オウム真理教元幹部の出頭

〜 ささやかな幸せとの決別 〜



オウム真理教の元幹部である平田信容疑者が去年の大晦日12月31日警視庁に出頭し、逮捕された

(石材店)「年末の慌しい時期のビッグニュースでしたね」
(幹事長)「すまん。実は、全く予備知識が無くて」


オウム真理教の事件は、日本社会を恐怖の大混乱に落とし入れた大事件なんだけど、個人的には、あんまり興味が無い。その理由としては、まず宗教やオカルトが大嫌いってことがある。もちろん、大半のまっとうな日本人が同じようにオカルトなんか大嫌いだろうけど、さらに加えて、あまりにもマスコミが大騒ぎしてスキャンダラスな報道が溢れていたので、もうウンザリって感じだった。マスコミも大嫌いだし。同じようなオカルト宗教であり社会的な被害も甚大な統一神霊協会のケースでは、日本社会への浸透度も桁違いだし、反共主義という要素があるため自民党議員なんかとの裏での癒着があったりして、個人的には関心が高いが、オウム真理教の場合は、そういう裏のドロドロした政治的動向も無いし、思想的には単なる知能の低いオカルトだし、女性週刊誌のネタの域を超えない教団なので、あんまり関心が無かったのだ。東京の人にとっては、地下鉄でサリンなんか撒かれて大変だっただろうけど、遠い地方での事件だし。

てなことで、麻原彰晃と上祐くらいは名前も知っているけど、平田容疑者なんて聞いたこともないし、それが出頭してきたからと言って、どれくらいの重大事なのか見当もつかない。報道によれば、麻原教祖の身辺警護なんかに携わり、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件(←これも、どういう事件なのか知らない)では逃走車両運転手役を担当したらしい。で、オウム真理教特別手配被疑者7人のうちの1人に指定されていたのだ。オウム事件では、麻原教祖をはじめ大半の教団幹部が逮捕され、去年の11月に裁判も終わり、13人が死刑、5人が無期懲役となっている。特別手配被疑者7人は、うち3人が長年逃亡していたが、平田が出頭したことにより、残りは2人となった。しかし、平田容疑者を含め、こいつらは幹部とはいえ、主導的な役割を果たしていた人間とも思えないし、今さら出てきたところで大勢に影響は無いような気もする。

てことで、このビッグニュースにも関心は皆無だったんだけど、平田容疑者の出頭から10日たった今月10日、一緒に逃亡して平田容疑者をかくまっていた元女性信者の斎藤明美容疑者が後を追うように警視庁に自首したことから、俄然、興味が沸いてきた。

(石材店)「完全に、女性週刊誌ネタ的な興味本位じゃないですか!」
(幹事長)「あ、やっぱり?」


彼女は、たぶん、ただの信者だったのだろう。で、素直に教団幹部だった平田容疑者をかくまっていたのだろう。目黒公証役場事務長監禁致死事件の直後から行動を共にしていたらしいが、平田容疑者に対する思いは「尊敬から愛情に変わっていった」とのことだ。

(幹事長)「俄然ワクワクするよなあ」
(石材店)「アホらして同意する気もおきませんわ」


まずは、この女性が弁護士を通じて発表したコメント文を紹介しよう。
本日、私、斎藤明美は平田信に長い間、隠れ場所を提供したことを告白し、自首致しました。皆さんには私の出頭が遅くなったことに深くおわび申し上げます。平田と私とは、私のその罪について、16年の歳月が過ぎ、手配もなくなり、とうに罪がなくなったと思っていました。そこで後日、私は弁護士の方に相談し、12月31日、平田だけ出頭することにいたしました。その結果、かえって今、混乱し、社会にも不安を与えました。

平田とは面識があって尊敬していました。逃げ始めた当時、平田が関与したという事件も平田との関係も知りませんでした。平田が手配されたことも逃走後に知りました。その後、福島、宮城、青森、仙台と逃げました。仙台では料亭で住み込みで働きました。その後、大阪に向かい、3カ所で計15年あまり、1年、7年、7年と3カ所に住みました。仲居、喫茶員、事務員の仕事をしましたが、私の知る限り、住まいの移動の時以外、平田は外には一歩も出ませんでした。警察や周囲の方に見つかりそうになるたびに、移動していました。

