はだしのゲン

〜 騒いでいるのは大人だけ 〜



広島に投下された原爆による被爆体験を描いた漫画はだしのゲン」について、松江市の教育委員会が「描写が過激だ」ってことで、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できないよう指導していたことが、なぜか大問題になっている。まあ、大問題になったようにマスコミが火を付けているだけだが。

「はだしのゲン」は1973年に連載が始まった古い漫画だ。当然、僕もリアルタイムで読んだ。大した作品ではないのだが、原爆被害をストレートに描いた漫画って他に無いから、そういう意味での希少価値はあり、教育現場でも広く活用されてきた。

それが今になって松江市で問題が持ち上がったのは、昨年、松江市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出されたのがきっかけだ。この陳情は市議会で不採択になったのだが、市教委が「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、校長会に対して「はだしのゲン」をできるだけ貸し出さないよう口頭で求めたのだ。松江市教委は「平和教育として非常に重要な教材であり、教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」としている。

この措置に対して、マスコミが鬼の首を取ったようにバカ騒ぎしている。自分たちと同じ意見の人間を大量動員し、日本中が反対しているように見せかけている。彼らの意見を要約すると、「戦争や原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着しており、規制するのはおかしい」というものだ。ただ、これでは松江市教委の「過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切」という判断に対しては、何の説得力も無い。
そもそも、今回、マスコミと一緒になって騒いでいる連中には、反原発派のバカ共が大量にいる。これは一体なぜかしら、なぜだろう?今回の松江市教委の判断は、日本軍がアジアの人々の首を切り落としたり、銃剣術の的にする場面が過激だ、と説明しているだけで、原爆そのものについては一切、言及していない。それなのに、反原発派のバカ共は無理矢理、原爆に問題をすり替えようとしている。そして、原爆と原発を同一視して、「今回の規制は原発推進派の陰謀だ」として反原発の運動に利用しようとしているのだ。だから松江市教委の見解に対しては、まともに議論していないのだ。

(石材店)「で、幹事長としては、子供達に見せるには過激すぎるから規制もやむを得ない、と?」
(幹事長)「いえいえ、敢えて規制するほどの内容ではないと思います」


上にも書いたように、僕らの世代は「はだしのゲン」をリアルタイムで読んだ。で、感想は、というと、「面白くもなんともない古くさい漫画だなあ」っていうのが正直なところだ。僕だけじゃなく、僕の周囲も、みんなそうだ。戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さなんて、こななつまらん漫画読まなくても知っているし、残虐なシーンって言ったって、もっと残虐な漫画はいくらでもあるし、何の動揺も驚愕も感動も受けなかった。そもそも、こんな暗い面白くない漫画を誰が好んで読むのかなあ、と不思議だった。それが、こんなに長く読み継がれているってのは、独善的で視野の狭い大人達が読んでいるからだろう。

(幹事長)「こんな漫画は子供にはウケないぞ。漫画だったら何でもいいって訳ではないだろ?」
(石材店)「漫画に限らず、大人が勝手に想像する子供の感性って的外れですよね」


昔だって、そうだったんだから、インターネットではるかに過激な情報が氾濫している現代では、こんな漫画を子供が見たって、どうって事はないだろう。そういう意味では、松江市教委の判断も時代錯誤というか的外れというか。

あるいは、今回の規制は、子供に過激だからと言いつつ、本音は、南京大虐殺を捏造し声高に日本を批判し続ける中国や、従軍慰安婦問題を永遠に叫き続ける韓国に対する反感からきたものかもしれない。そういう意味では、「はだしのゲン」は反戦漫画といいながら、中国や韓国の手先とも言える売国奴的な内容でもある。なので、それを規制するのも意味はあるかもしれない。
ただ、これも自分の感想を思い出せば、取り越し苦労だろう。こなな漫画を読んだからと言って、子供達が中国や韓国の手先になるとは思えない。子供達は、そこまでバカではない。子供だって、もっと色んな情報に接しており、こんな漫画を読んだからと言って、ストレートに信じ込むほど幼稚ではないだろう。
結局、子供の事を思っているように言いながら、単に大人同士のイデオロギーの対立による不毛なバカ騒ぎにすぎない。

(2013.8.21)



〜おしまい〜





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