フランス週刊新聞社襲撃事件

〜 イスラム側はしっかりした対応が求められる 〜



フランス風刺週刊紙シャルリー・エブド本社がイスラム過激派テロリストに襲われ12人ものジャーナリストらが殺された。ひどい。あまりにも、ひど過ぎる犯罪だ。

犯人のテロリストは、両親はアルジェリア人だが、本人はフランス生まれのフランス育ちだ。つまり、民族としてはアラブ人だが、外国から流入してきたテロリストではなく、フランスの自国民だ
彼らの手口を見ると、素人の犯罪ではなく、明らかに訓練を受けたテロリストの所業であり、アルカイダ系なのかイスラム国系なのか分からないが、何らかのテロリスト組織が関わっているのは間違いないだろう。

いくらアラブ系とはいえ、なぜフランス国民がこのようなテロ行為に走るのか。よく指摘されるのは、アラブ系の人達は、フランス生まれのフランス人とは言え、様々な場面で差別され、フランス社会の底辺で苦難に満ちた生活を強いられている。そこにイスラム過激派がつけ込んでテロリストに仕立て上げる。閉塞感を打破したい若者が自分の生きる道を見つけたという訳だ。

このような見方は、恐らく真実だろう。しかし、それだとしても、なぜここまで凄惨な事件を起こせるのだろうか。例えば、悪魔のイスラエルに徹底的に痛めつけられているパレスチナ人がテロに走るのは理解できる。自分たちがやられた事を仕返ししているからだ。しかし、フランス生まれでフランス育ちのアラブ人が、一体、何の復讐で、ここまでひどい事をやるのだろう。ここにイスラム教の本質がある

もちろん、私も全てのイスラム信者が凶悪犯とは思わない。圧倒的大多数のイスラム信者は平和的な人達だろう。しかし、今日、世界各地で悲惨なテロ事件を引き起こしているのは、ことごとくイスラム信者だ
これは、現実の圧倒的大多数のイスラム信者は平和的な人々だとしても、根源的にイスラム教は異教徒を殺害しても良いと考えているからだ。イスラム国は、異教徒を好きなだけ殺戮し、奴隷にしている。現実の圧倒的大多数の平和的なイスラム信者は、そんな事はしないんだけど、イスラム教の本質として、異教徒を殺戮したり奴隷にする事を許容している。ここがイスラム教の恐ろしいところだ。

フランスでのテロ事件に目を奪われている時、アフリカのナイジェリアでは、イスラム過激派ボコ・ハラムが北東部の町を襲い、数百人から数千人規模の住民を殺害している。ボコ・ハラムは以前にも、女子生徒を何百人も誘拐して、国外に売り飛ばしたりしている。今回のフランスでのテロ事件は衝撃的だが、犠牲者は12人だ。ナイジェリアでの犠牲者は、その数百倍に及んでおり、イスラム過激派のひどさが分かる。

何度も言うが、悪いことをしているのは一部のイスラム過激派であり、圧倒的大多数のイスラム信者は平和的な人達だと思う。しかし、世界各地で、イスラム教徒がこれだけ色んなテロ事件を引き起こしているのだから、「イスラム教徒は、みんな悪い奴らだ」という誤解を解くためには、イスラム教徒も立ち上がらなければならない「テロを起こしているのはイスラム信者のあるべき姿ではなく、一部の誤った思想の持ち主だ」「彼らがやってる事はイスラム教とは何の関係も無い」と断言して宣言するべきだ
それなのに、世界各地のイスラム指導者は「テロ事件は許容できないが、そもそも言論の自由と称してイスラム教を冒涜するのは許されない」などと口を揃えている。そんな事を言うからイスラム教徒全体が非難され、差別が助長されるのだ。これだけ悲惨なテロが起こった直後に、「言論の自由と称してイスラム教を冒涜するのは許されない」なんてアホな事を言ってないで、もっとストレートに「あいつらテロリストはイスラム教徒でも何でもない」と切って捨てなければ、圧倒的大多数の平和的なイスラム信者に対する偏見と差別は大きくなり、宗教間の対立はエスカレートし、悲惨な争いが拡大再生産されていくだろう。

(2015.1.7)



〜おしまい〜





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