病気腎移植

〜 問題は別のところにある! 〜



容疑者の起訴で、もう決着したかと思われた宇和島徳洲会病院での腎臓移植に、新たな問題が出てきた。例の臓器売買事件で執刀した医師が、病気と診断されて摘出した腎臓を別の患者に移植していた事が明るみになったのだ。
これまでの調べでは、移植手術は2004年9月から今年の9月まで、これまで11件行われている。11件のうち腎がんは3件あり、また11件のうち6件は宇和島徳洲会病院で摘出手術も行っていたが、他の5件は香川県や岡山県の協力病院からの提供だ。5件のうち3件は、岡山県の病院にいる弟の医師が摘出手術したものだ。

この宇和島の医師に対して以前から極めて批判的な日本の医学界は、再び批判の大合唱だ。このような移植は非親族間の移植であり、基本的に日本移植学会の倫理指針に反している。日本移植学会は、いかなる理由があろうとも、生体腎移植は親族間でしか認めていない。しかし、今回の問題は、それよりも、もっと重大な問題をはらんでいる。
すなわち、「他人に移植するなら、そもそも摘出しなければならない病的な腎臓だったのか」という問題だ。「仮に腫瘍なら、手術前の検査で良性か悪性かはおおむね分かるし、悪性部分だけ取り除くのも難しい手術ではない」という指摘だ。また、「他人に移植できるくらいなら、元の患者に戻すべきだ」とも指摘されている。

確かに、この理屈は、一見、もっともらしく聞こえる。他人に移植できるような状態の臓器なら、そもそも摘出する必要はないように思える。また、他人に移植できるくらいなら、元の患者に戻した方が早い。臓器を運搬することなく、その場で手術できるからだ。
しかし、現実には、あり得る手術だ。がんなどの病巣を含む腎臓を移植に使うことはあり得ないが、治療過程で、まだ機能する腎臓が摘出されるケースはあるため、それを移植することはあり得る。例えば、事前の検査で悪性腫瘍と診断していた部分が、摘出後に良性腫瘍と分かり、摘出する必要がなかったと判明するケースは、珍しい事ではなく、よく聞く話だ。これを元の患者に戻せ、という意見は、もちろん、もっともらしいが、患者として「どちらがいいか」と聞かれれば、「いったん切り取った腎臓なんて、もう、どうでもいいや」って思うのではないだろうか。悪性ではなくて良性とはいえ、腫瘍があるんだし、それが悪性に変わる可能性もゼロではないし、そもそも、また元に戻すには手術が必要だし。取り出す手術だけなら1時間ちょっとで終わるが、それを元に戻す場合は、手術全体が7、8時間になる。僕なら「もう、やめて」って言うと思う。手術って、結構、大変なのよ。そうなれば、その腎臓は捨てるしかなくなるので、もったいない。そんな腎臓でも欲しいという人がいるのなら、あげてもいいじゃないか、って思う。みなさん、いかがでしょう?



たぶん、この宇和島の医師は、金目当てでやっているのではないだろう。彼は、30歳代のころ手術が思うようにできずに悩み、米国に留学して技術を磨いた。帰国して宇和島市立宇和島病院に戻り、熱心に移植手術に取り組み始めたが。当時は移植手術は大学病院などでしか行っていなかった。それにもかかわらず、手術の成功率が高く、評判になった。県内外から指導を仰ぎに来る医師も多く、「出血が少なく、素早い」「1日で二つも移植手術をこなしたと聞いた」など、神業的な技術を称える声は多い。
病院内では常にネクタイを締めず、サンダル履きの、ざっとした性格だが、患者には丁寧に接し、評判は良い。「金に執着がない」というのが共通した評価だ。臓器売買事件が発覚した際も、彼を知る人は、全員が彼の関与を真っ向から否定した。

