クルド独立問題

〜 クルド人に国家を! 〜



クルド情勢緊迫化している。
イラク北部のクルド自治区において、自治政府「クルディスタン地域政府」(KRGがイラク政府を始め周辺国の大反対を押し切って、9月25日に独立の賛否を問う住民投票を実施したからだ。予想通り、住民投票では独立賛成派が圧勝したが、住民投票を認めないイラク政府が軍を派遣し、KRGが実効支配していたキルクーク州の油田や軍事基地、発電所など重要施設を次々に制圧し、さらには中心市街地も含め、作戦開始から1日足らずでキルクーク地方一帯を支配下に置いたのだ。
奇妙なことに、このイラク軍の進撃に対し、クルド側がほとんど無抵抗で引き上げたため、本格的な軍事衝突には至らなかったが、クルド側が大人しく引き下がるとは思えず、今後は予断を許さない。


〜 クルド人とは 〜

そもそもクルド問題とは何か。大半の日本人は関心が薄いだろうが、国際紛争オタクの私は、大昔からクルド問題には興味津々だった。
クルド人とは、トルコ、イラク、イラン、シリアなどにまたがるクルディスタンと呼ばれる山岳地帯に居住する人達で、現在は国としてはこれらの国に分断されているが、イスラム以前からの先住民族だ。各国に数百万人ずつ分断されているため、各国では少数民族だが、合計すればクルド人の人口は3000万人ほどで、国を持たない世界最大の少数民族と言うか、シリアなんかより人口は多く、決して少数民族とは言えない規模の流浪の民だ。言語はペルシャ語系のクルド語を母語とし、宗教はイスラム教のスンニ派が多数を占めている。

クルディスタン地方は、もともとペルシャ圏、アラブ圏、トルコ圏がぶつかり合う真ん中にあるため歴史的にややこしい地域だ。第一次世界大戦の前にも、オスマントルコ帝国とペルシャ帝国によりクルド人の自治が認められていたが、第一次世界大戦後のオスマン領分割において、イギリスはクルド国の独立を認めた。ところが、その後、西側諸国はロシアに対する反共緩衝地帯としてトルコを利用したいという思惑から、クルディスタン地方のトルコおよび英仏委任統治領であるイラクやシリアへの分断を認めた。その後、第二次世界大戦中にはソ連の支援によりイラン北西部にクルド人国家が建設されたが、ソ連の撤退により僅か1年でイランにより消滅させられた。その後は各国で独立を指向し、反政府の立場で様々な活動を行っている。

問題は、各国に散らばる様々な反政府組織がお互いに敵対し、決してクルド人として大同団結していないことだ。一方、クルド人が散らばる関係各国もお互いに敵対しているケースが多く、各国政府は自国内のクルド人勢力を抑圧する一方で、敵対する隣国の中にいるクルド人組織は支援してきた。とてもこんがらがったややこしい関係だ。こういう事情からクルド人が団結してクルディスタン地方に大きな国を作ろうという運動には至っていない。


〜 最近の動き 〜

クルド人が最も多く住んでいるのはトルコだが、トルコはトルコ人による単一民族主義をとっておりクルド人という民族の存在自体を認めていないロヒンギャ族という民族を認めていないミャンマーと同じだが、そもそも存在自体がいかがわしいロヒンギャ族と違って、クルド人は大昔から住む大民族なので、トルコの主張は無理がある。クルド人という存在自体を認めていないことから、クルド語による放送や教育も認めてこなかったため、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(PKK)がゲリラ攻撃を行ない、それに対してトルコ政府はPKKが拠点を持つイラク領内にも侵攻したりしてきた。また最近ではクルド人が勢力を増すシリア国内にも侵攻してクルド勢力と戦うなど、トルコは偏執狂とも思えるほど徹底してクルド勢力と戦っている。

