尊厳死問題

〜 無意味な延命治療はやめよう 〜



富山県射水市の市民病院で、外科部長が人工呼吸器を取り外して7人の患者を死亡させていたのが大問題になっている。どうやら外科部長が独断でやっていたらしく、病院側が問題視して公表したものだ。
病院側によると、7人のうち6人は患者本人の直接の同意がなく、家族の同意だけだったことを問題視している。外科部長は「少なくとも一人は自らの手で呼吸器を外した。患者のためにやった。尊厳死だ」と説明しているが、少なくとも全員の本人同意は無かったのだから、この弁明はあんまり意味は無い。客観的に判断して、本人の同意が無くても尊厳死と言えるかどうかが論点だ。

安楽死と尊厳死は混同しやすいが、もともと安楽死は、植物状態になった患者の生命維持装置を外すなどの消極的安楽死と、苦痛から解放するため薬物を投与するなどの積極的安楽死とに大別されてきた。このうち、不治かつ末期の患者が事前に意思表示し、無理な延命治療をせず人間としての尊厳を保ったまま安らかな死を迎える消極的安楽死を最近は尊厳死と呼ぶ一方で、積極的安楽死だけを安楽死と呼ぶことが多い。

積極的安楽死は、いわば毒殺のようなものでもあり、自然死とも言いにくく、なかなか認められない。オランダでは2001年から合法化されたけど、日本ではまだまだ難しく、東海大学付属病院の医師が1991年、末期がん患者に塩化カリウムを注射したとして殺人罪に問われ、1995年に横浜地裁で懲役2年、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この時の判決では、医師による合法的な積極的安楽死が認められる要件として、
  ・患者に耐え難い肉体的苦痛がある
  ・死が不可避で死期が迫っている
  ・苦痛を除去、緩和する方法がほかにない
  ・生命の短縮を承諾する患者の明らかな意思表示がある

を示しているが、極めて常識的な基準だろう。東海大学付属病院のケースでは、いずれかの要件が不十分だったのかな。

一方、延命治療の中止である尊厳死については、この判決の中で、合法となる要件として、
  ・死が不可避な末期状態である
  ・患者の意思表示がある(家族による推定も含む)
  ・自然の死を迎えさせる目的に沿って中止を決める

を示した。本人に苦痛はないので積極的に薬物を投与することはないが、患者の尊厳のために、あくまでも無理で無意味な延命治療は止めようということだ。延命治療をするよりもむしろ自然死と言えるわけだから、これに反対する理由は無い。

もちろん、世の中には何でもかんでも反対する人はいて、難病やがんの患者団体などによる「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」は「尊厳死の法制化は治療法のない難病患者らに死を選ばせる暗黙の圧力を生む」などとして反対しているが、嫌な人は自分が延命治療を受ければ良いだけの話であり、他人の尊厳死までも反対する事はない。世の中には、自分とは異なる他人の価値観を否定する人がいて、子供の臓器移植に反対する人や最先端の不妊治療に反対する人もいて、非常にやっかいだが、他人が自分のためにする事に反対しないで欲しい。

さて、今回、富山県警は、自らの意思に関係なく安楽死させられた疑いがあるとみて殺人などの容疑で捜査に乗り出した。これまで警察が乗り出したケースは、積極的安楽死の事件がほとんどであり、今回のケースは、薬物を投入したのでなく人工呼吸器をはずしたのだから積極的安楽死とは言えず、殺人の容疑はひどいとも思う。
病院側は「個人的には安楽死や尊厳死ではなく、延命の中止と思っている。犯罪かどうか分からないが、道義的に問題があると思う」と述べているが、なぜ尊厳死ではないと言い切っているのか疑問だ。

