痴漢裁判逆転無罪

〜 冤罪事件の根絶を! 〜



電車で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われ、1、2審で有罪とされた防衛医科大教授が最高裁で逆転無罪を勝ち取った

(石材店)「勝ち取った、なんて表現するくらいだから、幹事長は被告寄りのスタンスですね」
(幹事長)「もっちろん!」


この事件は、2006年4月、東京都内の満員電車の中で、大学教授が17歳の女子高生の下着に手を入れた、なんて濡れ衣を着せられ、いきなりネクタイをつかまれて駅員に突き出され、警察に逮捕されたものだ。検事には「認めた方が楽になる」などとお決まりの文句を言われ、「やっていない」っていう主張は全く取り合ってもらえず、起訴されたのだ。たかが痴漢ごときで、起訴後に保釈されるまで、なんと30日間も拘置されている。これって一般的らしい。嘘でもいいから、認めて謝ればすぐに釈放されるのに、「やってない」と主張し続けると絶対に釈放されないようだ。だいたい、このような事件の場合、嘘でもいいから「はい、やりました。ごめんなさい」なんて謝り、被害者だと主張する女性と示談を済ませれば、不起訴処分になる。ところが真実を貫き通して無罪を主張すると、なかなか釈放されず、有罪になれば実刑の可能性が高くなる

この事件でも、1審の東京地裁と2審の東京高裁は、ともに女子高生の供述を鵜呑みにして教授を有罪とし、懲役1年10月の実刑なんていうとんでもない重い判決を出していたのだけど、良識ある最高裁は、「被告が犯行を行ったと断定するには合理的な疑いが残る」と述べて1、2審判決を破棄し、逆転無罪を言い渡したのだ。
最高裁が、2審の事実認定を覆して無罪を言い渡すのは珍しいことであり、特に痴漢をめぐる事件で逆転無罪判決を言い渡したのは初めてだ。最高裁は直接、証拠に触れていないため、判断をひっくり返すのは極めて異例とも言えるのだが、逆に言えば、差し戻しをせず無罪と判断するほど1、2審の証拠判断がおかしかったということだ。

最高裁は、判決の中で「満員電車内の痴漢事件は、被害者の供述が唯一の証拠である場合が多く、被告が有効な防御をすることが難しいため、特に慎重な判断が求められる」と述べ、痴漢事件の審理のあり方に言及しており、単にこの事件だけでなく、世の中の痴漢事件全般の審理のあり方に警鐘を鳴らしたものと言えよう。
被害者の供述以外に客観的証拠が乏しい痴漢事件において、捜査当局の立件の是非や公判での事実認定のあり方に高いハードルを設定したものであり、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則を改めて確認したともいえる。

そもそも、今回の事件では、教授は捜査段階から一貫して否認しており、また物証も何も無かった。さらに、被害者だと言い張る女子高生は、途中駅でいったん下車したのに再び同じ車両に乗車して被告のそばにいたなど、極めて不自然な行動を取っていた。普通に考えれば被害者の供述は怪しいのだけど、それにも関わらず、最初から被告を犯人と決めつけていた1審の東京地裁は、冷静になって疑うこともなく女子高生の供述の信用性を全面的に認めて、有罪にしたのだ。2審の東京高裁は、女子高生の行動を「いささか不自然」と指摘したのだけど、なぜかそれでも1審判決を支持し、教授の控訴を棄却した。教授は「一方的に決めつけて、人の人生をなんだと考えているのか」と、捜査と2審までの司法判断を批判しているが、怒っても怒りきれないケースだ。しかし、さすがは最高裁、「被害者の供述は不自然で信用性に疑いがある」と冷静に判断して無罪とし、ようやく教授も救われたのだ。

実は、警察庁は2005年11月に、電車内での痴漢犯罪について、全国の警察本部に、「目撃者の確保」、「被害者らの供述の裏付け」、「容疑者に付着した被害者の衣服の繊維鑑定など科学捜査の推進」などを文書で要請している。それにもかかわらず、今回の事件のように、何の証拠も無ければ目撃者もいないケースで、平気で起訴し、裁判所も思考停止に陥ったかのごとく有罪を出していたのだ。
警察庁の文書を無視するかのごとく、いくら証拠や目撃者がいなくても、被害者の供述が「詳細かつ具体的、迫真的」であれば、信用性が認められ、供述だけで有罪判決につながるケースが多いのだ。しかし、この「詳細かつ具体的、迫真的」というのが抽象的であり、被害者の供述がどんなに怪しげであっても、起訴されてしまうと、ほとんど全てのケースで「具体的かつ詳細」「迫真性がある」「基本部分において一貫」などという、お決まりのフレーズで有罪になってしまうのが現実なのだ。
今回の最高裁判決では、このような傾向に警鐘を鳴らし、「検察官と被害者が入念に打ち合わせすれば、公判での供述が、詳細かつ具体的とみなされてしまう。それだけで被害者の主張が正しいと即断するには危険が伴う」と言及し、「満員電車内の痴漢事件においては、特に慎重な判断が求められる」との判断を示したのだ。
これは冤罪を恐れて満員電車に乗ることすら怖くなっていた男性にとって朗報だ。

