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| 句 稿 | 記 事 | 寄贈者他 |
| 放哉未発表句稿集 | 荻原家で発見された未発表句稿 | 荻原家より購入 |
| 書 簡 | 記 事 | 寄贈者他 |
| ◆井上一二宛放哉書簡 | 大正14年8月11日「大空消息」 | 井上靖夫氏所蔵 |
| ◆井上一二宛放哉書簡 | 大正14年11月2日 | 同 |
| ◆杉本宥玄宛放哉書簡 | 大正14年8月20日 | 杉本家所蔵 |
| ◆井泉水宛放哉書簡 | 大正14年8月26日 | 荻原家寄贈 |
| ◆住田蓮車宛放哉書簡 | | 同上 |
| 井泉水宛放哉書簡 | 大正15年9月30日 | 同上 |
| 井泉水宛久米政雄書簡 | 三汀生 久しぶりで此の号を使います | 同上 |
| 井泉水宛天沼雄吉書簡 | 沢よし様 | 同上 |
| 井上一二宛井泉水書簡 | 太宰府天満宮句碑写真 | 井上家寄贈 |
| 井泉水宛森田美枝子書簡 | | 荻原家寄贈 |
| 木下幸光宛沢 三郎書簡 | 平成3年4月27日 | 木下幸光氏寄贈 |
| 葉 書 | 記 事 | 寄贈者他 |
| ◆沢 芳衛宛放哉葉書 | 明治41年1月17日 | 荻原家寄贈 |
| 井泉水宛放哉葉書 | 三葉 | 荻原家寄贈 |
| 電 報 | 記 事 | 寄贈者他 |
| 尾崎秀美宛尾崎 馨電報 | 大正15年4月7日 | |
| 尾崎秀美宛西光寺電報 | 大正15年4月8日 | |
| 内島北朗宛杉本宥玄電報 | 大正15年4月4日 | 荻原家寄贈 |
| 短 冊 | 記 事 | 寄贈者他 |
| ◆放哉直筆短冊 | 葱積んで行く・・ | 樋出誠詢氏所蔵 |
| ◆放哉直筆短冊 | 竹藪に夕陽吹きつけて居る | 杉本有尚氏所蔵 |
| 放哉直筆短冊 | 波音淋しく三味やめさせている | 複製 |
| ◆放哉直筆短冊 | 大寺の秋は大松のふたまた | 複製 |
| ◆山頭火直筆短冊二点 | うれしいことも・・他 | 荻原家寄贈 |
| 写 真 | 記 事 | 寄贈者他 |
| ◆南郷庵の写真 | 放哉在庵の時代 | 荻原家寄贈 |
| ◆放哉の卒業証書 | 東京帝国大学法科卒業証書 | 興禅寺所蔵 |
| 放哉肖像写真 | 鳥取県第一中学校時代 | 鳥取県立図書館 |
| ◆放哉肖像写真 | 第一高等学校時代 | 同上 |
| ◆放哉肖像写真 | 結婚当時 | 同上 |
| 放哉肖像写真 | 東洋生命保険時代 | 同上 |
| ◆放哉肖像写真 | 朝鮮火災海上保険時代 | 同上 |
| 井上一二肖像写真 | 井上家江上亭縁側 | |
| ◆五輪塔の墓標写真 | 大空放哉居士 | |
| 尾崎家累代の墓写真 | 鳥取市興禅寺池田藩の墓所 | |
| 掛 軸 | 記 事 | 寄贈者他 |
| 放哉詠草軸 | 絣の着物で表装したもの | 荻原家寄贈 |
| 尾崎放哉直筆軸 | 短冊を表装した軸物 | 同上 |
| ◆放哉詠草軸 | 元日の灯の家内中の顔がある | 同上 |
| ◆山頭火直筆軸 | へうへうとして水を味わう | 同上 |
| 色紙・扇面 | 記 事 | 寄贈者他 |
| ◆井上一二色紙 | 「放哉観月」あたままろめて来て | 岡田好平氏寄贈 |
| 荻原井泉水色紙 | 春の山の向こうから煙がでだした | 荻原家寄贈 |
| ◆扇面 | 層雲同人ー井泉水・一二・北朗などのサイン | 井上家寄贈 |
| その他の種目 | 記 事 | 寄贈者他 |
| 島丁哉から送られた戯画 | | 複製 |
| 象畫帖 | 層雲第二百号記念 | 西光寺所蔵 |
| 放哉生活日記 | 六曲屏風にした「入庵食記」 | |
| ◆放哉の雑記帳 | 念彼観音力 | 荻原家寄贈 |
| ◆放哉の句碑 | いれものがない・・ | 南郷庵前庭 |
| 井上一二俳句集 | 「一生一路」大正5年 | 土庄町図書館蔵 |
| 荻原井泉水著 | 奥の細道刊本 | 荻原家寄贈 |
| ドラマ「海も暮れきる」放送台本 | NHK松山放送局 |
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井上一二
代々醤油醸造を業とする。
古くからの層雲同人であり其の縁で放哉を援助
この書簡は放哉が一二に援助を依頼した文である。
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拝啓、突然であります。恐縮千万御許しを乞います。
