意味不明のノーベル平和賞

〜 廃止すべきではないか? 〜



今年もまたまた日本人がノーベル賞を受賞して浮かれていたら、最後にトンでもない発表があった。なんと今年のノーベル平和賞は、南米コロンビアのサントス大統領に授与すると言うのだ。コロンビアで30万人以上もの死者・行方不明者を出しながら半世紀にわたって続いてきた反政府ゲリラとの内戦を終了させようとした業績が評価されたのだ。

しかし、つい数日前、この和平案は国民投票によって否定されたのだ!つまり、大統領とゲリラは勝手に和平交渉でまとまったが、その和平案は国民には受け入れられなかった。って事は、つまり、和平にはならないって事だ。だって国民が反対しているのだから。そもそも、本当に和平を達成するのが目的なら、何も国民投票をする必要性は無かった。政府とゲリラが合意して、それに従って淡々と和平を進めれば良かったのだ。それなのに、まさか反対されるとは思ってなかったので、やる必要の無い国民投票を実施して、圧倒的な賛成票を得ることで、政府の基盤を固めるつもりだったのだ。イギリスのEU脱退を問うた国民投票と全く同じ構図の、政治家の勝手なパフォーマンスだったのだ。それを見抜いた国民は大統領にノーを突きつけたのだ
それなのに、ああ、それなのにノルウェー・ノーベル賞委員会は、このボンクラにノーベル平和賞を授与すると言うのだ。

(石材店)「ちょっとタイミング悪すぎですよねえ。どうしたんでしょうねえ?」
(幹事長)「修正する時間が無かったんちゃうか?」


私もそうだったけど、ノーベル賞委員会も、まさかコロンビア国民が和平案を否定するとは思ってなかったから、サントス大統領への授与に向けて諸準備を進めていたのだろう。それが授与発表の僅か数日前に国民投票でひっくり返されてしまったけど、今さら他の人を選考しなおす準備なんか時間が無くてできないから、仕方なく既定路線でサントスに授与したんだろう。まさか国民投票で否定されるなんて夢にも思ってなかったから、他の人なんて想定してなかったんだろう。本当に恥ずかしい失態だ。

日本人の受賞ラッシュが続く物理学賞、化学賞、医学生理学賞の自然科学3分野のノーベル賞が大きな価値を維持している反面、他の3賞、すなわち文学賞、平和賞、経済学賞は相変わらず混迷を続けている。その中でも、特にひどいのが平和賞だってのは衆目の一致するところだ。文学賞は存在価値が無いが、あんまり弊害も無さそうだ。しかし、平和賞は百害あって三利くらいしかない。
ノーベル平和賞については、これまでも散々、批判してきた。毎年、毎年、怒りを通り越して呆れかえっているが、特に酷かったのは2000年の金大中韓国大統領の受賞だ。あまりの事にボーゼンとした。金泳三韓国元大統領が「ノーベル賞の価値も地に落ちたもんだ」と吐き捨てたが、まさにその通りだった。あんな奴の受賞はノーベル賞の価値を貶める以外の何ものでもないが、金大中の受賞がトンチンカンだったことは、その後、朝鮮半島の南北対立が深まることはあっても緩和することが無く、核兵器をガンガン作ってミサイルをバンバン撃ちまくって今にも核戦争を引き起こしそうな北朝鮮に対してなすすべがない事実が如実に証明している。
それから2009年にオバマ大統領が受賞した時も、あまりの事にボーゼンとなった。オバマ大統領自体に対しては、大嫌いな民主党ではあっても、過去のしがらみが無い若い黒人のオバマには、どっちを向いてもどん詰まりの国際情勢を、とんでもない大胆さで一気に風穴を開けて前進させてくれる可能性があったので、何かしら期待はしていた。ただ、それはあくまでも可能性であって、何の実績も上げていなかった時点で授与した事に、極めて政治的な意図を感じた。そして、その後、アメリカの外交が支離滅裂に迷走して世界平和を乱すことはあっても貢献することが無かったことが、彼への授与の大失敗を如実に表している。
金大中やオバマに限らず、そもそもノーベル平和賞の歴史は、疑問と欺瞞の歴史だ。2007年のゴアの受賞もひどかった。豪邸に住んで資源を大浪費しながら環境問題を語る詐欺師に対して、なんでノーベル平和賞なんだ?大統領選挙に落ちたから環境問題に活路を見いだして良い格好しようとしているだけなのに。ほかにもゴルバチョフとかアラファトとか北アイルランドのテロリストとか、およそ平和とはほど遠い人たちがたくさん受賞してきた。選考しているのがノルウェー国会とは言え、あまりにも政治的な選考は、ノーベル賞の価値を貶める以外の何物でもない。
もともと、我々日本人にとっては、1974年に佐藤栄作が受賞したときに、ノーベル賞の中でノーベル平和賞だけは取るに足りないくだらん政治的産物っていうのが分かった。本当にあの時は全国民がびっくりした。佐藤栄作なんて、悪いことはしこたまやったろうけど、平和に貢献するような事は生まれてこのかた一切やったことがないような人だったから、受賞理由が理解できなかった。

このように、あまりにも政治的な選考をされてきたノーベル平和賞の歴史は、疑問と欺瞞の歴史だ。こんな意味の無い、と言うか、むしろ百害あって三利くらいしかないノーベル平和賞なんて廃止するべきだと真剣に思う。
それなのに、相変わらず今年も憲法9条にノーベル平和賞を受賞させようなんていうトンでもない動きが続いている。あまりにも幼稚な無知無能ぶりにひっくり返りそうになる。現行の日本国憲法は、あくまでも敗戦国日本に戦勝国アメリカが押しつけたものであり、アメリカに都合の良いように作られている押しつけ憲法だ。簡単に言えば、日本が二度とアメリカに対して刃向かわないように、戦争する権利を放棄させた憲法だ。こなな押しつけ憲法にノーベル平和賞を授与するって事は、すなわち押しつけたアメリカに対して授与するってことになるが、それでアメリカは喜ぶだろうか。中国が虎視眈々と日本侵略の機を伺っているタイミングで、憲法9条にノーベル平和賞が授与されたりしたら、中国は一気に日本を攻めてくるだろう。そうなると日米安保条約の当事者であるアメリカも困るだろう。

(2016.10.7)



〜おしまい〜





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