仙台の伊達政宗の長子伊達秀宗が、慶長十九年(1614年)に、この地に十万石を与えられて宇和島藩が成立します。
 明暦三年(1657年)秀宗隠居に際して、七万石を三男宗利が、三万石を五男秀純が相続し、吉田藩三万石が成立します。家督を継いだ宗利は、大変くやしがり、両藩には確執が生まれと伝えられています。元禄九年(1696年)、宇和島藩は十万石に高直しをします。
 一揆に際して、三万石を取り戻そうと裏で宇和島藩の役人が手引きしたと噂が立ちました。

 吉田藩には上内・下内と呼ばれる海岸部と宇和島藩との境界争いで有名な目黒に飛び地があります。






















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