先日、井師からお願いしていただいた通りの事情で何とか御世話様になりたいと思います。何分既に四十歳を越えましたのではげしい労働は到底勤まりませんそこで、簡単な御掃除と御留守番位で、どっか、庵の如きものを、お守りさせていただき度御願致します。それに小生、海を見ておれば一日気持ちがよく、之が一番ぴったり来ますので、之等の条件をもって井師に相談しました処それでは一二氏に相談すれば、なんとか方法がつくだろうというので先日の御願となったわけであります。
誠に御いそがしい中、恐縮千万ですが御助力御願致します。只今、お寺は出まして、井師宅に泊まって居ります。いっそ相済まぬが、直接貴宅御伺していろいろ御目にかかって御話したりした方が好都合だろうという事に井師と御相談しまして此の願状差出し、小生、明晩か明後晩当地出発、貴宅御訪問する事ときめました。誠に勝手千万な義で無礼の次第でありますが井師も十五日頃には帰京の事になって居りますし、旁々、ぶしつけ乍ら御伺する事にきめました。何れ御目にかかって御願申します。何卒よろしく御願申し上げます。
敬具井上一二様 八月十一日朝 尾崎放哉

大正14年11月6日
啓、
「海恋うて風ろしきかゝヘて来た」……ニハ恐縮千万……「頭まろめて来てさてどうする」……ウマイデスナ、「えび皆腰まげてゆでられた」「金を払ひ、一日くれ残る金」「汐の高さはりきる星空」「木の枝たれ星あるさま」何れも感銘申候。「木の枝たれ……」「時雨の小竹のゆれやうの一人」……之等、アナタの本格ぢやないですか、………兎二角、ヱライ「力」でやり出されたものですな、……此間の百五十句の内容が、さこそと想像されますな』。
小生実ハ最近、薬ヲ呑ンデ臥床、ヨクナリマシタガ……未ダ、「咳」……「痰」……で一寸、ヒョロ/\しているワケニ候、其ノため御伺も延引御ゆるし下され度し。マダ………之デハ死ネソヲニモ有リマセン、呵々。近イウチニ、「タベモノ」モライニ行キマス。小生御伺スルミ迄ハ、何モ入用ナモノアリマセンカラ御心配下サイマスナ。(米モアリマス)乞食放哉ナンカ早ククタバッテ、シマヱバヨイノダガ、……死ヌ時ガ来ナイト、イケヌモノト見ヱマス。
○密柑ノ皮ムイテ咳イテシマツタ
乞御批評(病床五十句ノ内)
十一月二原稿輻湊シタト見ヱテ「入庵雑記」ハ十二月号ニマワシタ様デス。今日、「入庵雑記」ノ(其ノ三)ヲ、井師二送ッテ置キマシタ処デス。……イロンナ事ヲ、書イテ見ル考デ居リマス。
一二さま 六日 放生
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杉本宥玄 西光寺住職
宥玄は井泉水が小豆島遍路に訪れたおり同行している。
それ以来井泉水に師事し玄々子と号して俳句を作っている。
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啓、色々、お世話になりまして感謝の辞ありません。
どうか将来、不肖私の、いつまでも盟兄としてご厚誼お願申し上げます。
奥様御帰りになりましたか、よろしく御願申します。
○私一人で小生「晋山式」を一人で喜びつつビール一本を祝ひ申候、呵々。
西瓜の青さごろごろと見て庵に入る
此の西瓜は御徒弟様方へ差し出します。御住職玄々子様 買物出先にて
尾崎生香川県小豆郡土庄町西光寺奥の院南郷庵より
同所西光寺 大正十四年八月二十日
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沢 芳衞(21才)
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沢芳衞
放哉の恋人であるが母方の従兄弟になる。
放哉は彼女との結婚を望むも近親ゆえに医者であった芳衛の兄に反対された。
この葉書は日本女子大在学中の芳衛に宛てた年賀である。
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左図二枚目
帰省中御無沙汰仕候。遅ればせながら新年の御慶芽出度申納候。御達者ならんと存居候。今後、益々御切養必要の事と存じ候。早々不備
くずれては鴛鴦に波うつ松の雪
沢よしえ様 十七日
尾崎秀雄明治三十八年十月十八日駒込局より東京小石川
左図一枚目 バラの図の絵葉書同人宛
明治四十一年一月十七日東京本郷森川町一、近藤方より東京、小石川目白、女子大学桜寮
