屏風秘録
  庫外禁止録は、一揆解決の先頭に立った吉田藩郡奉行所中見役鈴木作之進が、一揆解決後にまとめた記録です。その際、郡奉行所に残る文書群を手元に置いて書きました。それらの文書群は廃棄され、屏風の下張りとして使用されました。平成三年、吉田藩下波浦の元組頭宅からそれらが発見されました。この数百点の文書は屏風秘録と名付けられました。これにより、一揆の真実の姿が明らかになりました。
                     
  これは、屏風秘録の原本です。   軽重の次第は不順 上大野村嘉兵衛(武左衛門の本名)と書かれています。まだ取り調べの過程です。 武左衛門は、山奥の頭取であるが、一揆が山奥から出たのだから全体の頭取とするべきであろうと述べられています。
吝嗇ちよむがり(りんしょくちょんがり)
  旧西宇和郡三崎町明神の元組頭宅から発見されたものです。一揆直後に書かれたもので、一揆の全容を語る内容です。吉田藩の苛政の実態から、一揆の概要、これからの吉田藩の善政への期待が書かれています。チョンガリとは現在の浪曲の先祖にあたるものだと言われています。 

 本に皆様、聞いてもくんない 四国のうちにも かくれもござらぬ 宇和じま御分地 吉田のそうどう・・・ と始まります。全文は、『義農武左衛門物語』(日吉村教育委員会発行 平成8年)に掲載されています。