、あと1〜2km程度のところで抜かれると思ったのだが、あれはあれでヌデレバなりには限界に近かったようだ。

しかし、見ている方は、もう必死だった。深夜にもかかわらずテレビの前にかじりついていた全国1億2000万人の日本人が、揃って「ああ〜ん。抜かれるぅっ!頑張って〜っ!!」って叫んでいた。まるで前回のシドニーオリンピックでの高橋尚子を追いかけるシモンのようだった。あの時も、高橋が早々にスパートして他選手を圧倒的に引き離して楽勝かと思ったのに、最後の最後までシモンが驚異的な粘りを見せ、勢いからいけば抜かれるかもしれないって状況で、テレビの前で「シモン死ねっ!シモン死んでしまえっ!」って叫んでいた日本国民が1億1000万人くらいいたのだが、今回も「ヌデレバ死ねっ!ヌデレバ死んでしまえっ!」って日本中が叫びまくりました。たぶん、その声がヌデレバにも聞こえたんだとは思いますが、最後の10秒差が縮まらなかった。
おかしかったのは、すぐ後ろにヌデレバが迫ってきているのに、野口は競技場に入った時、観客席に手を振りまくっていたこと。あんなに急追されているのに、ヌデレバのレース展開や実力を冷静に分析して、勝利を確信してたんかなあ、なんて思っていたら、「すぐ後ろに来ているのを知らなかった。競技場をしばらく走って振り返ると、すぐ後ろに居たのでびっくりした。手なんか振っている場合じゃなかったですね」なんて平気で言ってた。日本全国民が一人残らず泣きわめいているってのに、本人が知らずに平気だったとは。

前回の高橋尚子が、「必死こいて全力振り絞って、ゴールしたら倒れ込んで、どうしても金メダルが取れなくて、お涙ちょうだいで、自分で自分を誉めたりする従来の古いタイプの日本人マラソン選手」の殻をうち破って、余裕を持ってレースを展開したのに続き、今回の野口選手も、なんだか余裕が感じられましたねえ。2位のヌデレバがゴール後、非常に苦しそうにしていたのと対照的に、まだまだ余力が残っていたって感じだ。151センチ、40キロの小さな体で大したものだ。

ダントツの優勝候補だったラドクリフに限らず、今回の過酷なレースでは多くの選手が脱落していき、かなり激しく順位が入れ替わった。3位に入ったカスターなんか、中盤の先頭集団には入ってもなかった。逆に前回のシドニーで高橋尚子を脅かしたシモンは早々に脱落していったし、ケニアのオカヨもエチオピアのギギもどんどん後退して棄権した。暑さも厳しかったし、なんと言ってもコース自体が坂が多い厳しいコースだった。
(石材店)「厳しいったって、塩江マラソンの坂に比べたら屁みたいなもんですよ」
(幹事長)「ほんまや。塩江の上り坂に比べたら、アテネ上り坂なんて下り坂みたいなんもんよなあ」

しかし、まあ、普通のまともなフラットなコースに比べればアテネのコースは坂が厳しい。ところが、野口選手は上り坂は得意だが下り坂が不得意らしい。僕なんか、て言うか、普通は誰でも、上り坂より下り坂の方が嬉しいけど、野口選手の場合は、相対的に不利な下り坂より相対的に得意な上り坂が好きらしい。背が低くて歩幅が狭いから下り坂が不利ってのは分かるけど、上り坂を苦にしないってのはすごいなあ。あの上り坂でのスパートは、誰も着いていけなかったもんなあ。
でも、下り坂は苦手とは言いながら、あの体型で良く逃げ切ったとも思う。あの体型を補うために日本人選手に多いピッチ走法ではなくてストライド走法を選んだんだけど、その歩幅が身長とほぼ同じってのがすごい。僕は基本的には「マラソンはストライド走法じゃ」と思っている。昔、ストライド走法の中山とピッチ走法の瀬古が競い合っていた時、僕らの間では「瀬古はセコい」ってのが口癖だった。瀬古選手がセコい訳でも何でもなかったのだが、ピッチ走法ってのが、どうもセコい走りに思えてならなかったのだ。この点から言えばピッチ走法の高橋尚子より野口選手の走りの方が好きなはずだけど、野口選手のあの体型ではストライド走法は無理があるなあと思っていた。それだけに、すごいと思う。

