武左衛門の子孫
 初代日吉村長井谷正命氏が武左衛門の顕彰を始めると、K家が子孫であると名乗りを上げました。代々伝えられてきたそうです。また、もう一つの家系が子孫だと伝えられていることもわかりました。そこからは、武左衛門の位牌とではないかと思われるものも見つかりました。これは、武左衛門の子どもに山伏と娘がいたことを伝える伝承に一致します。 昔、k家の床下を掘ったところ、首のないお骨が出てきたことがあったそうです。武左衛門は、さらし首になったと伝えられていますから関連がありそうな話です。しかし、確たる史料はありません。武左衛門の子孫については、故M氏が研究され、「あいり」という雑誌に発表されました。
 武左衛門が実在したことは確かです。本名は嘉兵衛といい、武左衛門という名はなぜ用いられたかは想像をかきたてられます。吉田藩の捕り方は、夜、出発して夜明け前に到着し、庄屋に案内させて、武左衛門宅を襲いました。