麻原彰晃の死刑確定

〜 当然の手続き 〜



オウム真理教の元代表で、未曾有の大量殺人者である麻原彰晃(松本智津夫)に対する一審の死刑判決が、控訴審で審理をしないまま確定する見通しになった。
2004年2月に東京地裁が言い渡した死刑判決を不服として控訴していた弁護側が、定められた期限までに控訴趣意書を提出しなかったため、東京高裁が刑事訴訟法の規定に基づいて法廷を開かずに控訴を棄却したからだ。
地下鉄サリン事件などで合計27人もの人を殺害した、日本の犯罪史上例を見ない異常な殺人鬼に対する刑事裁判は、極めて異例の終わり方をすることになった。

刑事裁判の控訴審というのは、新しい証拠に基づく審理もできるが、基本的には一審の裁判内容の当否を審査するものだ。麻原彰晃が犯した一連の犯行の残虐さや社会に与えた衝撃を考えれば、誰がどう見ても一審の死刑判決は妥当な結果だ。て言うか、これで死刑にならなければ、もはや法治国家とは言えない。暴動が起きるぞ。
もちろん、麻原彰晃は控訴した。ま、普通、死刑判決を受けたら控訴するわな。しかし、弁護側としては、普通にやっても控訴審で勝てる見込みは全くない。誰がどう考えても死刑に値する犯罪者だからだ。これで弱った悪徳弁護士どもは、「被告の精神障害が悪化していて弁護人と意思疎通もできないし裁判の進行を理解できる状態にもない。訴訟能力がないので裁判を停止して治療させるべきだ」と主張する作戦に出た暴挙と言えるだろう。
そして、控訴した場合、普通は提出期限までに控訴趣意書を提出しなければならないのだが、弁護側は「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」として提出しなかったのだ。被告の訴訟能力の有無を控訴審最大の争点と位置づける弁護団にとって、趣意書を提出すれば、訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうことになるから、他に手が無かったとも言えるが、明らかな引き延ばし作戦だ。

東京高裁も最初から厳しかったわけではなく、最初は、このふざけた見え透いた弁護側の主張にある程度の理解を示し、控訴趣意書の提出期限を一度延期し、さらに医師による松本被告の精神鑑定まで行った。その結果、
  ・話す能力があるのに一審の弁護人とほとんど意思疎通を図らないという態度を貫き、控訴審でも弁護人への不信、
   非協力の姿勢は変わっていない。
  ・一審公判段階では、訴訟能力を欠くに至ったという疑いは生じない。
  ・控訴審以降も、東京拘置所での日常生活を見れば、一審公判の終盤と基本的には変わらない
  ・高裁が依頼した精神科医の「訴訟能力がある」とした鑑定意見は肯定できる

との判断となり、「訴訟能力に欠けているとは言えない」とした。
そして、「裁判所が決めた期限までに弁護側が控訴趣意書を出さなかったのは、真摯な努力を最大限尽くしたが完成できなかったなどの理由によるのでなく、既に完成して提出できる状態なのにあえて提出しなかったものだ。また、被告が訴訟能力を持つことに疑いはない」との理由から、今回の控訴棄却となったわけだ。刑事訴訟法では、提出期限までに控訴趣意書が提出されなかった場合、裁判所は「やむを得ない事情」がある時を除いて決定で控訴棄却をしなければならないと定めており、今回は、やむを得ない事情とは言えないと判断したからだ。

この動きを察知していた弁護団は「3月28日に提出する」と事前に明らかにしていたが、裁判所はわざとその前日に決定を出した。「現在直ちに提出したとしても、遅れは『やむを得ない事情に基づくもの』とは認められない」と述べているので、仮に提出が早かったとしても、もう手遅れだったようだが、一応、提出の先手を打ったわけだ。

裁判所は悪徳弁護士に対して「趣意書を提出しなかったのは、被告から実質審理を受ける機会を奪う重大な結果を招くおそれをもたらすもので、被告の裁判を受ける権利を擁護する使命を持つ弁護士として、その職責を全うするという点からみて極めて問題がある」と非難しているが、当然の指摘だ。一方的に悪いのは、基本ルールさえ守れなかった弁護団だ。
つい最近も、山口県光市で母子が殺された事件の最高裁弁論が、弁護人が出廷しなかったため延期される騒ぎが先ごろ起きたが、このような悪徳弁護人の訴訟遅延行為は許されるものではない。このような行為が、迅速な裁判を求める被告人だけでなく、被害者自身にも悪い結果をもたらすことが明らかになったという点において、良い前例ができた。これを機会に、悪徳弁護士どもは裁判のいたずらな遅延行為を慎むべきだ。

