高松塚壁画損傷事件

〜 文化庁は何やってんの? 〜



奈良県明日香村の国特別史跡の高松塚古墳で、文化庁の職員がカビ処理の作業中に国宝の極彩色壁画を誤って損傷しながら、そのことを公表していなかったことがバレた。

事故があったのは2002年1月28日で、文化庁と東京文化財研究所の職員が交代で石室内のカビの除去作業をしていたところ、床に据えてあった室内灯に体が触れて倒し、西壁の壁画に接触して「男子群像」に当たり、衣服の胸部の緑色の彩色が1センチ大の半月状に剥離した、というものだ。しかも、これだけでなく、同じ日に石室内に置いた空気清浄機も倒し、「男子群像」下の絵の描かれていない漆喰壁に長さ8センチの傷をつけたらしい。

この事故について、文化庁は作業日誌と写真で事故の報告は受けており、全て把握していたが公表しなかった。そして、傷の部分に和紙を張ったうえで樹脂を刷り込み、周囲の泥をまぶして汚れに見せかけ、目立たないよう修復し損傷を隠した。つまり、こっそりと補修を済ました訳だ。文化庁は「公表すべきだったが、隠匿などの悪意はなかった」なんて言い訳しているが、当然、誰も信じないわな。完全な隠蔽だ。隠蔽工作
文化庁は「事故は日誌に記載されていることから、隠ぺいした痕跡はない」と言っているが、ちょっと待ってくれ。それは立場がおかしい。それは「担当者が隠蔽しなかった」という事である。担当者は隠蔽しなかったが、文化庁が隠蔽したのだ。だから、我々は担当者を責めているのではなく、文化庁を批判しているのだ。文化庁は、まるで当事者意識が欠落している。
今頃になって文化庁は、外部の有識者を入れた「損傷事故に関する調査会」を設置し、事故原因や事故を積極的に発表しなかった理由などを調べると言っているが、4年も経ってから調査会を設置したって、もう本当の事は分からないだろう。

高松塚古墳と言えば、1972年の発掘調査で石室内に極彩色壁画が描かれていることが分かり、全国に考古学ブームを巻き起こした有名な古墳だ。ところが、その後、壁画は30年以上にわたって現地保存されてきたのだが、カビが発生し、劣化が激しくなってきた。そのため、最近になって文化庁は石室解体による壁画保存を決定した。
千数百年もきれいなままで残っていた壁画が、僅か30年でカビが発生して激しく劣化したこと自体が、アホな文化庁の保存方法の悪さが原因であり、管理状況の悪さが大きく批判されてきたのだが、それなのに、それに輪をかけて室内灯をひっくり返して傷つけていただなんて、もう信じられない。とんでもない事だ。ただでさえ批判されていたから、隠そうとしたんだろうけど、文化財を保護する役所とは思えない犯罪的行為だ。
「石室内は立ち上がれないほど狭く、誤って器具を倒すのはありうる」という同情的な意見もあるが、それなら、なおさら速やかに公表し、対策を立てるべきだ。隠蔽なんかしていると、同じような事故が無くならない。事実、このときだって、室内灯をひっくり返した後、今度は空気清浄機もぶち倒して2回も傷つけているのだ。

このような文化庁の度重なるミスと情報公開に消極的な隠蔽体質には、当然ながら批判が高まっている。カビが大量に発生した時も、発生してから公表するまで2年も経っていた。なんとか自分達だけで修復できないか模索していたのだろう。完全な隠蔽体質だ。
こうなれば、今回、明るみになった事故だけではすまないかもしれない。カビ発生と劣化の経緯など、これまでの文化庁の姿勢をみていると、今回の事故くらいは、いつでも十分にありえることだ。ケアレスミスはこれにとどまらない可能性がある。これまでの修理日誌カードを全て点検し、他に同様の事故や隠蔽工作が無かったかどうか確認する必要がある。
さらに言えば、このような貴重な壁画の管理を文化庁に任せていいのか、という疑問すらわいてくる。「文化庁がやらないで、どこがやるんだ?」ってことになるだろうが、どこか大学にでも任せた方がいいんじゃないか?どうせ文化庁なんて、貴重な税金を無駄に食いつぶしている役所なんだから。

