またまたノーベル賞受賞

〜 明るいニュースに万歳! 〜



今年も日本からノーベル賞受賞者が出た。しかも2人も!
8年前には、やはり2人が受賞して喜んだり驚いたりしたが、あの時は3年連続での受賞だった。さらに2年前には、なんと一気に4人も受賞した。そして今年も2人が受賞だ。ほんとに喜ばしい事というか、驚きだ。日本人にとってノーベル賞は本当に身近になった。

(石材店)「喜んでる割には記事が遅いですねえ」
(幹事長)「先週は福岡に出張に行ってて、中洲でラーメン食べて深夜にホテルに戻ってきてテレビのニュースで知ったのよ」
(石材店)「福岡出張だなんて、遊びの臭いがプンプンですねえ」

酔っぱらってホテルに戻ってきたけど、ニュースを見て一気に目が覚めた。中国が侵略してきそうな今日この頃、久しぶりに明るいニュースだ。素直に嬉しい!

今回、ノーベル賞を受賞した日本人は、クロスカップリングを開発した鈴木章北海道大学工学部名誉教授と根岸英一パデュー大学教授だ。

(石材店)「業績の意味は何のことだか分かってます?」
(幹事長)「解説を読めば、なんとなく分かった気になる」


化学賞の場合、その業績は、なんとなく分かりやすい。応用技術的な業績が多いからだ。そのため、なんとなく身近な感じがする。


                          日本人ノーベル賞受賞者リスト
受賞年 氏名 出身大学 業績
1949年 湯川秀樹 物理学賞 京都大学理学部 陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして、中間子の存在を予言
1965年 朝永振一郎 物理学賞 京都大学理学部 「超多時間理論」と「くりこみ理論」、量子電磁力学分野の基礎的研究
1968年 川端康成 文学賞 東京大学文学部
1973年 江崎玲於奈 物理学賞 東京大学理学部 半導体・超電導体トンネル効果についての研究、エサキダイオードの開発
1974年 佐藤英作 平和賞 東京大学法学部
1981年 福井謙一 化学賞 京都大学工学部 「フロンティア電子軌道理論」を開拓し、化学反応過程に関する理論の発展に貢献
1987年 利根川進 医学生理学賞 京都大学理学部 「多様な抗体遺伝子が体内で再構成される理論」を実証し、遺伝学・免疫学に貢献
1994年 大江健三郎 文学賞 東京大学文学部
2000年 白川英樹 化学賞 東京工業大学
理工学部
「伝導性高分子の発見と開発」を行い、分子エレクトロニクスを開発
2001年 野依良治 化学賞 京都大学工学部 「キラル触媒による不斉水素化反応の研究」、有機化合物の合成法発展に寄与
2002年 小柴昌俊 物理学賞 東京大学理学部 素粒子ニュートリノの観測による新しい天文学の開拓
2002年 田中耕一 化学賞 東北大学工学部 生体高分子の同定及び構造解析のための手法の開発
2008年 南部陽一郎 物理学賞 東京大学理学部 素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見
2008年 小林誠 物理学賞 名古屋大学理学部 CP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献
2008年 益川敏英 物理学賞 名古屋大学理学部 CP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献
2008年 下村脩 化学賞 長崎医科大学薬学部 緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と生命科学への貢献
2010年 鈴木章 化学賞 北海道大学理学部 クロスカップリングの開発
2010年 根岸英一 化学賞 東京大学工学部 クロスカップリングの開発