私と平田は報道で色々な事件を知り、特に坂本弁護士一家の事件についてオウム教団のしたことだったことに驚きました。教団では教祖麻原は絶対者でした。人の全ての輪廻転生を握っていると信じ切っておりました。教団信者には現実感覚がなく、現世は実際に幻と感じていました。異常な世界でした。2人は麻原の法廷での態度に失望しました。平田は仮谷さんの奥さんの言葉を聞いて出頭しようとも悩んでいましたが、私も平田も、国松事件の主犯とみられていたことから、国松事件で逮捕されなくなるまでは出ないと決めました。

昨年の東日本大震災は大きなショックでした。昨年11月末に平田は出頭すると言い始めました。12月31日夕方、私は平田を見送りました。年末年始だからそんなに大きなニュースにはならないだろうとも考えていました。そして平田は私を守ろうという一心でした。

特に大阪の人にはおわび申し上げます。偽名で勤務し、長く皆さんをだまし続けてきました。その上にさらに迷惑をかけてしまいます。本当に申し訳ありません。家族、親族、友人のみなさまにもずいぶん迷惑をかけました。深くおわび申し上げます。今日、私は自首をしました。オウム事件の被害者の方には長く逃げていて本当に申し訳ありませんでした。今日、私は17年ぶりに本名を名乗りました。私はずっとずっと偽名で生活し仕事をしてきました。そんな偽りの人生は終わりにします。
(幹事長)「なんとも胸に染み入る告白文だよなあ」
(石材店)「そうですかねえ。ちょっと引かせてもらいますわ」


このコメントを信用する限り、彼女は悪い人間ではなかったように思える。(ま、もちろん、これを信用すれば、という前提ですけど)
これを素直に受け止めれば、彼らは逃亡生活を続けながらも、既に罪の意識は希薄になっていたのかもしれない。て言うか、そもそも平田容疑者自身は命令されるがまま動いていただけだろうし、彼女の方に至っては平田容疑者をかくまったという以外に罪も無いし。まあ、その割には、ものすごく用心しながら生活しているけど。罪の意識は希薄でも、捕まるのは嫌だったのだろうなあ。指名手配はされつつも、もう事件のことは忘れたい、あるいは忘れかけていたのかもしれない。少なくとも、このまま平穏無事な生活で、ささやかな幸せを続けたかったのだろう。
平田容疑者は、教団や教祖に対して「教祖の死刑執行は当然と考えている」とか「オウム真理教を信仰していない」などと話しており、これは本当のようにも思えるし、たぶん彼らは、オウム教団が仕出かした多くの事件について、後になってから知り、愕然としたのだろう。
ところが、去年、東北地方で大震災が発生したことにより、「東日本大震災で不条理なことを多く見て自分の立場を改めて考えた。震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった。事件に区切りを付けたかった。でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」ということらしい。彼女も被災地の福島県出身なので、「東日本大震災は大きなショックでした」とコメントしている。

もちろん、彼らの言葉を鵜呑みにしていいのかどうかは判断が難しいところだ。平田容疑者が出頭したのが、オウム真理教事件に関する一連の裁判が終結した直後であり、麻原教祖を始めとする主な事件関係者らの死刑が近日中にも執行される可能性が報道されていた時期なので、平田が警察に出頭してオウム真理教事件の裁判を再開させることにより、麻原教祖らの死刑執行を中止させる狙いがあるのではないかと推測する見方もある。また、まだ逃亡中の残りの2人について「逃亡後、接点がなく、連絡を取っていない」と説明しているが、それが本当かどうか、また他に支援者が居なかったのかどうかなど、まだまだ調査する必要はある。

だが、平田容疑者はともかくも、彼女の方は、たぶん信用できそうな気がする。

(幹事長)「そうは思わんか?」
(石材店)「単に女性を贔屓しているだけじゃないですか?」


彼女は、最初は平田が事件に関与していることも知らなかった。そら、そうだろう。そう教え込まれていたんだから。しかし、それを知ったからと言って、平田に対する感情が変わったわけではなく、むしろ愛情が深まり、二人の逃避行が始まった。福島、宮城、青森、仙台と東北地方を逃げ回り、その後は大阪に15年もいた。外へ出られない平田のために専ら彼女が働き、仲居やら喫茶店員やら何でもやり、最後は整骨院に勤務していた。そんなに給料が高いわけではないだろうが、真面目に働き、小さなマンションで安定した生活をし、ささやかな幸せを感じていたのではないだろうか。外へ出られない平田の生活は不自由だけど、そういう状況の中でも、穏やかな幸せを感じていたはずだ。近所のレンタルビデオ店では、大量のDVDを借りていたらしいから、家に閉じこもって退屈な平田のためだったのだろう。

