1票の格差

〜 人口だけで決めていいのか? 〜



議員1人当たりの有権者数の格差、すなわち1票の格差最大4.86倍もあるのは違憲だっちゅうことで、2007年7月の参院選挙区選の定数配分について東京都や神奈川県の大都市部の有権者が各都県の選挙管理委員会に選挙無効を求めた訴訟の上告審判決が、先日、最高裁大法廷で言い渡された。
結論から言えば、最高裁は定数配分を合憲だと判断して、原告の上告を棄却した。ただし、そうは言いながら、「格差縮小には選挙制度の仕組み自体の見直しが必要だ。国会が投票価値の平等の重要性を十分に踏まえ、速やかに検討することが望まれる」なーんて偉そうな注文を付けた。このため、原告サイドは実質的な勝訴として喜んで大はしゃぎだ。

今回、最高裁での違憲かどうかの判断基準は
  (1)著しい不平等状態がある
  (2)その状態が相当期間継続している

の2点だったのだが、(1)については「大きな不平等状態にある」のだけど、(2)については、現行選挙制度の仕組みを大きく変えるには時間がかかることから、ま、しゃあないから違憲とはしない、と判断したものだ。だから、結論は合憲ということだけど、今の制度にお墨付きを与えたものでは、全くない

実は、訴訟の対象となった2007年の参院選の前年には4増4減の定数是正が行われていて、1票の格差は、その前の2004年参院選の最大5.13倍から4.86倍に縮小していたんだけど、かろうじて5倍を切ったというだけで、そななちょっとの改善では駄目ということで、最高裁は「投票価値の平等の観点からは、大きな不平等がある状態であり、格差縮小が求められる」と指摘しているのだ。
そして、「現行の制度を維持したまま選挙区の定数を振り替える措置だけでは格差の大幅な縮小は困難」であるから、「選挙制度の仕組み自体の見直しが必要となることは否定できない」と、選挙制度の抜本改革を求めたものなのだ。
逆に言えば、今の制度は決して許容できるものではないんだけど、「仕組みを大きく変更するには相応の時間を要し、2007年の選挙までに見直すことは極めて困難だった」という消極的な理由で、とりあえず憲法に違反しないとしただけなのだ。

これまでも似たような訴訟は何回もあって、最高裁は同じように注文を付けてきたんだけど、一向に抜本的な改正がなされないから、だんだん言葉が厳しくなってきている。
2001年の参院選での最大格差5.06倍を巡る判決では、裁判官15人中6人が違憲としたほか、合憲とした9人のうち4人が「次回選挙も現状が漫然と維持されるなら、違憲の余地がある」と警告した。
2004年の参院選での5.13倍を巡る判決でも、裁判官15人中5人が違憲としたほか、「制度の枠組みの見直しを含め国会で検討を継続することが憲法の趣旨に沿う」と注文している。
そして今回は、裁判官15人中5人が違憲としたほか、結構、厳しい注文がついたわけだ。だいたい、違憲だと主張している裁判官は弁護士出身が多い。一方、合憲とする裁判官は裁判官や行政官出身が多い。やはり弁護士というのは、独善的で自己中心的な輩が多いことが分かる。ま、弁護士ってのは金儲けのためならなんでもかんでも弁護して、黒でも白と言い張るような連中であり、マスコミと列んで現代社会の害虫だ。

(石材店)「その批判的な論調からすると、スタンスとしては、格差是正に反対ですね」
(幹事長)「もっちろん。地方に住む我々としては、大都市住民の横暴に対し、断固戦わねばならん!」


本当に1票の格差は許されないのだろうか。もし、そうなら、国連での議決権はアホみたいに人口が多い中国は日本の10倍も議決権を持つようになるが、それでいいのだろうか。もちろん、国会の議員数と国連とでは、機能も性格も全く異なるので、これは暴論だが、僕が言いたいのは、何でもかんでも人口に比例させるのが正義とは言えないということだ。