もちろん、本人の同意があれば理想だ。しかし、こういったケースでは患者は意識が無い場合が多いので、本人の同意なんて取りようが無い。だから家族の同意で十分とは思う。ただし、今回の事件が明るみになったのは、死亡した7人の患者とは別の患者について、家族が呼吸器の取り外しに同意していなかったのにカルテには同意があったように記載して取り外そうとしていたからだ。外科部長は、脳梗塞で倒れ心肺停止状態で病院に運ばれた患者に対し、延命効果が乏しいと判断して人工呼吸器を取り外そうとしたが、看護師長が上司に告げて中止されたらしい。これをきっかけに病院側が調査して、死亡した7人のケースが明るみになった。なので、既に死亡した7人のケースも、本当に家族の同意があったのかどうか不明だ。

しかし、おそらく、多くの場合は、家族の同意は得られると思う。家族としたら意味の無い延命治療を続けて「苦しむ姿を見たくない」とか「早く楽にさせてあげたい」という気持ちが出てくるのが自然だろう。もちろん、介護疲れや金銭的理由などで家族が安楽死を依頼するケースも出てくるだろうが、敢えて言えば、それでもいいのではないだろうか。全く意識が無く、本人自身は生きている事に何の意味も無くなった状態で、それでも無理矢理に生かしているのは家族のエゴとも言えるものであり、家族が望まないのなら無理な延命治療を止めるのが自然だ。
よく聞く話だが、病院によっては、患者の死期が近づいた頃、家族に対して高額治療を持ちかけて「この治療をすれば数ヶ月寿命が延びますよ」と悪魔のようにささやいてくるらしい。費用は何百万円もかかるのだが、その大半は健康保険から出るので、家族としての負担がそれほど重いわけではなく、そういう提案があれば、家族としては、「そんな意味の無い治療はいりません!」と言いにくく、ズルズルと延命させてしまうらしい。しかし、それをやったからと言って患者が回復する訳でもなければ意識が戻る訳でもなく、患者も家族も何も幸せにはならず、単に病院が不当利益を得るだけの悪魔の治療だ。こういうあくどい病院を撲滅するためにも尊厳死は広く認められるべきだと思う。

病院側の説明では、この外科部長は責任感が強く、病気の説明がわかりやすくて人柄もよく、主治医として信頼されるなど、患者の評判も良かったらしい。延命治療の中止についても信念をもってやったらしく、決して悪気があったはずはない。だって病院とすれば植物人間だろうが何だろうが長らく生かして治療費をかせいだ方が得だもんな。

とにかく、患者本人の意志を確認するのは理想だろうが、多くの場合、本人の意思を確認するのは不可能だろう。しかし、その際の本人の意思確認が不可能だからと言って、一体、誰が無理で無意味な延命治療を望むと言うのだろう。僕なら助かる見込みが無いのなら、最初から人工呼吸器なんて付けないでもらいたい。多くの人が同じ事を考えるのではないだろうか。そんな無意味な治療をしたがるのは金儲けをたくらむ病院だけだ。
その場では本人の意思確認が難しいのだから、前もって、国民全員に臓器提供意思表示カードのような物を持たせ、臓器移植を希望するかどうかとか、意味の無い延命治療を拒否するかどうかなど、元気なうちから意思表示させればいいと思う。

それから、判例による判断基準はあるとは言え、あくまでも1地方裁判所での判例だ。原子力発電所の運転を差し止めるような非常識な裁判官もいるんだから、1回の地方裁判所での判例だけでは心許ない。はっきりと国が基準を明確にすべきだ

とにかく役所のやることは遅い。遅すぎる。話はそれるが、原子力発電所の運転を差し止めるような無茶苦茶な判決が出た理由は、もちろん最大の理由は裁判の知能が低かったことだが、国の指針が時代遅れだったことも大きな理由だ。もちろん、北陸電力は国の古い耐震指針だけでなく自主的に十分な耐震設計をしており、現実的には何の問題も無いのだけど、国の指針が古いため「国の安全審査をクリアしているから大丈夫」という論法が通用しないのだ。国は、もう何年も前から指針の見直しに着手しているのだけど、いつまで経っても結論が出ない。役所ってことろは時間の概念が無いから、いつまでも揉めているようだが、民間企業側はいつまでも悠長に揉めている時間は無い。さっさと決めてもらいたいものだ。

(2006.3.27)



〜おしまい〜





独り言のメニューへ