僕らが子供の頃って、日本人のノーベル賞受賞者って湯川秀樹博士と朝永振一郎博士しかいなかった。中でも湯川秀樹博士は、日本の物理学会の天才というイメージであり、ノーベル賞なんてアインシュタインとか湯川秀樹博士のような天才でないと受賞できないイメージだった。事実、以前は日本ではノーベル賞を受賞する確率は欧米に比べて非常に少なく、よっぽどすごい業績を上げた偉い学者でないと受賞はできなかった
ただ、日本ではノーベル賞を受賞する確率が非常に少なかったから、ものすごく偉い天才的学者でないとノーベル賞は受賞できないと勘違いされてきたけど、欧米の状況を見れば、それは勘違いだと分かる。特にアメリカは受賞者が多い。アメリカは唯一、戦争の被害を被らなかった国として、ダントツの国力を維持し、多くの優れた学者を世界中からかき集め、圧倒的な優位性を築いたからだ。僕がアメリカに留学していた大学にも、ノーベル賞学者は何人もいたが、その大学に限らず、どこの大学にもノーベル賞学者はゴロゴロしていた。その頃、僕は、ノーベル賞学者っていうと、まずは湯川秀樹博士を思い浮かべていたので、そないにすごい人がゴロゴロしているっていうのが感覚的に理解できず、大きな違和感を抱いていた。しかし、それは勘違いであり、ちょっと優れた人なら、誰にでも可能性は転がっている、というのが本当なのだった。また、大学に限らず、企業の研究者がノーベル賞を受賞するのも珍しいことではない。アメリカに限らず、戦争で日本と同様に痛めつけられたドイツだって、戦後もかなりの数のノーベル賞受賞者を出している。
この差は、ひとえに、極東のマイナーな国の学者の研究成果は、なかなか評価されにくい、というハンディに起因している。言葉のハンディもあれば、人的な交流のハンディもあり、いくら優れた業績でも、世界の中心にはなかなか伝わらず、それを応用というか借用した欧米の学者が脚光を浴びてしまう。これまでは、そもそもの原理は日本人が発見したのに、それを応用発展させた欧米学者が受賞するケースが多かった。或いは、圧倒的に日本人の業績の方が偉大なのに、似たような研究をした欧米学者との共同受賞などが多かった。それが最近は、ノーベル賞の選考委員会が公平でかつ綿密な調査をしてくれるようになったこともあり、日本人受賞者が増えてきたのだろう

そんな事もあって、近年の日本人の受賞ラッシュを見ていると、努力と運次第で、天才でなくても秀才クラスでも受賞できるんだ、っていう光が見えてきた。

(石材店)「光が見えてきたって、まさか幹事長、今から狙ってる訳じゃあないでしょうねえ?」
(幹事長)「さすがの僕も、そこまでアホではないぞ」


さすがに僕も、今では、そこまでアホではないが、大学に入学するために上京した頃は、将来は科学者になろうと思っていたので、あわよくばノーベル賞なんか貰えたらいいなあ、なんて思ったりもしてた。もちろん、当時は、現実味は、ほとんど無かったけど。

日本人にとっても、だいぶ身近になってきたノーベル賞だが、逆に言えば、日本人のノーベル賞受賞が続くと、贅沢な話だけど、なんとなくありがたみが少し薄れてきたような気がしないでもない。
ノーベル賞が一気に身近になったのは、なんと言っても8年前の田中耕一島津製作所分析計測事業部ライフサイエンス研究所主任の化学賞受賞だ。あの時、同時受賞した東京大学の小柴名誉教授は、有名なカミオカンデの実験装置の責任者であり、また日本の物理学会の大御所でもあり、その筋では超有名で、10年以上も前から毎年ノーベル賞候補に挙がっていた。それに比べれば、田中耕一氏は全くの無名研究者であり、大学や学会とも縁が薄く、また、その業績も、なんとなく地味なイメージだった。ただ、逆に言えば、そういう普通の人でもノーベル賞を受賞できるって事で、ノーベル賞が一気に非常に身近になった事は確かだ。

そもそも化学賞は物理学賞に比べて産業に近いし、なんとなく業績も分かりやすい。一般人にとっての貢献度合いも大きい。ただ、逆に言えば、かつて物理学者を目指していた僕個人的には、ノーベル賞の中では物理学賞が一番偉大な気がする。自然科学の中でも、最も基礎的な本質を科学する学問だからだ。一般社会への短期的な直接的な貢献度合いは乏しいけど、本当に知りたい物の本質を明らかにするのは物理学だと思うからだ。最近の受賞者で言えば、なんと言っても南部陽一郎博士の「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見」という業績は、他を圧倒していると思う。

(石材店)「自分で何しゃべっているか理解してます?」
(幹事長)「最近、
「質量はどのように生まれるのか」という本を読んで、改めて南部博士の偉大さを教えられたのじゃよ」
(石材店)「タイトルだけでも意味不明の本ですが、理解できたんですか?」
(幹事長)「なんとか半分くらいは・・・」


ま、そもそも、半世紀以上前に受賞した湯川秀樹博士の「陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして、中間子の存在を予言」なんて業績だって、正直言って、なかなか難しくて、よく分からないのだよ。

(2010.10.12)



〜おしまい〜





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