津波被害幼稚園訴訟

〜 誰も予想できなかった津波 〜



東北大地震津波で宮城県石巻市の幼稚園送迎バスが流され、死亡した園児の遺族が「安全配慮を怠った」として幼稚園に2億6700万円の損害賠償を求めていた訴訟で、仙台地裁は「津波の危険性を予見できた」として幼稚園の過失を認め、1億1億7700万円の支払いを命じた。
津波の犠牲者遺族が管理者側に賠償を求めた訴訟での判決は初めてだ。

事実関係は、地震発生から約15分後、大津波警報が出ていたのに、園児12人を乗せた送迎バスが高台の幼稚園から海側の低地に向けて出発し、何人かを順番に降車させた後、バスごと津波に巻き込まれて園児5人が死亡したほか、女性職員1人も亡くなったというものだ。運転手は車外に押し流されたが、ラッキーにも無事だった。

今回の訴訟の争点は、大津波の襲来を予見できたかどうか、だった。遺族側は「津波発生は予測でき、高台にある幼稚園にいれば事故は起こらなかった」と訴え、園側は「千年に一度の巨大津波は予見できなかった」と主張していた。で、裁判所は「危険性は予見できた」としたのだ。

確かに、幼稚園側の対応は不手際が目立つ
別の送迎バスは、運転手がラジオで津波警報が出ていることを聞いて幼稚園に引き返し、無事だった。しかし、それはあくまでも運転手が自主的に判断した結果であり、幼稚園としては何の対応も取ってなかった。幼稚園のマニュアルでは、大地震の発生時には標高23メートルの高台にある幼稚園で園児を待機させ、保護者が来てから引き渡すと定めているのに、園長はラジオ放送や防災行政無線の情報を積極的に収集しなかった。そして、マニュアルに反して、園児を送迎バスに乗せて低地帯に向けて発車させたのだ。津波を想定した避難訓練やマニュアルの周知も徹底されていなかった。
おまけに、幼稚園は震災直後から4度も説明会を開いているが、説明のたびに食い違う所があったりして、責任回避の弁明に終始している。
このような経緯を見ると、「幼稚園の対応の悪さが引き起こした人災だ」とする遺族側の主張は納得できる。裁判所としても論理的に考えていけば、当然の判決と言えよう。

しかし、それにしても、だ。誰かあの巨大津波を予想しただろうか、いや誰も予想していなかった。(←英語直訳的表現)
誰も予想できなかったような巨大津波だ。だからこそ、2万人近い人が亡くなったのだ。そして、その大半の人たちは、誰を訴える事もできない。訴える対象がいないのだ。行政の不手際だ、なんて言ったところで、誰も予想していなかったのだから、それは無理というものだ。
要塞のような巨大な防波堤を築き、備えも万全だったはずの田老町では、巨大な防波堤があっさりと破られ、多くの住民が亡くなった。まるで「進撃の巨人」の世界だ。これに対して、防波堤の脆弱さを非難する人はいるだろうか、いや誰もいないはずだ。(←再び英語直訳的表現)あんな巨大な防波堤が破られるなんて信じられなかったからだ。だから、行政の責任でもなければ、誰の責任でもない。自然の脅威なのだ。

幼稚園バスに関しては、幼稚園の不手際は明らかだ。きちんと対応していれば幼い命を救えたはずだ。しかし、それにしても、だ。あの巨大な津波を予想した人がいなかった事を考えると、幼稚園を責めても仕方ないような気もする。裁判所は「園長らは約3分間、最大震度6弱の巨大地震を体感した。巨大な津波に襲われるかもしれないと容易に予想できた」と幼稚園の責任を厳しく問うているけど、どんなに大きな地震があったとしても、あの津波が予想できたと断言するのは厳しいような気がする

断っておくが、責任回避の弁明に終始する幼稚園長に同情するつもりは、さらさらない。あんなだらしない人間が幼稚園長だったことに問題がある。あの園長に限らず、自分の子供達がかつて通っていた幼稚園の園長だって、はっきり言って金儲けの事しか頭に無いような人間だった。なので、今回の園長にどんな厳罰が下ろうが、何の同情もしない。
だが、しかし、そうは言っても、「あの津波を予想できただろう?」なんて断言されると、「そんな理不尽な」と思ってしまう。あの地震と津波は、あくまでも誰も予想できなかった自然災害であり、誰かに賠償責任を負わすことができるような事象ではない、と思う。

(石材店)「で、結局、何が言いたいんですか?はっきり言ってくださいな」
(幹事長)「福島の原子力発電所の事故が人災ではなく天災だと言いたいのだ」


誰がどう考えても、あの巨大津波は予想できなかった。原子力反対派のアホどもは、想定が甘かっただとか東京電力の対応が悪かっただとかギャアギャア喚き立てるけど、誰も想定できなかった津波だったからこそ2万人近い人が亡くなったのだ。2万人近い人が亡くなった事について、今回の幼稚園バスのように誰かの責任を追及しているのは例外的であり、大半の人は自然の脅威を受け入れている。それなのに、誰1人として亡くなっていない原子力発電所の事故の責任を東京電力に追及するのは、おかしいじゃないか。どう考えても国が全面的に対応すべきだ。国だって誰も予想できなかったから許可していた発電所だ。原子力開発は国策であり、国策に従って国の許可を得て建設した発電所が想定外の事故を起こした場合は、国が責任を取る必要があるのは当然の事だ。それなのに、キチガイ菅が首相だった民主党は、慌てふためき逃げ回り責任回避に奔走し全てを東京電力のせいにした。
日本にとっての悲劇は、数千年に一度の地震に見舞われた事ではなく、たまたまそういう時に限ってアホな民主党が政権の座についていたって事だ

(2013.9.19)



〜おしまい〜





独り言のメニューへ