やりすぎた警官

〜 頼れるのは警官だけ 〜



10日ほど前に、路上で騒いでいた少年を立ち去らせるため、警視庁の警官が拳銃を抜いて威嚇した事件があった。東京都北区の路上で、「大声がうるさい」という苦情を受けて駆けつけた警官が、地元の高校生ら少年3人を注意したところ、3人はいったんその場を離れたけど、たった10mくらい動いただけですぐに再び路上に座り込んだうえ、警官が名前などを尋ねても無視したため、拳銃を抜いて威嚇して立ち退かせたというものだ。
なんで明るみになったかと言うと、このアホタレ3人組が、自分たちの行動を棚に上げて「銃を向けられた」と警察に訴えたからだ。

警官の行動は、軽率の誹りを免れないものではあるが、決して事件というほどのものではないと思うんだけど、例によって権力嫌いのマスコミが大騒ぎして事件になった。こういう事件は、相手が未成年ということもあり、マスコミの格好の餌食となってしまう。鬼の首でも取ったようなバカ騒ぎだ。そのため、警視庁も放っておけず、「拳銃の適正使用にあたらない」ということで特別公務員暴行陵虐容疑で調べることとなり、処分が検討されている。

ところが、この事件が報道されると、警官の行動を支持する手紙やメールが全国から大量に警察署に届いているらしい。「警察官をばかにしたような行動は許せない」とか「警察官のほかに、誰が少年を注意するのか」なんていう意見だ。当然のことながら、警官の質問を無視したくせに、すぐに被害を訴え出ているバカ少年どもの姿勢を批判する内容もあった。
また、地元からは、処分の軽減を求める住民の嘆願書も提出された。嘆願書には地元住民110人が署名しており、「自分も路上にたむろする若者を注意すると『うるせえ』と反抗的な態度を取られたことがあった。共感できる」という意見が多い。

(石材店)「でも、やっぱり、いきなり拳銃を抜くってのは乱暴なんじゃないですか?」
(幹事長)「確かに僕も、この事件を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、何かに付けてやたら拳銃をぶっ放していた
       バカボンに出てくる警官だけどね」


もちろん、安易に拳銃を抜くという発想は褒められたものではない。路上にたむろする高校生どもは、おそらく社会のクズであり、生ぬるい対応をしても何の効果も無いだろうけど、だからと言って安易に拳銃で威嚇すると、自分まで相手と同じ低いレベルに落ちてしまう。ここは警官の威厳を見せて、あくまでも毅然とした態度で追っ払うべきだっただろう。

しかし、だからと言って、この警官を悪者に仕立て上げようとするマスコミは許せない。もちろん、アホタレ少年たちも許せないが、こいつらアホだから、仕方ないのよねえ。どうせなら、威嚇するだけでなく、撃てば良かったくらいだ。とにかく、自己中心的で偽善の塊の無責任マスコミの態度は許せない。
何が許せないかと言えば、まさに住民の声が代弁してくれている。すなわち、警察官のほかに少年を注意できる人間がいない、という事実だ。住民が注意したって、かえって反抗的な態度を取られて危険なのだ。


ちょっと内容は異なるが、警官による行き過ぎの事件は他にもあった。横浜市で、電車内でふざけていた男子高校生が警官に平手打ちされ、傷害の現行犯で逮捕された事件だ。
この生徒は、電車内で拳銃の形をしたライターをホームに向けて遊んでいた。駅員に注意されて止めたけど、電車内でも反省した様子がなかったので、居合わせた警官が生徒を怒鳴りつけ、平手打ちを浴びせ、ライターを捨てたのだ。
当然、これも偽善の塊のマスコミの餌食になり、大々的に非難された。県警も、仕方なく「警官の行為は一方的でやりすぎだった。捜査を進めて厳正に対処したい」としている。
これに対して、一般市民から2000件を越える多数の擁護意見が寄せられた。例えば「注意できる大人がいない中、きちんとしかるという行動は安心できる」といった内容だ。まさに、始めに書いた事件と同じ構図だ。

どちらの事件も、警官の行動がいき過ぎだったのは否定できない。しかし、問題の根本には、社会のクズのような若者を野放しにしている社会がある。狂犬病の犬のような若者に対して下手に注意すれば、注意した方が危険にさらされる。注意できるのは警官だけだ。しかも、警官のちょっとした行為に対して偽善の塊のマスコミがバカ騒ぎするから、狂犬病の若者どもも、警官を舐めている。普通に注意したって聞く耳を持たない。だから強い態度を示す必要がある。それが拳銃を抜くとか、いきなり叩くというのはいき過ぎだろうけど、なかなか有効な手段がないというのが現実だ。どうすればより良い社会を構築できるかの提案も無いくせに、一方的に非難するマスコミの無責任な態度は改めてもらいたい。

(2008.3.7)



〜おしまい〜





独り言のメニューへ