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荻原井泉水 明治17年ー昭和51年
自由律俳句の提唱者 明治四四年碧梧桐と共に層雲を創刊。尾崎放哉とは一高東大の同級生で俳句の師でもある
放哉が一灯園に在ったとき奇しくも再開し以後面倒を見続ける
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啓、酒田からの「エハガキ」只今拝見、御喜び下され度候。北郎氏も御同行御淋しくないことと思います。第一信ご覧下され候由。第二信も其内ご覧下さる事と思います。此手紙は、中田様内留置で差出します。別に急用ではありませんが井上氏宛にアナタから御礼状出していただけば甚結構と思います。猶、西光寺の住職さんが、どういう因縁か、大変ご親切にしていただいて、コチラが恐縮する次第之が気があったとでも云ふのでせうか、誠にうれしいので、殊にアナタから、懇切に御礼状を出して下され度切に御願い申上げます。
此の頃、自分の勝手にしているものだから今までのくたびれが出たらしく少しボンヤリして居ます。朝から、庭掃きと、仏さまの掃除と、読経と句作とであります。………縁とは申せ、アンタには、何から御礼申してよいやら、わからない。…… 「入庵雑記」といふ様なものを書いて感謝の一部分を層雲にもらはうかとも思って居る次第、……ソレカラ例のオ酒ですが、これも縁が来たのか、「決して、コヂ付けではありません」自然と、タクサン呑めぬ様になり、呑めぬから、よはぬと云ふ事なり、矢っ張り、時期が来ればかう云ふ風になるものらしい。小さな人間の努力で、ヤメルとかヤメヌとか云うる間は、考えて見ると馬鹿らしく見えると云ふ風にも思われます。
一二氏は、私が「ビール」を一本以上呑むと、大変な事になると思っているらしいからオカシイ。西光寺さんは、中々、イケマス。決して、自分で、大いに、つつしんでも居らぬのだが自然、呑めない、オカシイ事です、有り難いことに思って居ります。イヨイヨ其の時になったのかなとツクヅク考える事があります。今日は只御礼状出してもらいたくて其のお願い。毎日十句宛は作っています。
大正十四年八月二十六日南郷庵 荻原様
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住田蓮車 「?ー1978」一灯園同人僧侶
放哉とは一灯園在園中に最も親しかった友人である。
病後のために園での労働に耐え切れぬ放哉に須磨寺の寺男の職を紹介したのも蓮車である
小豆島南郷庵に放哉を訪ねている。放哉が園の主宰者西田天香に疑問を抱き始めたとき、その事に関してたびたび放哉と論争している
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啓、御手紙有り難う。決して、冷やかしなんかでは無いですよ。悪くとつて下すつては困りますよ。ホントにさう思って居るから申したのです。「一ノ小家」が待たれますネ。御大事にして下さい。 東京行キは何日頃ときまりました。折角東京にいらしても、寒くてはオ困りでせう。而し、これからの東京郊外の夕陽ハよい。寒くなる程よい。ホントに文字通りの、燃える様に、空も、木も、マツ赤になる。武蔵野平原のせいですネ。アノ夕日は関西では見られない。凧が吹き出すと、素敵によくなりますネ。御言葉よくわかりました。俳三味による、心境其の鶴を深く掘り下げて行く事に努力しませう。その方が、私としては近か道でせう。鹿ヶ谷はもう霜ですか。ヱライこつてすネ。
今朝面白い事があつたです。アノ奥の院の辺に松茸が出ると小僧サンが云ふので今朝オ堂をあけて置いて一人でテクテク登つたもんです。はるかに、光る海を見ながら、サガシタノだがどつこにも無い。あきらめて帰りかけた時ャット二本見付けたのです。ずい分大きいのですうれしかったですね。今夜は之をヤイて喰べます。さよなら。二十九日 放哉生
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短冊(1)
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短冊(2)
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短冊(3)
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短冊(4)