金目当てでなければ、なぜ、このように世間を騒がすような手術をするのか。それは、患者を救いたいという彼の信念からだろう。何も不思議なことはない。彼は、「ドナーがいなくて本当に困っている人がいる。非常に切羽詰まった状態で、こういう手術をした」と話している。

みなさんは、人工透析を知っているだろうか?僕の友人で若い頃から人工透析をしている者がいる。若い頃から腎臓の具合が悪くて、もう何十年も人工透析をしている。毎週3回病院に行き、1回あたり数時間はかかる。ものすごく不便だ。ちょっとした旅行にも行けない。しかも、不便なだけじゃない。すごく苦しいのだ。透析をしている時もしんどいし、普段だって激しい運動はできない。すぐ疲れちゃうからだ。本当に厳しい人生だ。そういう患者を身近で診ていると、なんとか移植手術はできないものか、なんて思ってしまう。仮に病気になる可能性があるとしても、人工透析を一生続けるよりは、マシだと考えても何の不思議もない。

もちろん、病気の腎臓を移植に用いることは、移植を受けるレシピエントに高い危険性をもたらす。腎臓に限らず、臓器移植を受けた患者は、拒絶反応を防ぐために免疫抑制剤を服用する必要があるからだ。体の免疫力の低下によって、さまざまな感染症などにかかりやすくなる。医師は、「病気の腎臓でもいいかと患者に説明して了承を得た。がんの場合は、再発の可能性を説明し、全部了承を得た」と言うが、腎移植を待つ患者は、どんな腎臓でも、のどから手が出るほどほしい状態であり、危険性を十分認識して冷静で正常な判断をするのは難しいかもしれない。しかし、それでもいいのではないだろうか。危険を伴っても、今よりはましなのだ。現状は、それほど厳しいという事なのだ。



事件の医師が、なぜ学会から批判ばかりされているのか、と言えば、学会との関係が悪いからだ。なぜなら、彼は学会を相手にしていないからだ。日本の医学界は極めて閉鎖的で、一匹狼の存在を許さない。大学病院で君臨するボスを頂点に、全国の病院の人事を支配し、好き勝手やっている。医学界に属さないくせに、日本一の技術を誇るような彼の存在は、医学界からすれば目の上のたんこぶなのだ。彼の技術を評価する学会員でも、「新しいやり方をしているのは認めるが、学会などへの報告が少なく、優れた医療の共有という面で医学に対して責任あることをしない」と批判したりしている。どうしても学会から抜け出すのを許せないのだ。

だから、今回の事件を問題視している学会の態度は、よく分かる。日本移植学会をはじめとする医学界は、「移植の腕は日本一」と言われている彼が学会に所属せず一匹狼で好き勝手やっているのを嫉妬して批判しているのだろう。そして、なぜこの医師が学会に所属していないかを反省することもないのだろう。
なぜこの医師は学会に所属してないのか。おそらく、学会は現実から目を背けて、きれい事だけ言っているからだろう。何の役にも立たない組織だ。しかし、学会としては、それがバレちゃうと存在価値が無くなるから、この医師を批判して、自分たちが正しいと言い張ろうとしているのだろう。
学会は「ルールを無視した行為だ」と批判しているが、それは学会が学会のために作っただけのルールだ。この医師は「じゃあ、困っている人はどうすればいいんだ」と反論しているが、学会による学会のための無意味なルールか、それとも患者の救済か、どちらが正しいか、普通に考えれば、分かるのではないか。


しかし、マスコミの反応は理解しがたい。なぜマスコミは、患者を救おうとする彼を犯罪者に仕立て上げようとするのだろう。一体なぜマスコミは、医学界と連動して批判の大合唱をしているのだろう。
独善的で自己中心的なマスコミの体質が、やはり独善的で自己中心的な医学界と同じだから、共感するところがあるのだろうか。
いやいや、そんな事ではなくて、単に商売第一主義だからだろう。マスコミは何でもかんでも大事件に仕立て上げ、センセーショナルに報道する事によって販売を伸ばそうとする。今回の善意に満ちた手術も、善意側の視点で報道すると、あっさり終わってしまうので、犯罪として報道することによりニュースバリューを大きくしようとしているのだろう。本当に短絡的で愚かなマスコミどもだ。