今回のオリンピック選手の選考については、高橋尚子を選ばなかった事について、怒り爆発で、日本陸連幹部を金属バットで闇討ちする計画を練っていたのだが、今回の結果で、一応、許してやろう。まあ、もとより、昨年夏の世界選手権銀メダルによって早々と代表を獲得した野口については何の文句もなかったし、非常に期待もしていた。不満があったのは残り2人の選考であったが、その2人も、野口がスパートするまでは先頭集団10人の中で頑張っていたし、最終結果も土佐の5位と坂本の7位だから、まあ、良しとしよう。シドニーオリンピックで途中まで高橋についていきながら、最後は圧倒的な失速により15位に惨敗した市橋有里の二の舞にはならなかった。坂本は少しは期待していたけど、土佐は全く期待していなかっただけに、中盤まで先頭集団で頑張り続け、最後も5位で入ったのは立派の一言だ。良好なコンディションなら相対的に不利だった土佐は、過酷なコースとコンディションのおかげで他の選手が脱落する中、根性で踏みとどまり、相対的に良い結果を残せたと言えよう。
日本陸連の関係者は「高橋尚子さんは見ていたのかな? とにかくよかった。陸連に抗議の電話をかけてきた人をこれで見返せた」などとほざいている。まあ、安堵する気持ちは分かるが、しかし、それでもなお、できれば高橋尚子を走らせてみたかったなあ。あのコースをQちゃんがどんな走りをするか、見てみたかったなあ。
素晴らしい走りを見せた野口選手にしても、高橋尚子のような華やかさは無かった。なんちゅうても、高橋のサングラス投げは格好良かったけど、野口は帽子は捨てたけど、サングラスは最後まで捨てなかったなあ。もったいなかったんかな。特注やもんな。

最後に、これは他の競技の放映にも全般的に言えることだけど、ギリシャのテレビ放送のスタッフの技能はひどい。なんとかならんのか、これ。マラソン中継の時も、上空からの映像は真っ暗になったり映像が止まったりボロボロだし、地上の放送も、いきなり誰を撮しているのか分からない画像がほんの一瞬だけ出て消えるというのが繰り返された。しかし、最悪だったのは、選手がゲロを吐いている映像が何度も放送されたことだ。有力選手が脱落する瞬間の映像は貴重ではあるが、ヨロヨロになってゲロを吐く場面は見たくなかった。僕は少なくとも3回も見たぞ。まあ、それだけ多くの選手が犠牲になった魔のコースであったことは確かだが。
それと、これは日本の放送独自の問題だけど、有森裕子の解説はひどかった。なんじゃ、ありゃ?全く迫力無いし、素人でも言えるような事しか言ってないし、トンチンカンな事ばっかり言ってるし、なんであんな女を出すんじゃ?


ところで、女子マラソンに限らず、前半戦を終えたところで、今回のアテネオリンピックでの日本人選手の活躍振りには目を見張るものがある。彼らに共通するのは、希有な才能と、それを活かすためのものすごい努力だ。彼らはみな、極めて希な生まれ持った才能がある。しかし、現在の豊かな国際社会では、才能だけで活躍できるほど甘くはない。世界中が才能溢れる選手を徹底的に鍛え上げて送り込んでくるからだ。才能溢れる選手を発掘し、それを寄ってたかって能力を伸ばすスタッフが不可欠だ。そして、最後には、それに応えるためのとてつもない努力が必要なのだ。金メダルを獲った連中は、晴れやかに涼しげに当たり前のように軽やかに笑顔を見せているけど、みんなみんなすさまじい努力をしてきたはずだ
物心ついた頃から根性が無く、努力とか苦労とか辛抱とかにまるで縁のない、実にいい加減な、その場限りの行き当たりバッタリの浮き草人生を歩んできたとしては、こういう努力をする人間を凄いと思う。て言うか、正直言えば、理解できない。子供の頃から「根性が無いやっちゃなあ」とか「もっと根性を出せ」なんて言われ続けてきたけど、根性ってのは自分の意志で出せるものではなく、生まれ備わったものではないか?根性が無い人間に、いくら「根性を出せ」なんて言われても困るのよねえ。根性を出せるのも才能だよねえ。
(などと根性無しの言い訳を続けてきているわけですが・・・)