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短冊(1)元日の灯の家内中の顔がある
短冊(2)お寺の秋は大松のふたまた
短冊(3)竹薮に夕陽吹きつけている
短冊(4)葱積んで行く朝の舟女漕ぎだしき
放哉の持経は法華経の一章 念彼観音力
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いれものがない両手でうける
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眼の前魚がとんでみせる
島の夕陽に来て居る
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翌ハ元日がくる佛とわたくし 放哉
為ることはこれ松の葉を掃く 井泉水
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放哉顕彰碑
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杉本玄々子句碑
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井上一二句碑・放哉観月
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鳥取の句碑 春の山のうしろからけむりが出たした
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鳥取興禅寺句碑 せきを志てもひと里
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障子あけて置く海も暮れ来る
作家 吉村昭筆
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放哉在庵当時の南郷庵は昭和8年に改築され、その建物も昭和40年代半ば頃まで同所にあったが西光寺奥の院大師堂として三重の塔が建立されたのを機に取り壊された。その後同所には、放哉の句碑
いれものがない両手でうける
と大松が立つばかりであったが、放哉を顧みる人も少なく、ゆかりの大松も松喰虫にやられ切り倒された。
記念館は当時の南郷庵を忠実に再現したものです。資料としては 右の荻原家寄贈の鮮明な写真、土地の古老の証言、なにより重要資料は放哉自身の手記「入庵雑記」である。
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朝鮮の民族服を着た 放哉と妻の馨
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東大時代の放哉
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新婚時代の写真
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生地鳥取 興善寺所蔵
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尾崎秀雄
東京帝国大学法科大学政治学科ヲ修メ正ニ其業ヲ卒ヘタリ從テ之ヲ証ス
明治四十二年十月十六日東京帝国大学
法科大学学長法学博士穂積八束 略
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井上一二色紙 放哉観月
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井泉水色紙
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翌は元日がくる仏とわたくし
放哉
為ることはこれ松の葉を掃く
井泉水
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作詞 井上泰好 友の会・俳人
作曲・歌 橋本迪弘 のど自慢日本一
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「放哉」南郷庵友の会
Copyright(C) 1998 Hosai FriendShip Ass
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