人口が多い地域ばかりから議員が出るようになると、人口の少ない地域の要求はどんどん無視されていく。もっと具体的に言えば、ただでさえ何かにつけて恵まれ過ぎている東京圏の発言力がますます増大し、疲弊している地方の声がますます相手にされなくなっていくということだ。これまで日本が、まがりなりにも国土の均衡ある発展を目指してきたのは、地方出身の政治家の力によるところが大きい。もちろん、あくまでも目指してきたというだけで、実態としては何でもかんでも東京一極集中になってしまったんだけど、それでもある程度のブレーキにはなっただろう。これが、政治家までもが東京圏だけに集中してくると、もう暴走以外の何ものでもなくなってしまう。そんな事が望ましい姿なのだろうか。
地方の交通基盤整備などは、もう金輪際、進まないだろう。ま、これ以上、進める必要性も乏しいのは事実ですけど。農業などは、どんどん切り捨てられるだろう。ま、ある程度はバッサリ合理化せんといかんのですけど。

(石材店)「結局、どっちですかーっ!」
(幹事長)「いや、ま、難しいところだけど、参議院の存在意義から根本的に考えないといけないわな」


アメリカでは、下院議員の数は各州の人口に比例しており、アラスカやワイオミングなんかが1人しかいないのに対し、最多のカリフォルニアでは53人もいる。しかし上院議員は各州平等に2人ずつになっている。これは、なんでか、と言うと、アメリカでは日常生活に密接に関係するようなことは主に下院が考え、国防や外交のような国益については上院が主に考えたりするので、それがいいのよ。
もちろん、これをそのまま日本に持ち込むことはできない。日本では、内政も外交も、どちらも衆議院が実質的に担っている。じゃあ、参議院は何をしているのか、と言えば、はっきり言って何もしていない。無用の長物。長物ですら無い。無用の盲腸。

じゃ、廃止すれば、という意見も根強いが、僕はチェック機関として存在していた方がいいと思う。昔みたいに衆議院が中選挙区制で、そんなに極端な勢力変化が無い時代なら、参議院の存在意義は無かっただろうけど、衆議院が今のような小選挙区制だと、ほんの少しの支持率の違いが極端な議席数の違いになってしまうから、衆議院は暴走しやすい。死票が山ほど出るから、全体で見れば1/3ほどの得票率でも大半の議席を獲得する事が可能だ。なので、参議院は全く異なる選挙制度で選んだ議員によるチェック機関になればいいのだ。

チェック機関であるならば、政党の縛りは完全に取り払った方がいい。今の制度じゃあ、衆議院と参議院の多数政党が同じなら、参議院の存在価値は完全にゼロだし、衆議院と参議院の多数政党が異なれば機能不全になるだけだ。どっちにしても参議院に何の存在意義も無い。だから、参議院なんか廃止しちゃえ、という意見が出てくる。
実質的に権力を行使する衆議院が人口比例の小選挙区になってるんだから、チェック機関である参議院は違う視点から選ぶべきだ。例えば、参議院は政党制じゃなくて、みんな無所属で、各県完全平等に2人ずつの選挙区と、全国区の併用で選べばいいと思う。かつての全国区の選挙なんて、本当に面白かった。

今の参議院の定数は、もともとは、アメリカの上院に、やや近い。多くの県(25県)では定員は2人で、人口の多い都道府県が4人(15県)とか6人(4県)とか8人(1県)になっている。ただ、こななちょこざいな定数いじりをせずに、すっきり各県2人ずつに揃えればいい。その方が説明がスッキリする。下手に人口比例の要素を加えようとするから中途半端になるのだ。最初から「人口は全く関係ございません。各県平等です」とすれば、合憲か違憲かで揉める事はなくなる。

そして、参議院が衆議院とは全く異なるチェック機関に徹するのならば、会社に取締役と監査役がいるように、政治にも衆議院と参議院がいることは、意味無いことはないと思う。

(2009.10.2)



〜おしまい〜





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