大相撲の女人禁制

〜 意味の無い理不尽な伝統 〜



京都の舞鶴文化公園体育館で行われていた大相撲の春巡業で、舞鶴市の市長が土俵上であいさつしている最中に体調を悪化させて倒れてしまったそれを見ていた観客らが土俵に上がり、心臓マッサージなんかを施していたら、その中に女性もいたもんだから、「土俵から降りるように」なんていう場内アナウンスが流れた

当然の事ながら、このアナウンスに大して世間は非難囂々だ
場内アナウンスをしたのは若手行司だが、観客の中から「女性が土俵に上がっていいのか?」なんて声が挙がり、それで若手行司が慌てて場内アナウンスしてしまったらしい。
大相撲においては女性が土俵に上がることが禁じられているから、観客から指摘されて若手行司は慌ててしまったのだろう。その点では、この若手行司に対して大いに同情する。

冷静に考えれば、土俵上で倒れた市長の生死に関わる問題なので、いくら伝統的に女性は土俵に上げない事になっていても、この場合はそんな事を言っている状況ではないだろう。人の生死に関わる緊急事態において、そんな伝統なんてどうでもいいことだ。誰が考えても分かる簡単な事だ。
だとしても、この若手行司に対して大いに同情する。大相撲は昔から女性を土俵に上げない事が伝統になっており、日頃からそう教え込まれている若手行司としては、自分の勝手な判断で臨機応変な柔軟な対応は、なかなか取れないと思う。会社勤めをしている者なら、いくら非合理的で理不尽な事でも、会社の方針や上司の命令に反することは、そう簡単にはできない。とっさの対応が求められる場合において、そう簡単に方針に背く事はできない。なので、私はこの若手行司に対して、とても同情する。
非難すべき相手は、まずは、こんな緊急事態において「女性が土俵に上がっていいのか?」なんて指摘した観客だ。こいつらこそ、事の重大さを分かっていない思考停止型の愚か者だ。もちろん、それを真に受けてアナウンスした若手行司にも責任はあるだろうけど。

でも、最も重大な責任があるのは相撲協会だ。日本相撲協会の八角理事長は、今回の対応について「とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。応急処置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が『女性は土俵から下りてください』と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼び掛けたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くおわび申し上げます」なんて釈明しているが、そもそもこのような下らない伝統を常日頃から教え込んでいる事が間違いの元だ。

大相撲では「土俵は女人禁制」の伝統が続いている。もともと女人禁制ってのは、一般的には「男性が世俗の欲望を断ち切る修行の場に女性がいると妨げになる」という考えと、女性特有の出産や月経に伴う出血を「血の穢れ」として不浄視する考えとで説明される。
しかし、大相撲の土俵が修行の場なのか、と言えば、大いに疑問だ。仮に土俵の上は修行の場だとしても、その土俵を女性を含めた多くの観客が取り囲んでいる状態を考えると、どう見ても「男性が世俗の欲望を断ち切る修行の場に女性がいると妨げになる」という考えとはかけ離れている。和服を着た金持ちそうな女性が砂かぶりの席で観戦しているのに、何が修行の場だ、と問いたい。「男性が世俗の欲望を断ち切る修行の場に女性がいると妨げになる」なんて言うのなら、女性を一切、閉め出した密室でやればいい。
さらに「血の穢れ」説に至っては、言語道断だ。

女人禁制は、実は大相撲だけでなく、登山の世界でも続いている山岳修行の場になっている山だ。過去には、霊山のほとんどが女人禁制だったが、外国人から遅れているとバカにされるって事で、明治5年に政府が多くの山で女人禁制を解除した。でも、今でも女人禁制の山がしぶとく残っているのだ。実際に山岳修行をしている男はいて、白装束に身を固めて登ったりしてるので、「男性が世俗の欲望を断ち切る修行の場に女性がいると妨げになる」という考えが全く嘘だとは言わない。だがしかし、私も含めて、大半の男性登山者は、何も修行のために登っているのではなく、単に登山を楽しんでいるだけだ。それを女性だからとの理由で排除するのは、完全に男女差別であり、絶対に許されるものではない

大相撲も登山も、下らない伝統を引きずって愚かな差別を続けるのは、いい加減に止めなければならない

(2018.4.8)



〜おしまい〜





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