今回の決定に対して、当然ながら弁護団は直ちに高裁に異議を申し立てる意向を示したが、普通の裁判と違い、異議審は、裁判を打ち切った手続きに誤りがないかを非公開で審理するものであり、
  ・被告に訴訟能力があるかどうか
  ・弁護団の行為を理由に被告から高裁での実質審理を受ける機会を奪う不利益を与える今回の決定は、
   憲法の保障する裁判を受ける権利を侵害しないかどうか
などが争点になる。異議が認められれば、公判が始まったり、被告の精神状態の治療のために公判停止となったりする可能性があるが、退けられた場合は、弁護側は最高裁に特別抗告でき、さらにこれが退けられれば、死刑が確定する。
ただし、普通の裁判と違い、あくまでも手続きに誤りがないかどうかの審理であることから、一般的には異議や特別抗告が認められる例は少ない
このため、おそらくは麻原彰晃の死刑は確定するだろう。て言うか、控訴審をしようが、どう転んでも、あいつの死刑は間違いないだろうから、単に時間の問題なんだけどな

さて、今回の当たり前の決定に対して、独善的で自分勝手な一部のマスコミ(って朝日新聞だけど)などは、批判的だ。いくら黒を白と言いくるめる偽善者のマスコミとはいえ、さすがに麻原彰晃を擁護しているわけではない。そうではなくて、裁判で真実が明らかにされる機会が無くなった事に対して残念がっているのだ。「あれほど社会を震わせた危険な集団のボスの裁判が、書類の未提出という理由で終わってしまうのは、なんとも中途半端な感じがする」というものだ。なんじゃ、そりゃ。単に自分の好奇心が満たされないから文句言ってるだけじゃないの。アホですか。
アホマスコミは、麻原彰晃の精神状態が訴訟に耐えられるかどうか疑問視している。確かに一審の途中から麻原彰晃は呆けたような態度を取り始め、法廷で居眠りもするし、意味不明の発言をしたりして、悪徳弁護団は「長い拘置所暮らしによって精神に変調をきたした」と主張していた。しかし、裁判所は精神鑑定により、その演技を見破って決定を下したわけだ。

もっと良識のあるマスコミの、控えめな論調としては、「明白な訴訟手続き違反があるとしても、死刑事件の控訴を審理抜きで退けるには慎重さが必要。今回、東京高裁は、その必要な慎重さをもって、決定を下したといえる」というのもある。結果としては今回の決定を支持しているが、そもそも確信を持って明白な訴訟手続き違反を犯しているのだから、慎重さが必要だなんて、言い過ぎだ。規則はきちんと守らなければならない。法を守るべき裁判所が多少の法律違反を勝手に多めに見るようでは困る。
このような、規則を守らない典型が、死刑の執行である。刑事訴訟法では、死刑判決の確定から6ヶ月以内に法務大臣が執行を命令するように定めているにもかかわらず、歴代の法務大臣は自分勝手な考えで死刑執行を延ばしに延ばしてきた。一般的には、判決が確定してから数年から10年以上も経過してから執行される例が多い。大阪の池田小学校で8人の子供を殺した宅間死刑囚の死刑が、珍しく1年未満で執行されたら、かえって騒ぎになったくらいだ

確かに、一審では、殺人鬼麻原彰晃がなぜ大量殺人を犯したのか必ずしも明確にはならなかった。それを暴きたいと思う人がいるのは理解できなくもない。しかし、一審だけでも8年近い年月が費やされた
(そして、このような凶悪殺人鬼の弁護士費用として税金から何億円もの金が払われている。こんな悪いやつに弁護士なんてつける必要も無いと思うのに、悪徳弁護士どもを12人もつけたからだ。弁護士を何人付けたって、こんな奴、死刑以外にないだろう?)

これから、さらに何年もかけて裁判をダラダラ続けたからと言って、何か新しい事が出てくるとは期待薄だぞ。単なる頭のおかしい殺人狂なんだから、きちんとした理由なんて無いんじゃないか。それとも、一審の地裁は、「どうせ高裁や最高裁で2回もやり直しするんだから、適当に審理したらいいか」なんて思ってたんじゃないでしょうねえ。まあ、適当にやろうが真剣にやろうが、誰がどう判断しても死刑は覆らないだろうし、これ以上、裁判をやる必要性はない。

(2006.3.29)



〜おしまい〜





独り言のメニューへ