宇和島の病院は、他の病院が移植を受け付けない時の駆け込み寺になっていたが、マスコミの無責任で大げさな報道のせいで、腎臓移植の道は、ますます狭くなっていく。前回の臓器売買事件や、今回の事件で、変な法律ができちゃうと、移植はできなくなっちゃう。


(石材店)「でも、こういうケースが進むと、本当は摘出しなくても済む病気の人の臓器も、
       移植目的のために摘出されちゃうようになるんじゃないですか?」
(幹事長)「実は、その問題は、ある。今回の事件で、唯一、気がかりになるのは、そもそも摘出は必要だったのか、という事じゃ


これは、臓器提供の自発性という移植医療の根幹を揺るがしかねない問題だ。移植手術に使う目的で、本当は摘出する必要がない臓器を、患者を誘導して、摘出に同意させたのではないか、という事だ。今回のケースに限って言えば、その可能性は少ないと言えよう。ドナーとレシピエントは面識が無く、あらかじめ計画的に行われた手術でもない。しかし、こういう手術が許されるようになれば、もしかしたら、臓器欲しさに、本当は摘出しなくてもいいかもしれない臓器を摘出しまくる風潮が出てくるかもしれない。その心配は分かる。

しかし、実は、この問題は別のところにある。移植に使うかどうか以前に、日本の病院では、何でもかんでも切りたがるという問題だ。最近の医療技術は発達してきて、ガンでも切らずに治療できるケースが多くなってきた。放射線医療や化学医療を組み合わせれば、手術するのと同等以上の効果が期待できるケースが増えているのだ。素人は、手術すれば、なんだかスッキリして完治するから好ましいような気がするが、実は手術というのは、それ自体が体に大きな負担をかけるのだ。手術している時のリスクだけではない。手術してから後も、ずうっと体に負担が残るケースも多い。それなら、手術と同じ効果が期待できるのなら、手術しない治療方法を選びたい。しかし、日本の多くの病院では、相変わらず手術ばかり勧められる。なぜか?理由は簡単だ。手術しなくなれば、外科医の仕事が無くなっちゃうからだ。外科医の仕事を確保するだけの理由で、今も数多くの不要な手術が行われている。問題の根本は、これなのだ。この方が、はるかに大きな問題なのだ。不要な手術が行われている限り、それで摘出された臓器の有効利用を図ることは悪い事ではない。


ところで、今回のケースを問題視しているのは、自分たちの存在を否定されかねない学会である。学会を否定する医師を再起不能にしようと思って、それこそ鬼の首でも取ったように大騒ぎで大はしゃぎだ。しかし、臓器売買は一応、法律でも禁止されているが、今回のケースは、実は法律では何の規定もない
脳死や心臓死後の臓器提供は、臓器移植法や関連法令で、その手続きが厳しく決められているが、生体臓器移植は「臓器売買の禁止」を除いて具体的な法規制は無いのだ。医療現場では、日本移植学会の倫理指針に基づいて進められているだけだ。もちろん、学会が君臨する日本の医学界においては、これは法律と同様な効果はあるが、学会に属しない病院においては、何の意味も無い。さらに、日本移植学会の倫理指針だって、実は、今回のような病気腎移植のようなケースは想定していないのだ。つまり、今回のケースは、学会は批判しているが、実は何の規定も無いのだ。仮に規定があったとしても、それは学会による学会のための規定であり、学会員以外には何の意味もないのだが。
何だかんだと大騒ぎする以前に、そもそもちゃんとした法律を作るべきではないだろうか?

(2006.11.5)



〜おしまい〜





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