出頭すると言い始めた平田に対して、彼女は、どう思ったのかなあ。このまま小さな幸せを手放したくないから、止めたいという気持ちもあっただろう。でも、自分自身も逃亡生活を終わらせたいという気持ちがあり、平田を静かに見送ったのだろう。平田は出頭時に10万円の現金を所持しているし、リュックの中にはきれいにたたまれた下着が数枚入っていたとのことで、彼女の人柄が偲ばれるではないか。

平田容疑者が出頭した時は、彼女は出頭する気は無かったのかもしれない。平田容疑者は、着ていた衣類のタグまで切り取って潜伏先の発覚を避けようとしていたから、彼女の存在を隠したかったのだろうし、また斎藤容疑者のマンションにも男物の服や靴などが無く、布団も1組しかなかったから、彼の存在を隠蔽しようとして始末したのだろう。
だが、年末のドサクサに紛れて、そんなに大きなニュースにはならないだろうと思っていたら、大々的に報道され、大騒ぎになってしまったため、結局、自分もすぐ後を追って出頭したのだ。なんとも切ない話だ。自首する前には、福島県内の実家に久しぶりに電話をかけて、17年近くに及んだ逃亡について謝罪していたらしい。

(幹事長)「もう涙なくしては語れないよなあ?」
(石材店)「勝手に泣いとってください」


真面目に働いて収入を得て、なんとか安定した生活を営んでいたとは言え、偽名で逃亡中だから、大きな病気なんかしたら大変だ。子どもを作ることもできないし、老後も心配だ。て言うか、そこまで将来でなくても、いつ何が起きるか分からない不安でいっぱいだろう。それでも愛で結ばれ、お互いを信頼し、社会の片隅でひっそりと小さな幸せを大事に守っていく

(幹事長)「こういう人生って、なんか憧れない?」
(石材店)「安定した収入と可愛い子供に恵まれてるのにバチが当たりますよ」


もちろん、単に無責任な憧れがあるだけで、実際にそうなると困る。だが、なんとなくロマンを感じる話だ。

ところで、指名手配されていた平田容疑者は出頭だが、斎藤容疑者は自首の扱いとなっている。自首と出頭って、違いを知らなかったけど、「出頭」は被疑者となった者が自ら警察等に出向いて行った場合を言い、一方「自首」は罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自ら出向く場合を言うらしい。出頭は逮捕する手間が省けたとは言え、刑の減軽には無関係だが、自首は刑法第42条で「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる」と規定されている。斉藤容疑者の場合は、平田容疑者に逃亡支援者がいたらしいとは疑われつつも、まだ誰なのかとして明らかになっていない段階で出頭したことから自首扱いとなったのだ。もちろん、「刑を軽減することができる」という規定なので、実際に減軽されるかどうか、されるとすればどのくらいされるかは裁判所の判断による。しかし、彼女の場合、そもそも罪が重大でもないし、裁判所が寛大な処置をしてくれたらいいな。

それから、余談だが、平田容疑者は当初、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件の捜査担当である警視庁大崎警察署に出頭しようとしたが、署の玄関が分からなかったためあきらめて、オウム事件の特別手配容疑者に関する情報提供を呼びかける警察のフリーダイヤルに電話をした。ところが「10回ほど電話を掛けたが話し中でつながらなかった」らしい。これは、どうだろう。今どき、そんなにオウム事件の情報提供が殺到しているとは思えないので、警察が受話器をはずしていたのかもしれない。大晦日で慌しいし。それで110番にかけて「平田信の担当はどこですか」と尋ねたところ、警視庁本部だと回答されたので、警視庁本部庁舎に赴いて出頭しようとした。ところが、庁舎前にいた機動隊員は平田を見て手配写真と違うと思って、悪質ないたずらと判断して、上司の指示も仰がずに勝手に丸の内警察署へ行くように指示したのだ。で、仕方なく丸の内署に出頭したところ、女性警察官に「うそ」と言われたけど、さすがにもう引き下がれず懸命に説明して、やっと認めてもらって逮捕してくれたらしい。
平田容疑者の出頭への決意が高かったから良かったものの、普通ならくじけて出頭を諦めてきたかもしれない状況だ。特別手配は止めるわけにはいかないから継続しているけど、オウム事件の裁判も全て決着した今、警察の方も、もう関心は乏しいんだろうなあ。それなら、彼女達のささやかな生活を見守ってあげても良かったような気もするような、しないような、・・・。

(2012.1.12)



〜おしまい〜





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