JR西日本脱線事故

〜 本質的な解決は? 〜



兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故については、さんざんマスコミで報道され尽くしているので、事件そのものに対して意見を述べる必要性は感じない。
しかし、世間の論調が、あまりにもJR西日本に対して一方的に非難するばかりなので、ひとこと言いたい。JR西日本だけが悪いのか?と。

JR西日本を一方的に責め立てているのは、例によって独善的で自分勝手で弱い者いぢめでバカでアホで低脳で中国の手先で給料が高いマスコミだが、今回はマスコミだけでなく、政治家も役人も世間全般が思考停止に陥って、ただひたすらにJRを非難している。
確かに、利益優先主義の犠牲という側面はあるだろう。JR西日本の過酷な労務管理が原因であるのは間違いないだろう。電車の便数はどんどん増えていき、スピードアップと時刻の正確さに対する要求はますます厳しくなっていく。

しかーし、ちょっと本質に帰って考えてみよう!
いったいなぜ、そういう事が起こったのか?

それは利用者が「もっと便数を増やせ!もっと早く運転しろ!」と要求し続けたから。ニーズが無ければ、こんな事にはならなかった。
僕が雨の日の通勤に使っている田舎の電車は、コンスタントに2〜3分は遅れてくる。定刻通りに来ると、むしろ乗り遅れる人が出ちゃうんじゃないか?それでも、2〜3分の遅れなんて、僕の感覚から言えば十分に正確すぎるくらいだ。朝の通勤ラッシュの時でも10分に1本くらいの便数だから、2〜3分の遅れは誤差の範囲だ。
それが都会では2〜3分ごとに電車が来るから2〜3分遅れると、次の電車になっちゃうわな。そら、困るわな。(でも、田舎と違って、都会だと、誰も時刻表なんて気にしてないんじゃないの?適当に行って、やってきた電車に乗るだけじゃないの?遅れてるかどうかなんて分かるの?と思うのだけど、違うのかなあ)
まあ、それはいいとして、都会で今のような状況になったのは、利用者が文句ばっかり言い続けてきたからだ。僕が学生時代に東京に住んでいた頃は、国鉄には、電車の入り口で乗客を中に押し込んでくれる押し屋さんがいた。あまりに混んでいて、後ろから誰かに押してもらわなければ中に入れないからだ。今は、いくら東京が人が多いとはいえ、そんな事はなくなった。なぜか?電車の本数が異常に多くなったからだ。昔から比べれば、もう信じられない。今、前の電車が出たかと思えば、すぐに次のがやってくる。そして、本数が増えたってことは、その過密なダイヤを維持するだけの正確さが要求される。どこかで、1つの電車がまごまごしていたら他の電車も大きな影響を受けてしまう。こら仕方ないことですよ。

じゃあ、どうすればいいのか?答えは簡単かんたん。便数を減らせばいいのだ。そしたら混む?そら当然だわさ。昔のように混雑すればいいのだわさ。混雑しまくって電車の乗るのが嫌になればいいのだわさ。そして大都市がどんどん住みにくくなればいいのだわさ。過密都市が住みにくくなれば企業も都会部から地方に移転し、均衡の取れた国土の健全な発展に結びつくのだ。

って言うのは、都市部の住民からすれば、とんでもない極論だろう。しかし、地方から見ていれば、今回の大騒ぎは、そういうバカバカしい一面を持っているのだ。「自動停止装置を最新の物に変えろ」とかいう意見も多いが、そういう風にどんどん機械化を進めて、ますます過密なガラス細工のようなダイヤを作っていけば、いつかまた、何か想定外のトラブルで大事故が起こるだろう。全くバカバカしい事だ。過密ダイヤを解消して、電車をもっとゆっくり走らせれば済むことだよ
これは何も地方からだけの見方ではない。断言しよう。世界中で日本以外の全ての国の人が思うことだ。都市部の人は冷静かつ客観的に考えてみてはどうか。

(2005.5.3)



〜おしまい〜





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