(石材店)「でも痴漢事件は目撃証言や物的証拠が少ないから、被害者の泣き寝入りが増えますよ」
(幹事長)「確かにそうだ。でも、泣き寝入りする被害者の心の傷に比べて、冤罪で有罪とされた男性の人生の傷の方が
       100億倍くらい重大だぞ」


こんな事を言えば女性読者から反発を受けるだろうけど、電車の中で体を触られた不快感と、冤罪で刑務所にぶち込まれる悲劇とを比べれば、どう考えても後者の方が圧倒的に深刻だろう。家族も含めて、人生が大きく狂ってしまうのだぞ。痴漢する犯罪者は厳しく取り締まらなければならないが、罪の無い男性の冤罪事件だけは絶対に起こしてはならない。

そもそも、痴漢の被害者って言えば、一見、弱者のイメージだが、本当にそうだろうか?今回の事件の被害者面をしている女子高生も、いきなり教授のネクタイをつかんで駅員に突き出しているくらいだから、どう見ても弱者って感じじゃないぞ。教授に個人的な恨みがあったのか、あるいは単なる愉快犯なのか分からないが、これまでも同様な冤罪の被害者は多くいるだろう。ちょっと前にも、大阪で大学生が女と共謀して会社員を痴漢の犯人にでっちあげて警察に突き出した事件があった。幸いにして、この犯罪は暴かれたが、目撃者がいたとしても目撃者がグルだったら冤罪は簡単に起こりうるって事だ。

かつては、痴漢で起訴されるのは悪質で証拠が確実な事件に限られていたが、近年は被害証言が具体的で信用できれば、客観証拠がなくても起訴されるケースが増加し、検察への送致数は1990年には全国で1000件ちょっとだったのが、最近は1万件近くにまで急増している。そのため、以前は、しっかりした証拠があるものに限られていたために無罪判決は無かったのだが、最近は捜査が余りにもずさんなため、無罪判決も珍しくはなくなった。
しかし、無罪判決を勝ち取れたからと言って万々歳って訳ではない。無罪判決を勝ち取るまでが苦労の連続だし、最終的に無罪になったからと言って、それまでの失われた数年間は戻ってこない。時間だけでなく、仕事を辞めざるを得なくなったケースも多いし、家族も含めて精神的なダメージは計り知れない。無罪になった教授は、「同じように汚名を着せられている人たちの気持ちを思うと、有頂天になる気もしない」と言っているが、まさに、その通りだ。
今回の事件のように、たまたま良識ある最高裁で無罪にしてもらえた被告はラッキーだけど、世の中には、やってもいないのに有罪にされ、実刑で服役し、家族ともども苦しんでいる人々が大勢いるはずだ。

教授は事件後、3年間も休職を余儀なくされてきた。当然、近く復職する予定だが、失われた3年間は戻ってこないし、それより何より、深く傷ついた人生は元には戻らない。女子高生を相手取って損害賠償を起こしても、勝てるかどうか疑問だ。しかし、そうではあるが、冤罪事件をでっち上げようとする世の中の不心得な女性たちへの警鐘として、この女子高生に対して巨額の損害賠償を求めるべきだ。仮に裁判で負けたとしても、冤罪事件の未然防止には大いに役立つだろう。ぜひ、教授の英断に期待したい。

(石材店)「期待するのはいいとして、それにしても久しぶりの記事ですねえ。3ヵ月ぶりですよ」
(幹事長)「転勤があって時間的にも精神的にも余裕が無かったからなあ」
(石材店)「ようやくヒマになった、と」
(幹事長)「ま、ちょっと余裕ができたかな。記事を更新しないと読者もいなくなるしね」


これからも頑張って書きますから、よい子のみなさんは読んでね。

(2009.4.15)



〜おしまい〜





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