また出た不当判決

〜 人数にこだわらずに死刑を! 〜



昨年11月、広島市で小学校1年生の少女が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死の罪に問われ、死刑を求刑されていたペルー国籍のヤギ被告に対し、広島地裁は無期懲役を言い渡した

あんなひどい事件を起こしておきながら、死刑じゃなくて無期懲役だなんて、なんたるちあ。まことに不当な判決だ。せっかく先日、一審、二審で無期懲役の判決だった山口母子殺害事件の犯人の元少年が、最高裁で差し戻しとなり、死刑になる可能性が高くなったというのに、またまた一審では不当な判決が出た。

これまでも、殺人事件で被害者が1人の場合は、いくら死刑が求刑されても無期懲役の判決が出ることが多かった。死刑になったのは、身代金目的の誘拐での殺人や、殺人の再犯の場合など、極めて例外的である。
例えば、女性会社員の自宅に侵入して殺害して現金を奪った強盗殺人犯に対し、東京地裁は2002年9月に「悪質だが、被害者は1人で被告なりに罪を自覚している」なんて理由で無期懲役を言い渡し、最高裁でも確定した。また、料理店主を射殺して現金を強奪したうえ、駅員を銃撃して重傷を負わせた男に対しても、東京地裁は今年4月に「死亡したのは1人にとどまり、重大事件の前科もない。死刑とするには躊躇を感じる」なんていう理由で無期懲役を言い渡した。いずれも被害者が1人ということが重視されている。1人しか殺さなかった場合は、よほどの事がない限り、死刑にはならないのだ。
逆に2人以上が殺害されても情状面を考慮して無期懲役となる場合も多かった。上記の山口母子殺害事件の下級審もそうだし、男が交際女性とその夫、長女の計3人を殺害した事件や、銀行員が顧客の夫婦を殺害した事件などでは、2人以上を殺しているにもかかわらず、無期懲役となっている。何を血迷っているのか理解できない不当な判決のオンパレードだ。全て裁判官の弱腰のせいである。

今回、検察側は、「たとえ被害者が1人であっても、罪責が極めて重大な場合には死刑の適用が考慮されるべき」であり、「同種の性的犯罪の予防の見地など、安心できる社会を取り戻すため、子どもの安全を脅かす重大犯罪には、国民感情に沿った厳罰をもって臨むべきだ」と主張した。さらに「子どもが犠牲になる事件が頻発しており、同種犯罪には従来の判例基準を形式的に当てはめるべきではない」とも主張した。全く同感だ。もっともな主張だ。

このヤギは名前からしてふざけているが、本当にひどい奴だ。「悪魔の声が聞こえた」なんていう無茶苦茶な理由で無罪を主張しているが、そもそも母国ペルーでも幼児相手の性犯罪の常習犯だった。しかも、単なる性犯罪だけでなく、今回は、その挙げ句に殺人にまで至っているのだ。誰が考えても、これは死刑だろう?

例によって金に目のくらんだ悪徳弁護士どもは、「悪魔の声が聞こえた」なんていうヤギの嘘を御旗に、心神喪失か心神耗弱の状態だったとして、殺人と強制わいせつ致死について無罪を主張していた。さすがに裁判官もそれは認めず、確定的殺意とわいせつ目的があったことを認定した。もちろん刑事責任能力もあったとして「卑劣、冷酷というほかない犯行」と指摘している。それなのに、ああ、それなのに、結論は死刑でなく無期懲役だ。何度も言うけど、無期懲役は終身刑ではなくて、10数年もすれば、みんな平気な顔をして出てくるのだ。こんな悪魔のような性犯罪者が平気な顔をして出てくるのだ。
この不当判決の言い訳として、裁判所は「被害者が単数で計画性がなく、衝動的な犯行。矯正不可能とまでは言えない」なんて説明している。つまり、被害者が1人であり、かつ計画的な犯行でないという点で死刑を避けたわけだ。
今までも日本の腐りきった裁判所の判決に対して文句を言い続けてきた私だが、しつこく繰り返し言うが、被害者が1人であれ、人を殺したんだから、基本的には死刑になるべきだ。もちろん、先日の集団リンチ殺人事件のように被害者側も悪い場合は事情を考慮すべきだろう。しかし今回のように被害者には何の落ち度も無く、犯人の自分勝手な犯行の場合は、断固死刑にすべきだ。計画性があるか無いかなんて、殺された人にとって何の意味もない。なんで計画性を重視するんだ?

今後、たぶん検察側は控訴すると思うけど、こんな社会のウジ虫のような男に死刑判決が下される日はくるのだろうか?

(2006.7.4)



〜おしまい〜





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