なお、今回、野口選手が履いたシューズに関する興味深い記事がありましたので、無断転載します。

時計の針は午後5時45分、スタートまではあと15分。マラトンの丘はまだ陽が高く、体感温度は35度を超えていたと思う。スタート地点にはまだ選手の姿はなく、意外にのんびりとした雰囲気。突然、野口みずきと土佐礼子の2人がサブトラックの方から飛び出してきた。2人とも笑顔で、どこか余裕を感じた。歩んだ先には、今回の代表3人が履く特注シューズの製作を指揮した、アシックスの三村仁司グランドマイスター(56)の姿があった。「調子はどうや? なかなか良い感じやないか」。視線の先の野口は、笑顔の中にも、すがるようなまなざしで三村さんを直視して言った。「昨日はシューズを抱いて寝たんです」

午後6時、号砲は鳴った。選手たちは勢い良く駆け出していった。オリンピック史上稀にみると言われる過酷なレースの舞台へと。「シューズを抱いて寝るなんて、製作者としては冥利に尽きますね」ゴール地点へと向かう車の中で三村さんにこう聞いた。「まあ、それだけ愛着があるということやね。そういう子は強いよ」眼の奥に、何か確信めいたものを感じた。さらに、私には確認しておかなければいけないことがあった。「3人はどのシューズをチョイスしていましたか?」「野口はスポンジ底の一番スピードが出るやつや。土佐と坂本はウレタン底の以前から愛用しているやつやね。それがどう出るかやね……。後半の疲労が心配やね」

「スポンジとウレタンの違い」については補足しなければならない。三村さんは「心配した」疲労の度合いに直結するからだ。最近の選手が使用するランニングシューズは靴底がウレタン製が主流である。これは、例えば日本の舗装された道路など、整備された柔らかめのロードを走る場合は、材質が硬めのウレタンの方が反発性が良くスピードが出る。ところが、三村さんはアテネのコースを2回視察し、さらには3人がコースを試走して「結構、足にきました」という感想を述べていたのを聞いて、ある確信を持っていた。「所々大理石が混じっているここの舗装道路は硬くて滑りやすい。ウレタンよりもスポンジを使った方が足の衝撃(加重)が弱まり、『足のスタミナ』のロスが防げるんじゃないか」ということだ。シューズ作り30年を数える職人の独特な勘は、正確な状況分析からも導き出された。「今回のコースはね、路面が硬いだけでなく大理石が混じっているんで滑りやすいんよ。水をまくらしいから余計ね」「さらに言うとね、前半に細かいアップダウンがあるでしょ。加重というのは登りが通常の2.5倍で下りが3.5倍程もかかるんですわ。今回のコースは6キロ過ぎから17キロ位までずっと下りが続く。そやから、ここで足に負担があったら、後半のスパートはかけられんのですわ」。「野口が勝つとしたらね、彼女は下りが苦手なはずやから、この前半のなだらかな下りでいかにロスせず走って力を温存し、20キロ〜30キロの登りのどこかでスパートするパターンだね」

この一連の話を聞いたのは実は、レース前日のことだった。まるで、翌日の野口のV走を予想したかのようだった。「3人のうちでは野口が一番調子がええね」と仰るものだから、「どうしてそうお思いですか?」と尋ねたら、「ワシの言うた通りのシューズを、迷いもなく履いとるでしょ。ということは調子がええっちゅうことですわ」「坂本は直前になって『やっぱり履き慣れたウレタンでいきます』言うから、急遽作って持ってきたわけ(アテネ入りしたときに空港でシューズを渡した)。前半で疲れが出ないか心配やなー……」

正直いって、今回の結果がシューズのみに起因するわけではない。ただ、「微妙なアップダウンが続く31キロ付近に差し掛かったところで多分勝負はついていると思うなー」と前日に語っていた三村さんの眼力に狂いはなかった。オリンピックという誰でも勝利を優先する大舞台で、25キロ過ぎという早めのスパートに出た野口の頭の中には、「このシューズは私にスタミナを温存させてくれているはずだ」という信念があったはずだ。でなければ、いかに作戦とはいえ、あのタイミングで前に出る勇気はとても持てない。

有利といわれたラドクリフが苦悶の表情を浮かべながら失速する姿、ゴールをして次々と担架で運ばれていく選手たち……。それに比べて、最後まで飛ぶようにストライドが落ちなかった野口の走りは何と美しかったことか。今回のタフなコースは、三村さんの30年の経験と感性を紡ぎ合わせた最高傑作品を生み出させる、格好な舞台となったのだ。レース前日はシューズと一緒に床に入った野口。テレビ局各社の特設スタジオを周回した後に休む枕元には、再びそっとシューズを置くに違いない。


(2004.8.23)



〜おしまい〜





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