トルコに次いでクルド人が多く居住しているイラクでも、トルコと同様に、フセイン政権がクルド人の迫害を続けてきた。特にイラン・イラク戦争では化学兵器を使用してクルド人を攻撃し、国際的な非難を浴びた。このような状況の中で、アメリカによるイラク侵攻とフセイン政権打倒は、クルド人にとってまたと無い国家建設のチャンスとなった。アメリカによるフセイン政権転覆にクルド人が協力したため、新生イラク政府にはクルド人が参加して優位な立場となりイラク北部のクルド人地域は実質的な自治を確保して自治政府を確立した。そして、フセイン政権によってアラブ人の移住が進んでいたキルクーク地方からアラブ人を追放し、その後にクルド人を移住させた。油田があるキルクークを含むイラク北部を分離独立してクルディスタンを建国し、キルクークの油田収入によって豊かなクルド国を作ろうとしているのだ。

さらにシリアでは、内戦の長期化によってアサド政権の力が及ばなくなった地方でISが台頭したため、アサド政権の打倒を目指す一方でISも撲滅させたいアメリカなどが、クルド人勢力を軍事支援した結果、最終的にクルド軍はISを放逐し、クルド人はシリア内の独立地域を拡大することとなった。これに対して、クルド人を徹底的に抑え込もうとしているトルコは、国境を越えて侵攻し、クルド軍と戦闘を行っているが、トルコはアサド政権ともISとも戦いつつ、さらにクルド人とも戦うという訳の分からない混迷状況となっている。


〜 住民投票とイラク軍の侵攻 〜

このようにイラクやシリアで存在感を強めたクルド人勢力は、ここぞとばかりにイラクで独立の動きを強めイラク北部のクルド自治区で独立の賛否を問う住民投票を強行した。そして当然ながら圧倒的多数で独立賛成が承認された
この住民投票に対し、当然ながらイラク政府は反対したし、自国内にクルド人を抱えるトルコやイランなども反対したが、さらに欧米諸国も反対した。欧米諸国は事なかれ主義の日和見主義者なので、ややこしい事態は避けたいのだ。

ただ、欧米諸国は口で反対を言うだけだが、当然ながらイラク政府は口だけでは済まず、軍を派遣した。イラク軍の目的はキルクークの奪還だ。キルクークは石油が豊富な地域なので、みすみすクルド人に奪われる訳にはいかないのだ。
キルクークはもともとはクルド人が住む地方だったが、フセイン政権によりアラブ人の移住が進んで多民族が混在する地域となっており、クルド人自治区からは外れていた。そこへ油田を狙ってISが侵攻し、イラク軍を駆逐してISの領土としたんだけど、アメリカなんかの援助を受けたクルド軍がISを駆逐して支配下に置き、かつてのようにクルド人地域に戻そうとしたのだ

イラク軍と言えば、そもそもISに簡単に駆逐された弱い軍隊で、一方、クルド軍はISを駆逐した強い軍隊だ。そのイラク軍とクルド軍が衝突したらクルド軍が勝ちそうなものだが、なぜかクルド軍はほとんど戦うことなくクルド自治区に引き上げたもんだから、キルクークは無傷でイラク軍の手に落ちた。とても奇妙な事態だ。
これはクルド勢力内の争いと分裂が原因のようだ。各国に分かれるクルド人勢力は互いに敵対しているが、イラク国内のクルド人勢力内でもクルディスタン民主党(KDP)とクルディスタン愛国同盟(PUK)が対立するなど内紛を抱えており、一部の勢力がイラク軍と協力して寝返ったようだ


〜 ヨーロッパ諸国の責任 〜

歴史的な背景を考えると、クルディスタン地方においてクルド人によるクルド国家樹立するのが筋だと思うが、クルド人同士が対立しているようでは話にならない。クルドの人々は対立を捨て、大同団結してトルコやイラクやイランと戦い、自分達の国家を樹立するべきだ

そして、周辺国と一緒になって反対している日和見主義の欧米諸国は猛省しなければならない。そもそもクルド人が国を持てないのは、中東地域で勝手に線引きして人工国家を作ったイギリスやフランスの責任だ。ミャンマーのロヒンギャ族問題の根源もイギリスだったが、世界中で悪いことをやりまくったヨーロッパ諸国は、きちんと過去を反省してクルド人国家の樹立に力を貸すべきだ


(2017.10.19)



〜おしまい〜





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