じかんはざまのばんにん
作:近藤 央子 演出:伊東 直美
初めてのオリジナル作品に挑戦。
なかなか難しい本であり、3時間という大作でした。
ストーリー
人は「明日」に進む前に、時間の狭間を通らなければなりません。
人はその狭間を通らなければ「明日」に行くことができないのです。
同じ「時間狭間」を通る子、タクミ、エリカ、の四人。
彼らを見守り、いつも「いってらっしゃい」を言ってくれる番人。
ある時、エリカが聞いた。
「ねえ、番人さん。あなたは、ちゃんと起きてるの?」
いったい番人は何者なのか・・・?
そして、番人が探している「ラナイ」とは・・・?
これは、みんなが「昨日」に置き忘れてしまった
「時間狭間」の物語なのです。
座長挨拶 伊東 直美 蝉がにぎやかに鳴いています。長かった夏休みもあと数日となりました。 皆さまいかがお過ごしですか。 子どもの頃、夏休みと言えば、川で魚を捕ったり、大きな木のある神社へ行って昆虫を捕まえたりと、朝から日が暮れるまで真っ黒になってかけずりまわっていました。 一日が本当に長く、ゆったりと時間が過ぎていたように思います。 年を重ね30才を越えた今、一日があっと言う間にすぎていきます。 子どもの頃は、「今日」という日が「昨日」になり、 「明日」が「今日」に移り変わることに何の恐れも不安も抱きませんでした。 今は、同じような毎日が繰り返され、あっと言う間に季節が移り変わっていくのを 感じることがあり、時々恐ろしくなります。 やはり、大人になると一度経験したことの繰り返しになるので時間が短く感じられるのでしょうか。そう、初めての道を行くときは長く感じるのに帰り道は近く感じるのと同じように・・・。 そんなことをウダウダと考えていると、また、むなしく時間が過ぎていきます。 でも、また考えてしまうのです。車社会になった現代、歩いていた時代と比べ時間が短縮でき、 ゆとりができたのか、それとも忙しくなったのだろうか、等々と・・・。 まあ、暑い夏、蝉の声を聞きながら、扇風機の風にあたり、 こんな事を考えて時間を過ごすのもなかなか風流(???)なものではありませんか。 ある夏の日の「時間」についての考察でした。 本日は暑い中をご来場いただき誠にありがとうございます。 また、この公演のために国分寺町の皆さまをはじめ、 たくさんの方々のご支援とご協力をいただきました。この場を借りて心よりお礼申し上げます。 この出会いを大切にし、これからも「出前公演」という活動を続けていきたいと思います。 そして、皆さまの心に響く作品をお届けできるよう頑張っていきます。 もし、どこかで、「暖団」のポスターを見かけることがあれば、 また劇場に足を運んでくだされば幸いです。 1999年 夏 |
作者挨拶 近藤 央子 小さい頃、こんな夢を幾晩も続けて見たことがあります。誰もいない家の中にライオンが放し飼いになっているという夢です。まだ小学生だった私はその家の中で、必死にライオンから逃げているのです。逃げても逃げてもライオンは追いかけてきて、狭い家の中でもう逃げ場がなくなってしまった頃、朝になるのでした。 小さな私はその夢を通らないと朝にならないのだと感じ、そして毎晩、夢の中でライオンから逃げ回っていたのです。そこは私の『今日と明日の狭間』でした。 大人になってそんな夢を見なくなった頃、それでも私は眠るのが大好きです。しかし、私の周りの大切な人々は、私のように夢をむさぼって眠るということをしないのを知り、なんだか悲しくなりました。 このお話はそんな私の大切な人達に『ゆっくり眠ることも捨てたもんじゃないでしょ』ということを伝える為に書いたものです。 誰もが忘れてしまっているけれど、『時間の狭間』は明日への通過点です。大切な場所なのです。この物語を見た後に、それを忘れてしまっている人達が、少しでも何かを思い出してくださればいいのですけど…。 そして私は大威張りで、今日も睡眠をむさぼることでしょう。 ZZzzzzz......。 |