なーんて、文化庁を批判したわたくしですが、実は、今回は、そんなに怒っている訳ではない。て言うか、役所の隠蔽体質に関する問題なので、役所批判の急先鋒である私としては無視する訳にはいかないので、書いたまでだ。役所のイカサマには過剰に反応する私だが、正直なところを言えば、実は私は文化財にはほとんど興味はない。なので、実は、この世界では画期的な発見と言われる高松塚古墳にも、ほとんど興味は無い。

(石材店)「幹事長の文化財に対する関心の薄さは、このコーナーの目次を見れば分かりますね。
       政治問題や外交問題、社会問題、経済問題については過敏な反応して書きまくってるので多いですね。
       それからスポーツも好きだから多いですねえ」
(幹事長)「それから科学、技術についても結構書いているぞ」
(石材店)「それに比べて文化面は少ないですねえ」


確かに、これまで275項も書いているけど、文化面は本当に少ない。極めて少ない。かろうじて映画や文学に関するものが少数ある程度だ。基本的には、このコーナーは怒りをぶつけるコーナーだから、文化面で怒る事は少ないので、無くて当たり前だが、スポーツでは喜びもぶつけているのだから、文化面でも、もう少しあっても不思議は無い。やはり関心の薄さが原因だろう。
音楽面でも、大量の楽器を所有しているくらいだから、とても好きなんだけど、好きなのはポピュラー音楽であって、洋楽、和楽を問わず、伝統音楽に対する関心は薄い。クラシック音楽に対しては、批判的な意見も持っているのだが、そもそも知識が乏しいので堂々と批判するのも控えている。
美術面でも、現代美術は好きだし、パソコンで色々と画像を加工するのも大好きなんだけど、古い絵画や美術品に対しては関心は薄い。
その他、文化財についても、関心と興味は激しく薄い。これまでに書いた記事と言えば、例の発掘ねつ造事件を起こした怪しい民間考古学者に対する批判記事だけだ。あの記事も、文化財ねつ造に対する怒りで書いたものではない。そもそも文化財に関心が無いから、それがねつ造だったからと言って怒るわけではない。あの怪しいおっさんに騙された日本の考古学界に対して批判したものだ。

その記事にも書いた事だけど、そもそも、マスコミは文化財や考古学に関して妙にバカ騒ぎする。まるで、ものすごく重要な事のように。
(石材店)「それは、ものすごく重要なんじゃないですか」
(幹事長)「いや、そんな事はない。文化財や考古学など、大した事ではないのだよ、ワトソン君」


科学少年の私は言いたい。たかだか数百年や数千年の人間の営みなんて、この自然の真理に比べれば、取るに足りないものだ。所詮は、我々アホな人間どもがチョコマカと営んできた過去に過ぎない。物質とは何がどうやって出来ているのか、とか、宇宙はどのように始まり成長しているのか、といった自然の真理の解明の方がはるかに重要だ。たかだか千年や2千年前の人間が何をしていたかだなんて、そんなに必死になって知りたいのだろうか?そりゃ僕も知りたいことは知りたいけど、そんなに必死にはならないぞ。邪馬台国が九州にあろうが畿内にあろうが、はっきり言って、どうでもいいんだけど。それより量子コンピューターの実現性の方が、はるかに重要だ。

国立大学が独立法人化されてからというもの、研究費がどんどん削られている。国立大学のこれまでの実態からすれば、やむを得ない面もあるが、少ない研究費の配分についてはメリハリを付けて欲しい。どうでもいいような社会科学面での研究費は削ってもいいから、基礎科学面での研究費はふんだんに配分してほしい。科学技術分野でも、応用工学に直結する分野なら企業との共同研究も盛んになってきているが、企業活動に結びつかないような基礎科学面での研究は大学に期待するしかないのだから、予算は手厚くして欲しい。
(石材店)「高松塚壁画の話は、どこへ行ったんですか?」
(幹事長)「手短に言えば、文化庁なんて潰してもいいから科学研究予算を確保して欲しいって事です。おしまい」


(2006.4.13)



〜おしまい〜





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